第27話

 小舟の舳先が白い砂浜に触れたとき、俺は潮導核に意識を集中させた。

 潮の流れ、風の気配、空気に混じる微かな緊張感――すべてが俺に警告を送っていた。


 「シーナ、準備しておけ。何が起きてもすぐ動けるように」


 「了解です」


 俺たちは互いに目を交わし、無言のまま浜へと足を踏み入れた。

 砂は乾いているはずなのに、どこか生ぬるく、足元を這う潮の気配が普通じゃなかった。


 風が頬を撫で、耳にさざ波の音が届く。

 だが、その音も、どこか不自然に思えた。

 リズムが一定すぎる。自然の波はもっと揺らぐものだ。


 「この島、何かに守られてる……?」


 俺は低く呟いた。

 シーナも頷く。


 「結界か、あるいは……」


 そのときだった。

 茂みの陰から、少年が現れた。

 褐色の肌、引き締まった体躯、腰には簡素な布を巻きつけただけ。

 手には、長い槍を持っていた。


 少年は俺たちをまっすぐに見据え、叫んだ。


 「止まれ! ここは、外の者の立ち入りを禁じた島だ!」


 その声には迷いがなかった。

 震えも、怯えもない。

 彼は本気でこの島を守ろうとしている。


 「俺たちは敵じゃない」


 俺は両手を広げ、潮導核を見せた。

 海と共に歩む者の証だ。


 少年の目が一瞬揺れた。

 だが、すぐに警戒を強めた。


 「たとえ海に選ばれた者でも、この島には立ち入れない。

  すぐに戻れ。さもなくば……!」


 彼は槍を構えた。


 「待ってくれ。俺たちは、力ずくで入ろうなんて思ってない」


 俺は一歩だけ前に出た。

 潮導核の力を少しだけ解放し、周囲の潮流を穏やかに整える。

 敵意がないことを、海を通して伝えるために。


 少年は微かに眉をひそめた。

 だが、槍は下ろさなかった。


 「名を名乗れ」


 「レン・タカナ。波に選ばれた者だ」


 「私はカイ・サルナ。この島の“番人”だ」


 カイは槍を肩に担ぎながら言った。


 「この島は、かつて海精に選ばれた者たちの聖域。

  波を忘れ、海を汚した者たちを拒む場所だ」


 「海を汚すつもりなんてない」


 俺は言葉を選びながら、カイに向き合った。


 「俺は、波を繋ぐためにここへ来た。

  奪うためでも、壊すためでもない。

  この海を、命を、未来へ繋ぐために」


 カイの目が僅かに揺れる。

 だが、彼は頑なだった。


 「言葉だけなら、誰でも言える」


 「だから、証を見せる」


 俺は足元の潮を掬い上げ、潮導核の力を通して波を編み上げた。

 水が空中に浮かび、小さな波模様を描く。

 それは、海との誓いを示す儀式の一つ。


 カイの目が驚きに見開かれた。


 「それは……波誓の印……」


 「俺は嘘をつかない。

  波と共に生きると誓った」


 カイは槍を下ろし、少しだけ息を吐いた。


 「……わかった。

  お前たちを村まで案内する。

  だが、長老たちが許さなければ、この島に留まることはできない」


 「それでいい。案内してくれ」


 俺はシーナと目を合わせ、彼女もうなずいた。


 


 カイの後を追い、俺たちは森の中へと入った。

 道は狭く、根が絡み合い、湿った葉の匂いが漂う。


 だが、不思議と嫌な感じはしなかった。

 この島全体が、ひとつの生き物のように脈打っている。


 カイは道々、ちらりと俺たちを振り返りながら言った。


 「この島は、“ナグア・アシラ”と呼ばれている。

  海精たちが眠る場所であり、波の律を守る聖地だ」


 「海精……」


 俺は呟いた。

 精霊の漂島で見た存在たちと、どこか似た響きがあった。


 「お前たちが何者であれ、島の律を破れば、海そのものがお前たちを拒絶する。

  それだけは忘れるな」


 「わかってる。

  俺たちは、共に生きるために来たんだ」


 そう告げた俺の言葉に、カイは小さく頷いた。

 森を抜けると、そこに広がっていたのは、小さな村だった。


 藁葺きの家々。

 潮風に揺れる布。

 焚き火の煙が立ち上り、子供たちの笑い声が微かに聞こえる。


 俺は胸の奥に温かいものが満ちていくのを感じた。


 「……いい島だな」


 思わず零した俺の言葉に、カイは少しだけ誇らしそうに笑った。


 「当たり前だ。ここは、波に愛された島だからな」

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