第2話
「次は白狐の依頼だな」
「うん。この場所が関係しているみたいだ」
目の前には平屋の建物があり、看板には『記憶の資料館』とある。
ふと、私達の横を通り過ぎていく一人の白髪交じりの男が資料館に入っていく。
「魔人の気配はしないが?」
「そうだね。ただ、特殊な魔法がここでは使われているね」
「わかるのか?」
「魔力を感じるよ。魔法で記憶を抜き取っているんだろう」
翠は館内に入ろうとしたが、自動ドアが開かない。
「さっきの男は問題なく入っていたが」
「他に誰も入れたくないんだろうね。でも、お邪魔させてもらおうかな」
翠は自動ドアに右手をかざした。翠の右手に淡い翠色の光が集まる。
そして、スッと自動ドアが開いた。翠と私は中へ入る。
誰も見当たらないが、本棚が多く並んでおり、四色の色で分けられていた。黄色い本棚の側面には「喜」、赤い本棚の側面は「怒」、青い本棚の側面に「哀」、そして緑の本棚の側面には「楽」と書かれていた。
並ぶ本棚のほとんどが青く、収められている本は全て黒い表紙だ。
「青い本棚と赤い本棚だけ魔力の痕跡がある。黄色い棚と緑の棚にも本が収められているけれど、これは白紙だ」
翠が「楽」の本棚から一冊抜いて捲りながら言った。
「ここには、記憶が宿っていないということか?」
翠は頷き、本を元に戻した。
「負の思念ではないからだね」
本棚の間を歩き進めると、奥にカウンターがあった。人のいないカウンターの奥に扉がある。
「この奥だ」
私は扉の前まで歩みを進めたが、困惑して翠に振り返った。
「この先、どうするつもり・・・・・・」
翠は優男から白猫の姿になっていた。
「こっそりと、ね」
翠は翠色の瞳を怪しく光らせると、扉が音を立てずにわずかに開いた。私達は慎重に、扉の隙間から中を窺う。
室内にはデスクと収納棚があり、さらにその奥には先程の男ともう一人、別の若そうな男がソファ席で向かい合って座っていた。話し込んでいて、こちらには気付いていない。
私達は忍び込み、デスクの影に隠れた。改めてソファ席の方を盗み見るとソファの前のテーブルの上に、この場所には不釣り合いな水晶玉が置かれていた。人間の掌より少し大きめのサイズだ。
「このままではとても辛いんです。どうか、お願いしてもいいでしょうか」
白髪男は悲嘆に暮れた様子で、声も弱々しい。
「もちろんです。俺にも同じ経験があるので、その悲しみはよくわかります。あなたは力を抜いて目を閉じ、ただ楽に座っていて下さるだけで大丈夫です。すぐに解放されて、楽になりますから」
「ありがとうございます」
白髪男は目を閉じた。若い男がテーブルの上に置かれた水晶玉に触れ、何やらブツブツと小声で喋り出した。
すると、水晶玉が黒く光り始め、白髪男がそれに包まれた。しばらくすると、白髪男の頭頂に光が集中し、それはテーブルへ移動すると一冊の黒い表紙の本になった。
「目を開けて下さい。気分はいかがですか?」
白髪男は目を開けた。憑き物が落ちたような表情だった。
「あぁ、なんだか、スッキリしました。今までが嘘のようです・・・・・・というか、私はいったい何を?」
「気にすることはありません。忘れているということは、あなたはもう、辛い記憶に縛られていないということなんですから」
「たしかに、そうですね。せっかくやって頂いたのに、また振り返るようなことはしなくていいですよね」
若い男は笑顔で頷いた。
「何かありましたら、いつでもいらして下さい。ネガティブな思いをいつまでも引きずる必要はないんです」
「はい。ありがとうございました」
白髪男は深々と頭を下げた。ソファから立ち上がり、部屋を出ていく。若い男も水晶玉と本を手に、部屋を出た。
「魔法を使っていたな、水晶玉を通して」
「そうだね。彼がここの館長さんらしい」
翠と私はカウンターへ戻った。カウンターの上に水晶玉と本が置かれている。
椅子に飛び移り、カウンターに手を掛けて辺りを窺うと、あの二人は出入り口のそばにいた。こちらには気付いていない。
「この水晶玉を破壊すれば、記憶は元に戻るのか?」
翠に訊いたが、翠はカウンター脇にある紫の小さい本棚を物色していた。
「どうした?」
翠は私に振り返った。翠色の瞳が光る。
「・・・・・・善意でやっているという話だったね。まずは、彼からだ」
今日も辛く悲しい思いをした人から、記憶を抜いて本に収めた。これで、彼も解放されたんだ。
本当なら、俺だっていつまでもこんな気持ちでいたくはない。でも、俺自身には出来ないと、あの人はそう言った。
「あなたのその思いは胸に残り続けるけれど、同じ痛みを持つ人達を救うことは出来るわよ。あなたが助けてあげるの」
あの女性は俺にそう言って、水晶玉をくれた。相手の記憶や思いを抜く方法を教わり、俺はそれをずっと実行してきている。相手のために。
でも、何故始めるようになったのか、よく覚えていない。ただ、苦しむ人々を救うため、ひたすら続けている。
いつか、俺の中の悲しみも消えてくれると期待して。
俺はカウンターに向かうと、本を手に取った。これは、「哀」の本棚行きだ。
「いつまで引きずるのでしょうか?」
突然聞こえた声に、俺は振り返った。知らない男がいた。
おかしい。自動ドアは開かなくなっているはずなのに、どうやって?
