7歳で立った処刑台

ガビ

7歳で立った処刑台

 友達100人できるかな。


 有名な童謡の歌詞通りに、私の小学校生活は始まりませんでした。


 100人どころか、1人もできません。

 私の人生において、友達の作り方を忘れる時期というのが定期的に訪れます。


 幼稚園の頃は少ないのですが、一緒に泥団子を作ったりした子がいたのです。

 しかし、小学校という新しい環境に身を置いた途端、人とのコミュニケーションの取り方を忘れてしまいました。


 そのまま2年生の6月になり、1人で過ごすのにも慣れてきた頃、あの出来事が起きました。


「ガビ君がクラスに馴染むにはどうすればいいのか、みんなで考えよう!」


 担任のY先生が、学級活動の時間が始まると同時に、そう言いました。


 Y先生は当時40歳くらいの女性で、何かと説教の多い人でした。


 例えば、1人の子が授業に遅刻してきたとします。

 するとY先生は顔を真っ赤にしてその子を罵り、そのとばっちりで我々他の生徒にも暴言を飛ばします。


 そして、遅刻してきた子を廊下へ連行していきます。

 3分ほどすると、その子の口には汚い口紅がついていました。


 そう。Y先生は怒りが最高潮に達すると罰と称して生徒にキスをするという常軌を逸した行動を取るのです。


 ちなみに、その対象は男の子。


 精神的なダメージを与えるためなのか、個人的な趣味なのかは分かりません。

 その子は青ざめた顔をして自分の席にやっと座ります。


 当時は平成半ば。

 そんな教師がギリギリ存在していた時代です。


 その先生による矛先が自分に向くのは恐怖以外の何者でもありませんでした。


 そして今、私がターゲットとなったのです。


 Y先生は、黒板にドデカく「ガビ君がクラスに馴染むためには?」と書きました。


 私は恥ずかしいやら情けないやらで、頭がゴチャゴチャになっていました。


 本当に余計なお世話です。

 実は当時の私は1年と少しで、1人でも意外とどうにかなることは学んでいました。


 もちろん、友達はいた方が楽しいだろうけど、イジメを受けているわけでもないのだから、無理に作る必要はないかなと自分で折り合いはついていたから、そんな会は必要無いのです。


 私は教卓の横に移動させられて、みんなからの視線を一斉に受けることになりました。


 みんながどんな顔をしているのかを知るのが怖くて、正面を向けませんでした。


 迷惑そうにしているだろうか。

 笑われているだろうか。

 同情しているだろうか。


 まるで、犯罪をしでかして裁判にかけられているようでした。

 弁護士がいるかも疑わしい、雑な裁判。

 分かっているのは、裁判長はY先生なのだろうということだけ。


「はい。では⚪︎⚪︎くん。どう思いますか?」


 Y先生はある生徒を指します。


 ⚪︎⚪︎くんは明るくて、私にも挨拶をしてくれる優しい子でした。


「え……。俺達が積極的に遊びに誘う……?」


 模範的な解答。

 もうこれが結論でいいよ。私も頑張るから、早く終わらせてくれ。


 心からそう思いました。


 しかし、Y先生は許してくれません。


「そうね。でもガビ君は運動が得意ではなのは知ってるでしょう? ⚪︎⚪︎くんの遊びは大体が外遊びだからそれは適していないわね」


 なんだ。

 何がしたいんだ。


 もしかして、裁判ごっこをしたいだけではないのか?

 いや、裁判をすっ飛ばして私を処刑したいのか?


 そう思ったら、教卓の横が処刑台のように感じてきました。


 Y先生は続いて××さんを指名しました。

 クラスの女子のリーダー的な存在で、ズバズバものを言うことができる子です。


「えー……ガビが、みんなと仲良くできるように頑張ればいいんじゃないですか?」


 この発言をきっかけに、女子を中心にして私を攻撃しても良いという空気が出来上がりました。

 出来上がってしまいました。


「そうだよ! ガビが自分から動きなよ!」


「いつも暗い顔しててさー」


「っていうか、ガビも黙ってないでなんか言いなよ!」


 そんな言葉を浴びせられている中、私は泣きたくて仕方がありませんでした。


 しかし、それをしたら完全に負けだと感じ取り、必死に涙を堪えていました。


 何に負けるのかは、未だに分かりません。


 Y先生?

 攻撃してくる女子達?

 それとも、学校そのもの?


 どれもしっくりきません。


 しかし、当時の私は、そんな不透明な概念に負けてたまるかと踏ん張っていました。


 30分ほど攻撃が続き、Y先生が「それでは、ガビくんはもっとコミュニケーションを頑張りましょう」という結論で処刑ショーは終わりました。

 始まりも雑だったから、終わりも雑だったのです。

\



 あれから10年以上経ちます。


 とても巧く立ち回れているとは言えませんが、何とか生きています。


 そして、少ないですが友達もいます。

 あんな会を開かなくても、友達は気がついたらできるものなのです。


 今でも時節、あの処刑ショーを思い出すことがあります。

 もちろん嫌な想いをするのですが、それと同時にあの時の私を褒めてやりたくもなります。


「よく泣かなかった!」


 あの時に、お前が踏ん張ってくれたから、今も自分を保っていられる。


 ありがとう。


 あと、偉そうだけど1つだけアドバイス。


 これから、悪いこともたくさんあるけど、たまには良いこともあるから。


 例えば、自分が書いた小説を褒めてくれる人達に出会ったりとか。



-了-

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7歳で立った処刑台 ガビ @adatitosimamura

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