鶴ぽぽい

香久山 ゆみ

鶴ぽぽい

 六年生になる春、転校することになった。

「ごめんな、千鶴」

「いいよ、べつに」

 申し訳なさそうに言うパパに、つっけんどんに返した。

 だって、仕方ない。新型感染症の流行で経営していたレストランを閉店したパパに、ようやく就職先が決まったのだ。転校するのはかなしいし、不安だけれど、仕方ないのだ。

 転校して一週間、なるべくにこにこしているが、なかなかうまくいかない。夕飯のカレーを食べ終えて、ソファに寝転がる。バラエティ番組もぜんぜん頭に入ってこない。

「ただいま~」

 パパが帰ってきた。ネクタイをゆるめながら洗面所へ入る。スーツ姿は似合わない。食卓のパパとママの話し声が聞こえる。

「お疲れさま。もうお仕事には慣れた?」

「畑違いだから大変だよ……。でも、仕事よりも人間関係の方が難しいかな。今は、皆マスクしているし、昼休みも私語禁止だから、なかなか同僚の顔と名前を覚えられないし、親しくなるきっかけもないからなあ」

 パパのくたびれた声に、千鶴は思わず振り返った。

「わかる!」

 千鶴も同じように悩んでいたのだ。

「だよなぁ」

 パパがマスク越しでもわかるくらい微笑む。べつにすねていたわけでもないが、久しぶりに千鶴からパパに話しかけたのだった。

 そうして千鶴とパパは新しい環境での苦労を分かち合った。

 私たちがこれだけ大変な思いをしているというのに、ママはニコニコしている。ママは在宅仕事だからあまり影響がないらしい。

 けど、パパも千鶴と同じく大変なのだと知れてよかった。大人でも大変なのだから、子どもの千鶴が大変なのも当然だ。まだまだ言い足りないけれど、ぜんぶを親に言えるはずもない。もう六年生なのだ。あまり親に心配をかけるわけにもいかない。そんな千鶴の胸のうちを察したのか、ママがいった。

「二人ともまだまだ悩みがつきなさそうね。ならいいことを教えてあげる。誰にも言えないもやもやは紙に書くの。それで、書き終わったら、その紙で折鶴をおって、ゴミ箱へ捨てちゃうの」

 それで浄化しちゃうのよと言って、ママが折り紙の束を持ってきた。そして、青色系をパパに、赤色系をママに、黄色系を千鶴に配った。

「じゃあ鶴はここに捨てることにしようよ」

 千鶴は引越しの荷物の中から新しいゴミ箱を持ってきた。引越しする時に贈り物でもらったけれどかわいすぎて一度も使っていないものだ。

 そうして千鶴の家では、もやもやを書いた折鶴はリビングの隅のゴミ箱に捨てるようになった。

 確かに紙に書いて鶴を折って捨てると少しすっきりした。ゴミ箱に溜まるのは、黄色と青の折鶴が多かったけれど、赤いのもけっこう混じっている。パパとママにも悩みごとがあるんだなあと思うと、千鶴も頑張ろうと思えた。

「急に夜勤が入っちゃったそうで、今夜はお隣のお子さんも一緒にうちでごはん食べるからね」

 そう言ってママに連れられてきたのは、同じクラスの夢ちゃんだった。千鶴と夢ちゃんは一気に仲良しになって、それからは学校に行くのもずいぶん楽しくなった。

 はじめのうちはすごいいきおいでゴミ箱を埋めていった折鶴も、いつの間にかじょじょに数も減り、最近は千鶴もパパもママも入れていないようだ。

 パパもお仕事うまくいっているのかな。いけないと思いつつ、誰もいないリビングで千鶴はそっとゴミ箱の青い折鶴をひろってひらいてみた。そこには予想外のことが書かれていた。

『千鶴が新しい学校の子と早く仲良くなりますように』

 赤い折鶴もひらいてみた。

『千鶴がいつも笑顔でいられますように』

 千鶴は思わず涙をこぼした。かなしくない涙ははじめてで、自分でもびっくりした。

 引越からずいぶんたったある日曜日、そろそろ溜まった折鶴を捨ててしまおうかとママが言った。いや折角だから糸を通して千羽鶴にしてはどうだろうかとパパは言った。それよりもっとすてきなことがあると千鶴は言った。夢ちゃんに教えてもらったのだ。

 その夜、家族はそろってベランダに出た。ゴミ箱から出した鶴たちは、月の光を浴びるとぱたぱたと羽を動かして夜空を満月に向かって飛びはじめた。色とりどりの飛行群はまるで夜空にかかる虹のようだった。

『パパのお仕事が上手くいきますように』

『ずっと家族いっしょでいられますように』

 口には出せない千鶴の願いを抱いて、鶴たちはどこまでも飛んでいく。

「さあ、いつまでも見ていないで。明日は月曜日よ、早く寝なくちゃ」

 はあい。ママに背中を押され、千鶴たちはいつものベッドにもぐった。

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