第4話 疑念の影と、確かな変化
エルニー平原を後にし、フロンティアの街へと続く道を、僕は少し混乱した頭で歩いていた。
背中に感じる疲労感は、もちろんある。けれど、それは昨日までのポーター業務で感じていた、体の芯までずっしりと重くなるような疲労とは明らかに種類が違っていた。むしろ、心地よい運動をした後のような、軽い疲労感だ。
それよりも問題は、先ほどのゴブリンとの戦闘だ。
思い出そうとしても、どうにも現実感が伴わない。まるで、自分ではない誰かが僕の体を動かしていたような、そんな奇妙な感覚だけが残っている。
(あのステップ、あの剣の軌道…僕が練習していた動きではあった。でも、あんなにスムーズに、的確にできるなんて…)
訓練では、何度も何度も反復してきた動きだ。けれど、それはあくまで体に叩き込むための反復であり、実戦であれほど淀みなく、まるで呼吸をするように自然に繰り出せるようなものではなかったはずだ。ゴブリンの棍棒を避けた時の身のこなしも、自分でも信じられないくらい軽やかだった。まるで、風に舞う木の葉みたいに。
それに、持久力もそうだ。平原までの道のりを歩き、薬草を探し回り、ゴブリン3体と戦ったというのに、まだ足取りはしっかりしている。昨日、あれだけの荷物を運んだ後とは比べ物にならない。
薬草採集だってそうだ。昨日読んだ図鑑の知識が、まるで最初から自分の経験であったかのように、すんなりと頭から引き出された。リリ草の特徴、生えている場所の環境…思い出すというより、「知っていた」という感覚に近い。
(まさか…スキル、なのか…?)
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
けれど、すぐに打ち消した。スキルは、基本的に生まれつきのものだ。後から発現することもあるらしいけど、それは人生における大きな転機とか、特殊な状況下での話だと聞く。僕のような凡人が、昨日今日でいきなりスキルに目覚めるなんて、ありえない。ギルドの鑑定でも、僕は「スキル無し」と判定されたんだから。
(やっぱり、考えすぎだ。運が良かっただけ。体が、たまたま調子が良かったんだ)
そう自分に言い聞かせる。けれど、心のどこかで、その説明では納得できない自分がいた。あの不可解な感覚は、あまりにも鮮明だったから。
もやもやとした気持ちを抱えたまま、僕はフロンティアの西門をくぐり、冒険者ギルドへと向かった。早く依頼完了の報告をして、今日の不可解な出来事から意識を逸らしたかったのかもしれない。
ギルドの中は、昼過ぎの時間帯ということもあって、多くの冒険者で賑わっていた。酒場で談笑する者、依頼を探す者、装備の手入れをする者。その喧騒の中を縫うようにして、僕は受付カウンターへと進んだ。
「こんにちは、エマさん。先ほどの依頼、完了しました」
受付には、やはりエマさんがいた。僕は討伐の証拠であるゴブリンの耳3つと、採集したリリ草5株が入った袋をカウンターの上に置いた。
エマさんは一瞬、僕の姿を見て軽く目を見開いたように見えた。すぐにいつもの事務的な表情に戻ったけれど。
「…カイト様、お早いお戻りですね。特に問題はありませんでしたか?」
彼女は手早く提出物を確認しながら、僕に問いかけた。その声には、普段の平坦な響きとは少し違う、何かを探るような響きが含まれている気がした。僕が無傷で、しかも依頼を受けてから予想以上に早く戻ってきたことに、疑問を感じているのかもしれない。
「は、はい! あの、運が良かったみたいで…。ゴブリンもすぐに見つかりましたし、薬草も…」
しどろもどろになりながら答える。内心の動揺を悟られたくない。今日の出来事は、僕自身にもよく分かっていないのだから。
エマさんは僕の言葉を黙って聞いていたが、特にそれ以上追及することはなかった。ただ、眼鏡の奥の瞳が、じっと僕の表情を観察しているのが分かった。なんだか、見透かされているようで居心地が悪い。
「承知いたしました。討伐証明、採集物、共に確認いたしました。規定に基づき、報酬をお支払いします」
エマさんは慣れた手つきで計算を行い、銅貨と、そして数枚の銀貨をカウンターに置いた。
「…え?」
思わず声が出た。銀貨? 今まで僕がポーター業務で貰っていたのは、どんなに頑張っても銅貨数枚がせいぜいだった。もちろん、Eランクの依頼だから危険も伴うけれど、それでもこれは…。
「Eランク依頼の基本報酬、ゴブリン討伐ボーナス、リリ草買い取り価格、合計で銀貨3枚と銅貨25枚になります。ご確認ください」
淡々と告げるエマさんの声で、僕は我に返った。
これが、依頼の正当な報酬。ザックたちにピンハネされることなく、僕自身が(…本当に僕自身の力かは分からないけれど)達成した成果に対する対価。
僕は震える手で、その銀貨と銅貨を受け取った。ずしりとした重みが、手のひらに伝わってくる。ポーター業務で貰う銅貨とは、比べ物にならない確かな重みだ。
嬉しいはずなのに、素直に喜べない。
(この報酬は、あの不可解な力のおかげなんだろうか…)
