第30話

 夜が明ける前、俺はひとりで浜辺に立っていた。

 潮の満ち引きを感じながら、心を整える。

 今日、俺は試練に臨む。

 この海に生きると決めた以上、逃げる理由なんてない。


 足元に寄せては返す波が、優しくもあり、鋭くもある。

 海は優しいばかりじゃない。

 甘える者には容赦なく、試す者には応える。

 そんなこと、もう知っている。


 「レン様」


 振り返ると、シーナがいた。

 彼女も目覚めて、俺を探してきたのだろう。


 「よく眠れたか?」


 「はい。レン様こそ……」


 「眠れなかったよ。でも、不安じゃない。

  ただ、心が波立ってるだけだ」


 シーナはそっと微笑んだ。


 「それは、きっと波があなたを祝福しているからです」


 「だといいな」


 俺は空を見上げた。

 夜明け前の空は、濃い藍色からゆっくりと朱に変わりつつあった。


 「そろそろ行こう」


 「はい」


 俺たちは村の中央へ向かう。

 すでに長老や村人たちが集まっていた。

 カイも槍を手に、真剣な顔で立っている。


 「レン・タカナ。試練に赴く覚悟はあるか?」


 長老の問いに、俺は真っ直ぐ頷いた。


 「あります」


 「よかろう。では、案内しよう。

  ナグア・アシラの潮穴へ」


 長老を先頭に、俺たちは村を後にした。

 潮風が背中を押してくれる。

 俺は拳を握りしめた。

 この一歩が、きっと未来に繋がる。


 


 潮穴へ向かう道は険しかった。

 密林を抜け、切り立った崖を登り、急な斜面を下る。

 潮霧が濃く立ち込める中を、俺たちは黙々と進んだ。


 カイが先導しながら振り返る。


 「レン、気を抜くなよ。潮穴は生半可な場所じゃない」


 「ああ、わかってる」


 俺は息を整えながら答えた。


 やがて、視界が開けた。


 そこには巨大な裂け目が広がっていた。

 地面が大きく割れ、海水が満ち引きしながら渦を巻いている。

 まるで、海そのものに飲み込まれそうな錯覚を覚える。


 「ここが……潮穴か」


 俺は足元に立ち、裂け目の中心を見下ろした。

 水底は見えない。

 底なしの闇が口を開けている。


 長老が杖を突きながら言った。


 「この潮穴に降りよ。

  波に己を預け、心を繋げ。

  さすれば、潮魂石は応えるであろう」


 「……わかりました」


 俺は一歩、踏み出した。


 シーナが心配そうに呼び止める。


 「レン様……!」


 「大丈夫だ。信じてくれ」


 俺は微笑んで、彼女に背を向けた。


 足元から潮が巻き上がる。

 俺はそのまま身を躍らせた。


 重力を忘れる一瞬、全身が潮に抱かれる。

 海に溶けるような感覚。

 それが怖いとは思わなかった。


 潮は俺を飲み込み、深い深い世界へと引き込んでいく。

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