第23話

 門をくぐった瞬間、俺の全身を包み込むような濃密な潮気が押し寄せた。

 空気そのものが、海に変わったかのような錯覚。

 だけど息苦しさはない。むしろ、体中が海に馴染んでいく感覚だった。


 目の前に広がっていたのは、巨大なドーム状の空間だった。

 天井は見えないほど高く、四方の壁は淡く輝く水晶でできている。

 その中心には、ひとつの石碑が浮かんでいた。

 浮かぶ、という言葉がこれほどしっくりくる光景はなかった。

 石碑は潮の流れに乗って、ゆるやかに旋回している。


 シーナが隣で息を呑んでいる気配がした。

 でも俺は、目の前の石碑から目を離せなかった。

 そこから溢れてくるのは、単なる魔力でも、生命力でもない。

 もっと根源的な、海の“記憶”だった。


 潮導核が脈打つ。

 俺の中の波が、共鳴して叫び出す。


 「……行くぞ」


 石碑へ向かって一歩踏み出す。

 足元に広がる水晶の床が淡く光り、波紋が広がる。


 一歩ごとに、過去の声が聞こえてくる。

 誰かの叫び。誰かの祈り。誰かの誓い。


 すべてが、海と生きた者たちの魂の記憶だった。


 俺は立ち止まらない。

 胸に手を当て、確かめる。

 今、俺がここに立っているのは、誰かに命じられたからじゃない。

 自分で選んだからだ。


 だから負けるわけにはいかない。

 どんな波が押し寄せようと、俺は、俺の波を貫いて進む。


 やがて、石碑の真下に辿り着く。

 その表面には、波の紋様がびっしりと刻まれていた。


 指先でなぞった瞬間、潮が爆ぜた。


 目の前に広がる新たな世界。

 それは、海が誕生する前の記憶だった。


 


 ――世界は、まだ“空(から)”だった。


 風もなく、波もなく、ただ光と闇だけが渦巻いていた。

 そこに最初の雫が落ちた。

 それが、すべての始まりだった。


 雫は波となり、波は海を作った。

 海は命を育み、命はまた波となった。


 最初に海と契約した者たちは、それを知っていた。

 海は命であり、命は波であり、波は絶えず巡るものだと。


 支配するものでも、恐れるものでもない。

 ただ、共に在るべきもの。


 それが、最初の契約者たちの“誓い”だった。


 


 記憶が流れ去り、俺は現実に引き戻された。

 目の前の石碑が砕け、無数の光の粒となって舞い上がる。


 その光が、俺の体に吸い込まれていく。


 胸が熱い。

 体の奥底に、確かな“波”が根付いていくのを感じた。


 《新スキル獲得:原初の波(げんしょのなみ)》

 《効果:潮流、風流、命流すべてに干渉し、自然界の調律を最適化する》


 力じゃない。

 支配でもない。

 調和だ。

 命を繋ぐための、本当の“波”。


 俺は拳を握り、確かに宣言した。


 「これが、俺の力だ」


 シーナが俺の隣に立つ。

 彼女の顔にも、確かな誇りが浮かんでいた。


 「レン様……あなたは、本当に“選ばれた”んですね」


 「違う。俺は、選び返したんだ」


 潮の音が俺たちを包み込む。

 この島に眠っていたすべてを受け取り、俺たちは、次の海へと歩き出す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る