そう思うと、罪悪感のような、後ろめたい気持ちが湧いてくる。まるで、何かズルをして手に入れたような気分だ。
「…どうかされましたか? カイト様」
僕が複雑な表情で固まっているのに気づいたのか、エマさんが再び声をかけてきた。
「い、いえ! 何でもありません! ありがとうございます!」
僕は慌てて報酬を革袋にしまい、深く頭を下げてカウンターを離れた。最後まで、エマさんの探るような視線が背中に突き刺さっている気がした。
(エマさん…何か気づいているんだろうか…)
不安を抱えながらギルドを出て、僕は常宿の「木漏れ日亭」へと足を向けた。
*
「お、カイト兄、おかえりー! 今日は早かったね!」
宿に戻ると、ちょうど食堂のテーブルを拭いていたリズさんが、元気な声で出迎えてくれた。
「ただいま、リズさん。うん、まあ…依頼が早く終わって」
「へえー! さすがカイト兄! ね、ね、どんな依頼だったの? もしかして、ドラゴンでも倒してきたとか!?」
「そ、そんなわけないだろ! Eランクの簡単な依頼だよ…」
太陽みたいに明るい彼女の笑顔を見ていると、さっきまでの悩みも少しだけ和らぐ気がした。僕は近くの席に腰を下ろし、ゴードンさんが作ってくれた少し遅めの昼食(今日の夕食分を前借りした形だ)を食べ始めた。
「ふーん? でもさっきギルドの人と話してるのチラッと見たけど、なんかすごい依頼でも達成したんでしょ? 受付のエマさん、なんかカイト兄のこと、じーっと見てたよ?」
リズさんは隣の席にちょこんと座り、興味津々な目で僕を見てくる。彼女の勘は妙に鋭い。
「えっ!? いや、そんなことないって! たぶん、僕が初めてソロ依頼を完了したから、心配してくれてただけだよ、きっと」
内心ドキッとしながら、必死にはぐらかす。今日の出来事は、まだ誰にも話せない。話したところで、信じてもらえるとも思えないし、何より自分自身が受け入れられていないのだから。
「えー、絶対嘘だー! 顔に『何かありました』って書いてあるもん!」
むー、と頬を膨らませるリズさん。子供っぽい仕草だけど、その瞳は僕の嘘を見抜いているようだった。困ったな…。
「まあまあ、リズ。カイトも疲れてるんだ。あんまり詮索するもんじゃない」
厨房から顔を出したゴードンさんが、助け舟(?)を出してくれた。ゴードンさんは僕の方を一瞥したが、特に何も言わずにまた厨房へと戻っていった。彼も何か感じ取っているのだろうか…。
結局、リズさんの追及を何とかかわし、僕は早々に部屋へと引き上げた。
*
ギシギシと鳴る階段を上り、自分の部屋の扉を開ける。窓から差し込む西日が、部屋の埃をキラキラと照らしていた。
机の上に、先ほど受け取った報酬を置く。銀貨3枚と銅貨25枚。僕にとっては大金だ。これでしばらくは食費の心配をしなくて済むし、訓練用の道具も少しは良いものが買えるかもしれない。
なのに、心は晴れない。
達成感よりも、戸惑いと疑念の方がずっと大きい。
今日のゴブリンとの戦闘を、もう一度頭の中で再現してみる。あの時の、体が勝手に動くような感覚。剣筋の滑らかさ。
試しに部屋の中で、あの時の動きを真似てみる。
(…やっぱり、ダメだ)
昼間のようには動けない。ぎこちなく、無駄な動きが多い。あれはやはり、まぐれだったのか? それとも、僕の知らない何かが作用したのか?
薬草採集の時のことも思い出す。まるで地図を持っているかのように、的確にリリ草の群生地を見つけられた。鑑定スキルなんて持っていないはずなのに、あの時、確かに「鑑定」という言葉が頭に浮かんだ気がした。
(経験が…勝手に整理される?)
(昨日覚えたことが、寝ている間に完璧に身についている?)
そんな馬鹿な話があるだろうか。スキルならともかく、そんな都合の良い現象が自然に起こるなんて。まるで、僕の脳や体が、僕の知らないうちに勝手に「学習」を進めているみたいじゃないか。
(いやいや、そんなわけがない。疲れてるんだ、きっと。変なことばかり考えてしまう)
僕は頭を振って、非現実的な考えを追い払おうとした。常識で考えればありえないことだ。僕はスキル無しの凡人で、地道な努力だけが取り柄なんだから。
それでも、体の奥底から湧き上がってくる、この無視できない「何か」の感覚。
自分の身に、確実に何かが起きている。それが何なのかは分からないけれど。
明日、またエルニー平原に行ってみれば、何か分かるだろうか?
それとも、今日のことは本当にただの偶然で、明日は元の「何もできない僕」に戻っているのだろうか?
期待と不安が入り混じった、落ち着かない気持ちを抱えたまま、僕はベッドに横になった。
窓の外は、もうすっかり暗くなっていた。
目を閉じると、今日の不可解な体験が、また鮮明に思い出される。
この変化は、僕にとって良いことなのだろうか、それとも…。
答えの出ない問いを抱えたまま、僕はいつしか深い眠りに落ちていった。
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