第31話

 潮穴の中は、思った以上に温かかった。

 海水に包まれながら、俺は漂っていた。

 重さも苦しさもない。

 音もない。

 そこにあるのは、波の脈動だけだった。


 俺は目を閉じ、潮導核に意識を集中させた。

 潮の流れが俺を撫で、導こうとしてくる。

 この潮の中に、俺が求める“何か”がある。

 それだけは確かだった。


 体を委ね、波の道をたどる。

 右へ、左へ、上下にも。

 俺の体は、まるでひとつの泡になったかのように自由だった。


 どれだけ漂ったか、時間の感覚もなくなった頃、視界の端に何かが光った。


 あれだ。

 直感で確信した。


 俺は手を伸ばす。

 光は小さな球体だった。

 青白く輝き、周囲の水を優しく震わせている。


 「……潮魂石」


 俺はそっと触れた。


 その瞬間、全身を突き抜ける衝撃。

 だが、それは痛みじゃない。

 命の深層に直接触れるような、圧倒的な感覚だった。


 潮魂石から、言葉にならない声が流れ込んできた。


 


 ――汝、波を繋ぐ者か。

 ――汝、命を護る者か。

 ――汝、海と共に在る覚悟はあるか。


 


 問いかけは、声ではなかった。

 それでも、俺は答えた。


 「ある。俺は、波と共に生きる」


 言葉が潮に溶け、波となって拡がった。


 


 ――ならば、示せ。

 ――波を殺さず、命を断たず、己を差し出せ。


 


 俺は迷わなかった。

 両手を広げ、心をさらけ出した。


 潮魂石が強く輝き、俺の胸に飛び込んでくる。


 視界が真っ白に染まり、俺は深い深い夢を見る。


 


 そこは、始まりの海だった。

 まだ世界が形を持たなかった頃。

 光と闇が渦巻く中、最初の波が生まれた。

 波は命を呼び、命は波を育てた。


 その律を裏切った者たちがいた。

 波を断ち、潮を汚し、命を奪った。

 だから、海は彼らを拒み、深く沈めた。


 だが、忘れてはならない。

 波は、いつだって繋がろうとしている。

 命と命を、世界と世界を。


 それが、潮魂石に刻まれた真理だった。


 


 意識が現実に引き戻される。

 俺は潮魂石を胸に抱きながら、浮上していた。


 水面が見える。

 陽の光が、俺を迎えにきている。


 俺は力強く水を蹴った。

 波と一緒に、未来へと向かって。



 水面を突き破ると、朝陽が眩しかった。

 俺は深く息を吸い込み、潮魂石を胸に抱えたまま浜辺に泳ぎ着いた。

 砂を踏みしめる感触が妙に新鮮だった。


 「レン様!」


 シーナが駆け寄ってきた。

 その顔には、心配と喜びがないまぜになっている。


 「無事でよかった……!」


 「大丈夫だ、ちゃんと戻ってきた」


 俺は笑って見せた。

 潮魂石の輝きが、胸元で脈打っている。

 それを見たシーナの瞳が驚きに見開かれた。


 「それ……潮魂石を……!」


 「ああ。受け取った。

  俺は、波と命を繋ぐって誓ったからな」


 その言葉を聞いて、シーナはぎゅっと胸元に手を当てた。


 「……本当に、あなたは選ばれたのですね。

  波だけでなく、この海そのものに」


 「選ばれたんじゃない。選び返したんだって、何度も言ってるだろ」


 苦笑しながら答えると、シーナも小さく笑った。


 カイが後ろから駆け寄ってきた。


 「すげぇな、レン! 本当に潮魂石を……!

  俺たちだって、誰も触れたことないってのに!」


 「カイ。俺は、この島の潮と向き合っただけだ」


 「……やっぱり、ただの旅人じゃねえな」


 カイは真剣な目で俺を見た。


 「お前は、波を起こす者だ。

  この海を、きっと変える」


 「変えるつもりはない。

  ただ、繋ぎたいだけだよ」


 そう答えると、カイは嬉しそうに笑った。


 「それで十分だ!」


 村の人々が集まってくる気配を感じた。

 潮魂石の光に引かれたのだろう。

 彼らの目は、希望と敬意に満ちていた。


 長老も歩み寄り、俺を見上げた。


 「レン・タカナ。

  おぬしは、この島の守りしものたちに認められた。

  この潮魂石を以て、波の律をさらに広げよ」


 「……はい」


 深く頷いた俺に、長老は杖を突き立てた。


 「今日より、そなたは“波導の旅人”だ。

  この海に生き、この海を繋ぐ者として、歩み続けよ」


 村中に、波のような歓声が広がった。

 俺はその中心に立ちながら、潮の音に耳を澄ませた。


 「シーナ、これからも一緒に行こう」


 「もちろんです、レン様」


 彼女の手が、俺の手に重なる。


 波は、まだまだ遠くへ続いている。

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