第10話

 潮の火を囲むように集った島の者たちの間に、決意の空気が広がっていた。

 オルーの一言が、それを導いた。

 彼の言葉には、力があった。何十年も海と共に生き、波に揉まれてきた男の声には、若者では到底持ち得ない“重み”がある。


「波を読むことは、命を読むことじゃ。

 レンよ、そなたがその波に選ばれたのならば、わしらは従う。

 ただし、従うだけではあかん。守り、共に進む。それがこの島のやり方じゃ」


「……ありがとう」


 言葉にすると簡単すぎて軽く感じるけど、今の俺には、それしか言えなかった。


 他の村人たちも、それぞれに準備を始めていた。

 港では若い漁師たちが網と槍を整え、巫女見習いの少女たちは祈祷の布と潮符を織り出していた。

 波の巫女の系譜を持つシーナは、島の象徴として、彼らの中心に立っている。


 彼女は忙しそうに手を動かしながらも、時折こちらに目を向けて微笑む。

 その笑顔が、何より力になる。


「……あの波が来る前に、備えておくことがある」


 俺は海辺に降りた。

 砂浜に腰を下ろし、右手の紋章に指を当てる。


「セラシオン……聞こえるか?」


 風が吹いた。


 海面が、さざ波を立てる。


 それは返事だった。


「お前の一族と契約を結んだというレク・アハン。あれは……本当に、“海のため”に動いてるのか?」


 しばらくの間、返事はなかった。

 だが、次の瞬間、潮が一段と強く打ち寄せ、砂を濡らした。


 《否》


 ひとつの“感覚”が、脳裏に直接流れ込んでくる。


 言葉ではない。

 だが、確かに伝わった。


 セラシオンは、レクの存在を“認めていない”。


「……やっぱり、そうか」


 そのとき、視界の隅で光が揺れた。

 砂浜の奥、古びた岩場の先――小さな祠が、光を放っている。


 「……これは?」


 俺は立ち上がり、祠へと足を運んだ。

 そこには、潮に洗われながらも崩れずに残っていた、石碑のようなものがあった。


 その表面には、見覚えのない文字――けれど、何故か読める言葉が刻まれている。


《選ばれし者よ。

 波の力を得し者よ。

 もし、汝が真に海と歩まんと欲するならば――

 ここに、試練を受けよ。》


 試練。


 その言葉に、手の紋章がまた熱を帯びる。


 この島には、ただ力を与えるだけではない、“導く意思”がある。


 俺は振り返った。

 シーナがこちらに気づき、駆け寄ってくる。


「レン様、その祠……!」


「知ってるのか?」


「……いいえ。でも、私の夢に、何度もこの場所が出てきたんです。

 幼い頃から、繰り返し――“ここに、始まりがある”と」


 始まり。


 セラシオンと契約した今でも、まだ“始まり”にすぎないというのか。


 けれど、それは怖さではなく、むしろ確信を与えてくれた。


 ここから先は、ただ力を振るうだけじゃない。

 何を望み、何を選ぶか――自分自身の“在り方”が試される。


「……行こう、シーナ。この先に、俺の波があるなら」


 彼女は頷き、俺の隣に並ぶ。


 そして、潮の匂いの中で、俺たちは祠の扉を押し開いた。

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