第1話 火烏家のお嬢様へ(一)
呂々大陸の火烏地方は、代々、火烏家を領主としている地方である。大陸の中でも特殊な場所で、それは何故かと言えば、領地は険しい山脈に囲まれているからだ。北国とはいえ、夏でも冬の装備を必要とする山を越えて赴かねば辿り着けない。ここは鎖国しているわけではないが、それ程に閉ざされた地方であった。
その火烏地方のやや西寄りに、守刀工房はある。守刀は制作だけでなく、販売もしているので店と呼んでも差し支えないが、八倖は工房と呼んでいた。この工房はー夕焼け小焼けーと銘打つが、この工房から夕焼けは見えない。そして、見えないのはこの工房からだけでもない。険しい山脈は、火烏地方全体を囲っており、特に高い山々は西にあるので、場所によって朝日は見えても、夕日だけは何処からも見えない。ただ、夕方になれば西の空は確かに、赤や橙、時には濃い桃色など、色鮮やかに焼かれるのだ。毎日ではないが、それを見るのが八倖や、この地方の民は好きであった。
その日も、八倖は工房を出て、西の空を見ていた。黒い雲と赤く染まった雲が線状に折り重なっているのが、山脈の谷になっている部分から見て取れる。あの山の向こうで、どんな景色が広がっているのだろう。
「良い夕焼けですね」
後ろから声を掛けられて、えぇ、ほんとに、と同調しながら八倖は振り向いた。そこに居たのは、白髪交じりの髪を束ねてはいるが、顔の皺は少なく、姿勢もしゃんとしている女性だった。
「守刀を作ってらっしゃるのは、貴方?」
「はい、茅染八倖と申します」
「そう、一振、お願いしたいのですけど、よろしいかしら」
服装こそごくありふれたものだが、所作や言葉遣いから、庶民でないことが伺える。まさかやんごとなき方とか、その関係ではないだろうな、と八倖は思った。
「火烏家のお嬢様に」
本当にそうだとは思わなかった。
八倖は工房の店になっている方に入り、女性を応接部分に案内した。机を挟み、お互い椅子に座ると、女性が口を開いた。
「わたくし、笹煤と申します。遅くにご免なさいね。思っていたより若い方で驚きました。恰幅の良い、初老の方とお聞きしていたもので」
「先代ですね、二年程前に逝去しまして」
「そう、夕焼けを見に行かれたのですね」
この地方では、亡くなった人は西の山の向こうに行き、夕焼けを見に行ったのだ、と言われている。生きている人も勿論、西の山を越えて別地方に行くことはあるのだが、それがこの地方の人々にとって、一番心を慰める言葉であったのだろう。八倖は頷いて、話し始めた。
「うちで扱っている守刀について、ご説明します。守刀を簡単に分けると、刃と、こちら、持ち手の抦です。そして刃を納める鞘」
分解された見本の守刀を見せながら、説明を続ける。机の上に置かれた照明に照らされて、守刀は淡い緑色に輝いていた。
「刃と抦、鞘を一組として、既にある組み合わせから選ぶという店が多いですが、うちではお客様のご要望に合わせた素材で制作することが出来ます。こちらの刃は石で作られていますが、木や、動物の牙、角などでお作りすることも出来ます。既に作ってある守刀もあちらに並べておりますので、そこから選んで頂いても」
「そうですね……、赤い刀身の守刀はあります?」
「一振ございます。お持ちしますね」
普段であれば、ございます、などと言わない。ありますよ、とか、はい、だけしか言わないのに、急に畏まった言葉ばかりが口から出てくる。緊張している自分自身に驚きながら、八倖は赤い刃の守刀を用意した。
「黒槍岳から採取された赤斑石を刃に、赤栗の木を抦、鞘に作りました。刃渡りは十二ギルです」
様々な、小さい石の粒が圧縮されたようなその石は、全てが赤系統で、少なくとも十種類以上の粒が引き締めあって、光の加減によってきらめきを変えていた。抦と鞘は暗めだが赤みがかっていると分かる程度の色で、全体的に赤を基調として制作したものだ。笹煤と名乗った女性は暫くその守刀を見ていたが、やがて首を横に降った。
「素敵だと思います……、ですが、これとはまた違うものをお願いします」
「承知しました。守刀は、鑑賞するだけでなく、その名の通り、お守りでもあります。どういった用途で必要としているのか、お聞かせ願えますか」
笹煤は少し考えたのち、話し出した。
「わたくし、普段はお嬢様の侍女を務めているのですが、もうじき、お嬢様が成人なさるのです」
「小琴様ですか」
火烏家のお嬢様と言えば、小琴と言う名前の一人娘だ。領主が領地民一人一人を把握していることは少ないが、領地民は領主、またご家族のことをよく把握していた。
「えぇ、成人するといっても、悩みが尽きないようで……当然でしょうけども。年頃というだけでなく、跡継ぎという面もありますから。お嬢様の幼少から見守り、仕えてきた身としては、どうにか元気でいてほしいものです。それで、守刀をと思い」
「お話ありがとうございます。そうですね……、心身の健康を願うのでしたらば、殼鹿の角や白曜石などが」
そこまで言い掛けて、八倖はふと思った。
「その、先程赤い守刀を、と仰いましたが、拘りが?」
笹煤は、あぁ、と言い、続けた。
「大したことではなく、ほら、火烏って苗字ですから。赤が合うかしらと」
「では、心身の健康のお守りに相応しい、赤系統の素材を探して参りますね。今工房に、そういったものが無く」
「お手数お掛けします。時間も時間ですので、今日はここらでお暇しますね」
「五日後には、いくつかご用意できると思いますので、またお越し頂けますか。成人の儀は、春十日ですよね」
「えぇ、少し過ぎても良いけれど、出来ればその日にお渡ししたいわ」
春十日は、火烏家の桜が一輪咲いたその日から数える日付だ。春夏秋を百ずつ数え、冬は桜が咲くまで続く。桜が咲くと新年になり、また一から数え始める、火烏地方独自の暦だ。しかし、呂々大陸の他地方では、火烏暦で言う冬五十日から六十日辺りに、旧年と新年を区切ると聞く。しかも桜に左右されることなく、一年を同じ数で毎年数えるらしい。その内、何を基準にしているのか、聞いてみたい。
笹煤を見送り、八倖は考えていた。今は冬八十日。春十日まで、最低でも三十日はある。今、他に請け負っている注文は無いが、新たに注文が入ると厳しい。どうするか、いや、今は素材のことを考えなくては。だが、赤系統か……。その晩は遅くまで眠れなかった。
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