第36話

 小舟は重かった。

 普段ならシーナと二人だけで軽快に走る船だ。

 だが今は、助けた男たちがぎゅうぎゅうに乗っている。

 潮の流れも素直じゃない。

 それでも俺たちは、舵を握り続けた。


 「レン様、帆を少し緩めた方がいいかもしれません!」


 「了解! シーナ、頼む!」


 「はいっ!」


 シーナは即座に帆を調整し、風を適切に捉え直す。

 小舟がわずかに持ち直した。


 「おい……本当に、この船で大丈夫なのかよ」


 後ろの方から、乗組員の一人が不安そうに声を上げた。

 俺は振り向かずに答えた。


 「大丈夫だ。この潮は、俺たちを運んでくれる」


 「そんなこと言って、沈んだらどうすんだ!」


 「沈まない。俺たちは波と一緒にいる。

  それに、海に生きる者なら、海を信じろ」


 そう言うと、男たちは黙り込んだ。

 潮風に、ほんの少し緊張が緩む気配が混じった。


 シーナがそっと俺に耳打ちする。


 「レン様、皆、不安なんです」


 「わかってる。

  でも、今は、俺たちが信じて引っ張るしかない」


 「はい……」


 潮導核の脈動が俺に伝えてくる。

 西の方角に、まだ見えないが島がある。

 そこまで辿り着けば、全員を助けられる。


 「もう少しだ。絶対、届ける」


 


 数時間が過ぎ、空は夕暮れに染まり始めていた。

 海も、赤く燃えるような色に変わっていく。


 「レン様……あれ!」


 シーナが指差す先に、陸地の影が見えた。


 「よし! あそこだ!」


 声を張り上げると、男たちにも希望の色が戻った。


 「おお……本当にあった……!」


 「助かった……!」


 それぞれが思い思いに呟く。

 俺は舵を微調整しながら、小舟を慎重に進めた。


 「油断するな。

  最後まで、気を抜くなよ!」


 「お、おう!」


 誰もが必死に船縁を掴みながら、前方を見据えた。


 


 やがて、浜辺に小舟の船底が触れる。

 俺は飛び降りて、ロープを引き寄せた。


 「降りろ! 全員、急げ!」


 男たちは次々と砂浜へと足を踏み入れる。

 一人、また一人と。


 最後にシーナが船を降り、俺の隣に立った。


 「……間に合いましたね」


 「ああ。全員、生きてる」


 海に向かって一礼した。

 助けてくれた潮に、心の中で礼を言った。


 


 浜辺に並んだ男たちは、ぼうっと海を見つめていた。

 その中のリーダー格の男が、俺たちの方へ歩み寄る。


 「助かった。

  ……本当に、助かった」


 そう言って、深く頭を下げた。


 「礼なんかいい。

  生きて、また波を繋げ」


 「……あんた、何者なんだ?」


 「ただの、波の旅人だ」


 俺が笑って答えると、男も苦笑いを浮かべた。


 「そうか……そうだな。

  あんたみたいなのが、波にいるなら、まだこの海も捨てたもんじゃねぇ」


 「そうだろ?」


 俺たちは拳を軽く打ち合わせた。

 それだけで、もう充分だった。


 シーナが、そっと俺に囁く。


 「レン様……次は、どこへ?」


 「潮が教えてくれるさ」


 俺は潮導核を手に取り、耳を澄ませた。

 西へ、さらに西へ。

 まだ見ぬ波が、俺たちを待っている。

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