第4話

「わたし不倫してたんだ」

 雪を見ながら、ぽつりとつぶやいた。

「上司とね。最初は知らなかったの。」


 頑張り屋の雅代が好きだよ。

 そう言って笑う彼が好きだった。


「年は離れてるけど頼りがいがあってお金も余裕もあって。奥さんいるってわかっても止められなかった」

 望の顔を見ることができない。

 家族を持っている望からしてみると、どれだけ馬鹿な話に聞こえるだろうか。


「あとは定番。バレて、上司は保身に走って、責任はわたしに。ひとまず休職届けだけ突きつけて帰ってきたんだ」

 ふふ、と小さく笑う。

 くだらないな、と自分でも思っている。


 どうしたらいいかわからない時、ここの景色が浮かんだのだ。

 時が止まり、何もかも飲み込んでしまうような静けさ。

 あれ、もう一度見たいな。


 ……で、まあ実際来たら、孫でもない男はしょっちゅう出入りし、そいつにより家の中はかなり都会になっていたが。


「家族がいて、お家もあって、仕事もしてて、なんか楽しそうな望見たら嫉妬した。ごめんね」


 小さく頭を下げ、雅代はもう一度謝った。


「もう大丈夫。寒いし中入ろ……」

「楽しくなかったよ」


 扉に手をかけたところで、望がぽつりとつぶやいた。

 雅代は動きを止め、望を見る。


「楽しくなかった」

「……どういうこと?」

 雅代が聞き返す。

 望は小さな声で言った。


「まーちゃんが大学に進学した時、羨ましかった。都会で働き出した時、ずっといいなあって思ってた」

 雅代は黙って聞いた。

 そんなの初めて知った。望は家を継ぎたいんだと思っていたが、継がざるを得なかっただけなのかもしれない。


「まーちゃんは知らないと思うけど、俺二十歳くらいの時にギャンブルで借金作っちゃったんだ」

「借金⁉︎」

 驚いて大きな声が出てしまう。

 望が情けなく笑った。

「なんにも楽しくなかった。周りは学校生活エンジョイしてるのにさ、俺はドロドロになりながら働いて、望は勉強しなくていいよなあ、なんて言われて。俺も、勉強ニガテだしちょうどよかったあ、なんて言っちゃって。いっつも心ががさついてて、パチンコはじめたのがきっかけ」

 ……全く知らなかった。

 このへらへらとした笑顔が消え、パチンコ屋で死んだ目をしている望を想像してみる。

 ……が、想像がつかない。


「毎日毎日パチンコ行って、休みの日も朝から並んじゃって、勝っても負けてもムカついて、気づけば借金が百万くらいあった。当然返せなくてさ、親父に言ったらカンカンで」

「そりゃあそうでしょうねえ……」


 おじさんは、望と真逆で厳しい人だった。


 望は小学校低学年の時、いじめられていた。

 べつに守ってやろうなんて思っていなかったが、一緒にいる時も絡まれるんだから仕方なく庇う形になっていた。

 その姿を偶然見たおじさんは、いじめっ子ではなく望に対して激怒した。


 情けない、と。

 お前は守ってもらって泣いているだけなのかと。


 寡黙だが、もともといかつくて強面のおじさんが本気で怒ると、迫力が違った。


 それっきり、望へのいじめはいつしかなくなっていた。

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