第9話

 レク・アハン率いるシュ=レウの船団が視界から消えてしばらく、

 俺とシーナは桟橋に佇んだまま、何も言葉を交わせずにいた。


 海は穏やかだった。

 波の動きも、風の流れも落ち着いている。

 だが、静けさの中に潜む緊張感が、肌に刺さるようだった。


「レン様……どう思いますか、あの男の言葉」


「“秩序”ってのは、聞こえはいいけど……あいつらが言ってたのは、“支配”だ」


 そう、言い切れる。

 《潮の眼》を通じて見た、あのレクの言葉の裏――

 波の乱れが一切ない。感情の波長すら制御されているかのような言動。

 それはまるで、人工的な海域に生きている者のようだった。


「海は生きてる。時に暴れ、時に沈黙する。

 それを“閉じ込めて”動かそうなんて、本来の海の姿じゃねえよ」


 俺の言葉に、シーナは頷いた。


「……それは、きっと母も望まない“かたち”でしょう。

 シュ=レウは、確かにかつて契約を交わした尊き一族です。

 ですが今は、あのようにして海の声を押し黙らせている。

 海の力を“管理”するためにしか、使っていない」


「なら、俺は――その逆をやる」


 波に耳を澄まし、風の言葉を聴き、潮と共に動く。

 それが、“選ばれた者”としての本当の在り方だと、セラシオンが教えてくれた。


「島の他の者たちにも伝えた方がいい。

 これから先、あいつらが何をするか分からない」


「はい、すぐに村の中央広場へ案内します。

 ミリアナには、私以外にも波を知る者たちがいます。

 彼らと話し合いましょう」


 


 村の中心にある円形広場は、珊瑚と白砂で舗装された、穏やかな集会所だ。

 椰子の木が影を落とし、その中心には“潮の火”と呼ばれる青い焔が灯されている。


 シーナの呼びかけに応じて、数名の住民が姿を現した。

 皆、海民らしく褐色の肌に風に晒された髪をしており、瞳は深く澄んでいる。


「皆さん、聞いてください。

 本日、このミリアナの島に“律潮の使い”が現れました。

 シュ=レウの使者、レク・アハンを名乗る者たちです」


 どよめきが広がる。


 その名は、島の者たちにも伝承として残っていたのだろう。

 あまりにも古く、あまりにも遠い存在として。


「彼らは、“海の秩序を正す”と言っていました。

 けれど、その方法は“支配”に他なりません。

 波を、風を、命を、彼らの意志の下に縛りつけようとしているのです」


 俺の言葉に、重く沈黙が広がる。


 だが、ひとりの長老が前へ進み出た。


 彼の名はオルー。

 潮の観測を担う“海読み”の老爺であり、この島で最も長く海を見てきた者だ。


「……おぬしは、龍の力を持つのだな?」


「ああ。セラシオンと契約した。名は、レン・タカナ。

 でも、俺はただの漁師の息子だ。特別な血なんて持っちゃいない」


「そうか……よかろう。

 ならば、わしらは“おぬし”を信じよう。

 海に選ばれし者が、波を恐れぬのであれば、わしらもまた恐れぬ」


 その言葉と共に、住民たちが一斉に頷く。


 風が吹いた。

 それは、祝福のように、俺の背を押してくれた。


 そして、俺の中の波が告げる。


 ――試練は、これからだ。


 だが、もうひとりじゃない。

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