2章 森への挑戦とスキルの自覚
第6話 森への一歩と、スキルの確信
朝靄がまだ街に立ち込める中、僕は自室で出発の準備を整えていた。
今日の目的地は、深淵の森。フロンティアの街を囲む広大な森で、エルニー平原とは比べ物にならないほど危険な場所だ。けれど、今の僕には確かめたいことがあった。昨日確信に変わった、この不可解な力…スキルの正体を。そして、それがどこまで通用するのかを。
腰には手入れしてもらったばかりの安物の剣。体には擦り切れた革鎧。背中の袋には、十分とは言えないけれど、干し肉と水袋、ロープ、そしてなけなしのお金で買った一番安いHPポーションを数本、最低限の道具を詰め込んだ。
(もう少し、準備を整えたいな…)
昨日の報酬で、懐には少し余裕ができた。そうだ、シルヴィアさんの雑貨屋に行ってみよう。何か森で役立つものが見つかるかもしれない。
「木漏れ日亭」を出て、朝のまだ人通りの少ない道を歩く。シルヴィアさんの営む雑貨屋「迷いの森」は、少し入り組んだ路地にある。エルフの店主らしく、どこか神秘的な雰囲気が漂う店構えだ。
貧乏な僕だが、なぜか、この店が気に入っている。シルヴィアさんもなぜか、いつも何も買わない僕のことを気にかけてくれている。
カラン、とドアベルを鳴らして店に入る。様々な品物が所狭しと並べられた店内は、薬草や古い本の匂いが混じり合って、独特の空気を醸し出していた。
「あらあら、カイトさん。おはようございます。今日はまた、随分と早いお出ましですこと」
カウンターの奥から、店主のシルヴィアさんが優雅な微笑みを浮かべて現れた。長い銀髪がさらりと揺れる。その美しさと、どこか全てを見透かすような瞳には、いつ見ても少し緊張してしまう。
「おはようございます、シルヴィアさん。あの、今日はこれから深淵の森へ行こうと思いまして。何か、森で役立ちそうなものはありますか?」
「まあ、森へ? それはまた、随分と積極的になられましたのね」
シルヴィアさんは少し驚いたように目を丸くしたが、すぐにいつもの微笑みに戻った。
「森は危険も多いですけれど、そのぶん恵みも多い場所ですわ。そうですね…森歩きでしたら、これなどいかがでしょう?」
彼女がカウンターの下から取り出したのは、小さな瓶に入った粘り気のある油だった。
「これは『万能オイル』。装備の手入れに使えば錆びを防ぎますし、いざという時には傷口に塗れば、簡単な止血と消毒にもなりますのよ。一つ持っておくと、何かと便利かと」
「へえ…そんな便利なものが」
説明を聞くと、確かに役立ちそうだ。値段は…少し高い。僕の今の財産では、これを買うとポーションを買い足す余裕はなくなってしまう。
「うーん…」
「ふふふ、お悩みですか? でも、備えあれば憂いなし、と申しますでしょう? 特に初めての場所に赴くのでしたら、なおさらですわ」
シルヴィアさんの言葉に、迷いが揺らぐ。確かに、森で何が起こるか分からない。装備の手入れも重要だし、怪我をしないとも限らない。
「…分かりました。これを一つ、ください」
「ありがとうございます。毎度あり」
結局、僕は万能オイルを購入することにした。シルヴィアさんはにこやかにそれを受け取り、丁寧に包んでくれる。もしかしたら、僕の変化に気づいていて、あえてこれを勧めてきたのかもしれない…なんて、考えすぎだろうか。
ついでに、火を起こすための火口箱と、木の実などを切るための小型ナイフも購入し、僕は雑貨屋「迷いの森」を後にした。
*
フロンティアの街の東門を抜け、深淵の森へと続く道を進む。エルニー平原へ向かう道とは違い、道は次第に険しくなり、周囲の景色も変わっていく。空を覆うように生い茂る木々、地面を覆うシダや苔、濃密な土と植物の匂い。そして、鳥の声だけでなく、もっと得体の知れない生き物の気配が、森の奥から漂ってくるようだ。
(やっぱり、平原とは全然違う…)
緊張で喉が渇く。水袋の水を一口飲み、気を引き締めて森の中へと足を踏み入れた。
一歩森に入ると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。昼間だというのに薄暗く、木漏れ日がまだらに地面を照らしている。足元は落ち葉や木の根で歩きにくい。周囲への警戒を怠らないように、ゆっくりと進む。
(ん…?)
歩きながら、僕は自分の感覚が昨日よりもさらに鋭敏になっていることに気づいた。遠くで小枝が折れる音、風に乗って運ばれてくる獣の匂い、地面に残された新しい足跡…。それらの情報が、自然と頭の中に入ってくる。まるで、アンテナの感度が上がったみたいだ。
【索敵(低) Lv.1】
【隠密(低) Lv.1】
意識の中に、またスキル名らしきものが浮かび上がる。索敵…敵を探す力? 隠密…気配を消す力? ポーター業務や、ザックたちから隠れるように行動していた経験が、こんなスキルになったのだろうか?
(すごい…本当に、経験がスキルになるんだ…)
この力への理解が少し深まったことで、森への恐怖がわずかに和らぐ。僕は意識して【索敵】スキルを使うように、周囲の気配に集中しながら進んだ。
すると、古木の根元に、見慣れない形の薬草が生えているのを見つけた。葉の形、茎の色…昨日読んだ薬草図鑑の知識が引き出される。
(これは…『癒し草』だ。HPポーションの材料になる。リリ草よりも効果が高いはず…!)
【薬草知識(初級) Lv.2】
またスキルレベルが上がった感覚。知識が増え、経験を積むことで、スキルは成長していくらしい。僕は慎重に癒し草を数本採取し、袋にしまった。これは良い収入になりそうだ。
その後も、僕は森の中を探索し、いくつかの薬草を発見・採取した。スキルのおかげで、効率は驚くほど良い。
(これなら、冒険者としてちゃんとやっていけるかもしれない…)
少しだけ、未来に希望が見えてきた気がした。その時だった。
グルルルル…
低い唸り声が、すぐ近くの茂みから聞こえた。同時に、獣特有の鋭い気配を【索敵】スキルが捉える!
(来る…!)
僕は咄嗟に剣を抜き、身構えた。
茂みがガサガサと揺れ、灰色の毛並みをした獣が三体、姿を現した。鋭い牙を剥き出しにし、爛々と光る目でこちらを睨みつけている。
ウルフだ! しかも三体!
「グルアァァッ!」
一体が、地面を蹴って猛然と飛びかかってきた! ゴブリンとは比べ物にならないスピード!
(速いっ!)
反応が追いつかない、と思った瞬間。
僕の体は、またしても意思とは別に動いていた。
【身体強化(微弱) Lv.1】
【剣術(基礎) Lv.1】
【受け流し】
複数のスキルが同時に発動する感覚。体が軽く、思考が加速する。迫りくるウルフの爪を、剣で受け流す。カンッ、と鋭い金属音。そのまま流れるように体勢を低くし、がら空きになったウルフの脇腹に剣を突き立てる!
「キャンッ!」
悲鳴を上げてウルフが地面に転がる。しかし、休む暇はない。残りの二体が、左右から同時に襲いかかってきた!
(まずい、挟まれる!)
【危機察知(低) Lv.2】
危険を知らせるアラートのような感覚が頭に響く。僕は咄嗟に後方へ跳躍した。ウルフたちの牙が、僕がいた空間を空しく噛む。
(HP -5)
ふと、視界の隅にそんな表示が見えた気がした。今の跳躍の際に、枝か何かで掠り傷でも負ったのだろうか? 幻覚かもしれないが、今は気にしている余裕はない。
二体のウルフが、再び僕に向かってくる。一体は正面から、もう一体は回り込もうとしている。
(一体ずつ、確実に…!)
僕は正面から来るウルフに意識を集中する。相手の動きが、なぜかスローモーションのように見える。次にどこを狙ってくるか、予測できるような感覚。
ウルフが飛びかかってくるタイミングに合わせて、僕は一歩踏み込み、剣を横薙ぎに振るった。
ザシュッ!
確かな手応え。剣はウルフの首筋を捉え、致命傷を与えた。
残るは一体!
最後のウルフは、仲間が倒されたのを見て一瞬怯んだようだったが、すぐに唸り声を上げて突進してきた。
僕は冷静に剣を構え直す。もう恐怖はない。自分のスキルを信じる。
【剣術(基礎) Lv.1】
まっすぐに突き出された剣は、ウルフの眉間を正確に貫いた。
「…………」
しん、と静まり返った森の中、僕は荒い息をつきながら、倒れた三体のウルフを見下ろしていた。
体は疲れている。アドレナリンが全身を駆け巡っているのが分かる。けれど、それ以上に強い感覚が、僕の心を支配していた。
(やった…僕が、倒したんだ…!)
ゴブリンとは違う。明らかに格上の魔物であるウルフを、僕は自分の力で倒したのだ。もちろん、スキルという未知の力の助けを借りて。
(これは…本当に、僕のスキルなんだ…!)
幻覚なんかじゃない。気のせいでもない。僕にはスキルがある。経験に応じて成長し、僕を助けてくれる、特別な力が。
その事実を、僕ははっきりと、心の底から確信した。
*
「ふぅ…」
ウルフの素材(牙と毛皮)を剥ぎ取りながら、僕は先ほどの戦闘を冷静に振り返っていた。戦闘中に見えたHPやダメージの表示は何だったのだろう? スキルの一つなのだろうか? まだまだ分からないことだらけだ。
【剥ぎ取り Lv.1】
素材を剥ぎ取っていると、また新たなスキルを認識する。どうやら、行動そのものがスキルとして定着していくらしい。
(面白い…この力、もっと知りたい)
スキルの種類やレベルを意識することで、自分の能力を少し客観的に捉えられるようになった気がする。どのスキルがどういう場面で役立つのか、どうすればもっと効率よくレベルを上げられるのか…。考えるべきことは山積みだ。
ふと、森のさらに奥から、ズシン、ズシン、という地響きのような大きな足音が聞こえてきた気がした。まさか、オーク…?
(今日はここまでにしておこう)
まだ自分の力を過信するべきではない。ウルフ三体でこれだけ消耗したのだ。オークやオーガとなれば、今の僕ではまだ歯が立たないだろう。
僕は採取した薬草とウルフの素材が入った袋をしっかりと背負い、森を後にすることにした。
帰り道、足取りは軽い。体は疲れているはずなのに、心は不思議と高揚していた。
自分の手で依頼を達成し、自分の力(スキル)で危機を乗り越えた。それは、今まで味わったことのない、確かな手応えと達成感だった。
もちろん、不安がないわけではない。この力が一体何なのか、これからどうなっていくのか、全く分からない。ギルドや他の冒険者に知られたらどうなるか…。
それでも、僕は前を向いていた。
スキル無しの、ただの荷物持ちだった僕じゃない。僕には可能性がある。努力と経験が、ちゃんと力になるんだ。
フロンティアの街の門が見えてきた時、僕は強く思った。
(もっと強くなりたい。そして、いつか…)
胸に秘めたスローライフへの夢も、もうただの夢物語ではないのかもしれない。
僕の冒険は、まだ始まったばかりだ。
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