「えっと、どちら様ですか?」
「いきなりで戸惑いますよね。すみません。気になったもので」
「気になる?」
「あなたは、いつまで喪失の悲しみを引きずるのかと」
「何を言って・・・・・・」
「ここには多くの負の感情、思念が本となって収められている。いじめを受けて辛い思いをした忘れたい過去、大好きな人から裏切られたときの悔しさと怒り、そして大切な人を失った癒えない悲しみなど・・・・・・それらから離れられれば、気持ちをリセットできますね。でも、あなた自身はそれが出来ていない」
たった今、会ったばかりの男にどうしてそんなことがわかるのか。
「えぇ、そうです。俺の姉が亡くなったんです。俺もみんなと同じように解放されたかった。でも、この水晶玉を使ってそれが出来るのは他者に対してだけ。俺自身には出来ないんです。だから、せめて俺と同じように苦しんでいる人を救うためにやっているんです」
「何故、出来ないのでしょう?」
「それは、わからない。あの人が・・・・・・俺にやり方を教えてくれた女性が、そう言っていたんだ。実際に試してもみたけど、上手くいかない」
「それは、躊躇いがあったからではないですか?」
「そんなことは・・・・・・」
「あなたにはわかっていた。あなたの中の喪失の悲しみを抜いてしまったら、大切な人との思い出も全て失ってしまうと」
俺ははっとして、何も言えなかった。
「気持ちをリセットできたら、その人は明るく新たなスタートを切れるかもしれません。でも、再び同じようなことが起こったとき、その人はどうするのでしょうか?」
「えっ?」
また、なんて考えていなかった。
「それは・・・・・・記憶を抜けば、また解放されます」
「何かある度にそれを繰り返すんですね」
「それが救われる方法ですから」
「しかし、そうやっていつまでも自分と向き合うことから逃げているのですか?」
「自分と・・・・・・?」
「悲しみも怒りも喜びも、全て自分の気持ちです。悲しい、苦しい、辛いという気持ちに向き合うのがしんどい。起こった事実を受け入れたくない。そうやって目を背けて一時的に解放されても、同じことを繰り返すだけで、大切なことを見失ってしまうのではないですか」
大切なこと。
俺は、ねぇさんとの思い出を忘れたくはない。
「人は時折、明るい気持ちを是とし、暗い気持ちを否定する。でも、どちらも自分の感情です。その湧き上がってきた感情を受け入れることを許してあげてもいいのではないでしょうか? 自分の気持ちを大切に出来たとき、ようやくその感情を手放すことが出来るんですよ」
俺は俯いた。
受け入れて、許す。
そんな風に考えたことはなかった。
「手放したら、ポジティブでもなくネガティブでもない、本当の意味でまっさらな気持ちになります」
そうなったら、たしかに楽になるのかもしれない。
「・・・・・・それでも、どうするのかはその人自身が選択することですが。あなたは、どうしたいですか? 今のままでいるのですか?」
「俺は・・・・・・」
ねぇさんとの思い出が次々と脳裏に浮かんだ。
どれも、大切なものだ。
俺は顔を上げた。目の前にいる知らない男の翠色の瞳を捉えた。
「俺は、帰らないと。ねぇさんがいたところに」
目の前の男は柔らかく微笑んだ。俺のそばに寄ると、一冊の本を差し出してきた。
タイトルは、『シンクロニシティ』だ。
あぁ、そうだ。ここにねぇさんがいた。
「代わりに、そちらの本をわたしてもらえますか?」
俺は持っていた黒い本と『シンクロニシティ』を交換した。
「それは・・・・・・」
向き合う機会を奪ってしまった黒い本をどうするつもりなのか。
「あとは僕に任せて大丈夫。あなたは、あなた自身のことを考えて。あなたが望めば、ちゃんと帰ることが出来ますから」
「・・・・・・ありがとう」
俺は『シンクロニシティ』の本を両手で持った。本が翠色に光り、しだいに視界が白くなっていく。
俺はもう大丈夫だよ、ねぇさん。今、帰るから。
館長の男が消えると、翠は本棚にあった全ての黒い本の記憶や感情を解き放った。黒い本は翠色の光が包み込み、消えていった。
翠は続けて水晶玉に自身のまとう翠色のオーラを放った。壊すのかと私は思ったが、水晶玉に宿っていた魔女の魔力を消していた。
「これは、何か使い道があるかもしれないからね。預かっておこうか」
翠は水晶玉を手に持った。私は隠れていた本棚の陰からカウンターへ上がり、水晶玉を観察した。
何の変哲もない水晶玉に戻ったようだ。
翠は『シンクロニシティ』を紫の本棚に戻した。
「しかし、ここには何故、喜や楽の本棚まであったんだ?」
「逆のパターンも考えたんだろうね」
私は首を傾げた。
翠はフッと笑う。
「ネガティブな感情を本に閉じ込めて本から力を得る。それとは別に、ポジティブな感情を本に閉じ込めて人々がネガティブな感情に支配されるようにする。それも、魔女にとっては都合がいいわけだね」
「なるほど。タイミングを見て、そっちもやろうと計画していたわけか。だが、記憶を持ち主に返して大丈夫なのか?」
「僕のエネルギーも乗せてそれぞれのところに帰したから、思い出した際のショックは和らぐよ。あとは各々しだいさ」
「そうか」
翠と私は資料館を出た。
恐らく、魔女は自分の計画が破綻したことに、もう気付いているだろう。
「白蛇と白狐に報告しないといけないか?」
「眷属なら、すぐに気付くよ」
辺りには誰もいない。
目の前に蒼月書店へ続く襖が出現した。
「そろそろ、魔女と久しぶりにご対面したいところだね」
翠は蒼い月の光を浴びながら、翠色の瞳を怪しく光らせ、薄く笑った。
蒼月書店の奇々怪々Ⅸ ーみせかけの幸福ー 望月 栞 @harry731
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます