第20話

 光の道をさらに進んでいくうちに、俺は肌に触れる空気が変わっていくのを感じた。

 潮の匂いは薄れ、代わりに、ほのかに甘いような、どこか懐かしい香りが漂い始める。

 それは、子供の頃、嵐が去ったあとの浜辺で嗅いだ、あの潮混じりの花の匂いに似ていた。


 俺とシーナは無言のまま歩き続けた。

 ここでは声を発するのが憚られる。そんな神聖な空気に満ちていた。


 やがて、道の先に石造りの門が現れた。

 門には文字が刻まれている。見たこともない文字だったのに、不思議と意味だけはすぐに分かった。


 ――ここより先、波を繋ぐ者のみ通るを許す。


 俺は右手の潮導核を見た。

 紋章は確かな輝きを放っている。

 迷う理由はなかった。


 「行こう」


 小さく呟いて、門を押し開く。

 ギギィ、と重たい音がしたかと思うと、潮の匂いが一層強くなった。


 門の向こうに広がっていたのは、広大な水庭だった。

 浅く張られた透明な水の上に、無数の小島のような白い石が点在している。

 そこを踏み越えながら進んでいく造りだ。


 水面は鏡のように空を映し、まるで天と地が一つになったかのような錯覚を覚えた。


 「……すごい」


 俺は思わず息を呑んだ。

 言葉にできないほど、美しい光景だった。


 シーナも、隣で目を輝かせている。

 けれど、ただ見惚れてばかりはいられない。


 この水庭にも、何かの“試練”がある。

 そう、潮の気配が告げていた。


 俺は慎重に、一歩目の白石に足を乗せた。

 水面が微かに震えた。

 だが、崩れたり沈んだりする様子はない。


 二歩、三歩と進む。


 そのときだった。


 突然、水面が蠢いた。

 白石の間から、青い光の柱が噴き上がり、水の中から“何か”が現れた。


 それは、人の姿をした水の精霊だった。


 全身が水でできたような透明な体。

 顔立ちも曖昧で、ただ波のような髪と、瞳だけが淡く光っている。


 精霊は俺に向かって手を伸ばしてきた。


 それは攻撃ではない。

 試しているのだ。


 俺がどう応じるかを。


 俺は両手を広げ、潮導核を輝かせた。

 言葉ではなく、波のリズムで応える。


 すると、精霊の動きが変わった。

 攻撃するでもなく、退くでもなく、俺の前に立ちはだかるようにして、道を示した。


 「……そういうことか」


 この水庭は、精霊たちと“波を合わせながら”進まなければならない。

 力で押し切るのではない。

 波を読み、呼吸を合わせ、共に進む。


 俺は歩みを止めず、精霊たちの波動を感じ取りながら進んだ。


 一歩進むごとに、違う精霊が現れ、違うリズムで波を作る。

 それに合わせて、俺も動きを変える。

 時には歩幅を小さく、時には大きく。

 潮の流れを読むように、風のささやきを聴くように。


 まるで、海そのものと踊っているようだった。


 シーナも、俺の後ろについてきていた。

 彼女もまた、波を読む者。

 だからこそ、この場を共有できるのだろう。


 


 どれほど歩いただろうか。


 やがて、水庭の中心に辿り着いた。


 そこには、ひとつの石碑が立っていた。

 白銀に輝く石の表面には、波の紋様が刻まれ、その中央に、小さな蒼い光が灯っていた。


 それは、間違いなく――


 「……第二の潮核石」


 俺は、震える指先でそれに触れた。

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