第2話 火烏家のお嬢様へ(ニ)
どうして赤系統で心身の健康に相応しいお守りを制作するのに悩むのかというと、心理的な話になる。そもそも、守刀とはどういうものなのか。先代の言葉を思い出す。
「お守り、というのは、実際、効果の有る無しは関係ないんだよ。ただ、それを所有していることで、安心出来るとか、心の支えになるとか、そういうものだ。母が子に渡すぬいぐるみ、露店で売られる硝子玉、そこの石ころでさえ、お守りになり得る。守刀は、お守りが短刀の形をしているだけだ。まぁ、元は護身用だが」
謂れの在るもので作る、もしくは謂れを作る。
「祈りを込めて、祝福すれば加護が与えられる。そんな魔法なんてものはないからなぁ」
先代である師匠は白い枝を削りながら、目を細めて言った。
「詐欺師って言われちゃそこまでよ、実際、効果ねぇんだもの。ただ、効果がありますよ、って言ってる訳じゃなく、あくまで、お守りですって言ってるから苦情が来ないだけよ。そこんとこ、しっかり客に説明するんだぞ」
今まで心身の健康を題にして作ってきた守刀は、殻鹿の角や白曜石だった。殼鹿は、普通の鹿より体が大きく、寿命も長い。白曜石は、石と呼ばれているが元は貝だ。硬くて欠けにくく、磨くと美しく、昔から装飾品としても扱われてきた。そうした謂れがあるので、心身の健康を願掛けるのに扱われてきた代表素材である。しかし、今回は赤色が良いと言う。赤で健康系の守刀を作ったことは今までない。さてどうしたものか。赤、赤……。血の色ということにすれば、健康と称しても不自然ではないか。
問題は、どの素材にするかだ。先日見せた赤斑石では、お気に召さなかったようだが、では、何が良いだろうか。幾つか赤系統が混ざっているのではなく、もっと単一色の赤い素材か。深みのある赤が良いか。様々な素材を思い浮かべる。
「卸屋に連絡しないとなぁ。五日後とは言ったが早かったかな……。言ってしまったものは仕方がない。朝、鷹を飛ばして貰うか」
そう独りごちると、八倖は便箋を用意し、素材を書き連ねていった。
ーーー ーーー ーーー
「おはよう、笹」
「おはようございます、お嬢様」
廊下ですれ違ったお嬢様は、いつにも増して無愛想である。それでも朝は必ず挨拶してくれる。それだけで笹煤は、うちのお嬢様は立派だわ、と思う程には甘かった。親馬鹿ならぬ従者馬鹿である。だからこそ、最近のお嬢様の塞ぎ込んでいる様子には、心配であった。
その火烏家のお嬢様、小琴は、全てが嫌になっていた。全て、と言うには大袈裟だろうが、十四、十五歳辺りの年代特有の、ひねくれた考えや、どうして自分は生きているのだろうかなどについて、悶々と考えたことのある者には共感できるであろう、そういう心境であった。
どうにもここのところ、父と話したくはないし、母ともすれ違いたくはない。笹煤も嫌いな訳じゃないのに、たまにうんざりする。特別大きい問題があるわけではないが、会話するのが億劫だ。今の自分が、悲しく思えてくる。前に笹煤に話してみたら、そういう年頃なのだ、と言われた。その内に心身の調子が整って、また元気になりますよ、と言われたが、別に不調な訳じゃないし、と思った。言い返しはしなかったが、何か、根本的なところで私の悩みが伝わっていないような気がした。
「少し、お外に出られては如何ですか。良いお天気ですよ」
お天気に善悪など無いだろうに、良いとか悪いとか何なんだろう。
「やだ」
言葉遣いもへったくれもない、必要最低限の言葉だけを交わす日々が続いている。もっときちんと受け答えしたい気持ちがない訳じゃない。なのに、口から出る声は全部苛立っている。怒り
たい訳じゃないのに。春十日になって、成人すれば少しは変わるのだろうか。産まれてきたことも、生きていることも、将来についての悩みも、多少は晴れるのだろうか。
自室に戻ると、小琴は机に突っ伏した。こんな閉ざされた地で領主になったって、どう生きていけば良いのだろう。別に、やりたいことがあるわけじゃない。成りたいものも無い。好きなものもよく分からなくなってしまった。
生まれた時からここに居て、ここで老いて死んでいく。当たり前のことなのに、どうしてこんなにも虚しいような気持ちなんだろう。みんなが当たり前に受け入れていることが、私には受け入れられない。そんな私に、どうしてこの地を治められよう。
「夕焼けが見たい」
ふと呟いた言葉は、澱のように、心に沈んでいった。
ーーー ーーー ーーー
「茅染さん、どうもどうも。卸屋、白ノ葉です」
「ありがとうございます。すみません急ぎでお願いしてしまって」
「いえいえ、腕の見せ所ってもんですよ」
「今日は浜人さん一人なんですか」
「はい、みんな出払っちゃって。茅染さんとこなら俺一人でもいけるだろって。初っすよ一人なの。そんで、こちらがご依頼のものですね。お確かめください」
店の前で、喜びと緊張の混じった高ぶりを顕にしながら、話を進めていくこの青年は、八倖よりも年若い、青年になりたての男性である。この青年、浜人が所属している卸屋に、いつも素材を卸して貰っているのだ。
大きめの包みを開け、頼んでいた素材であることを確認すると八倖は、巾着を渡して言った。
「じゃあこちら、代金です。いつもありがとうございます」
「いえ、こちらこそ! ありがとうございました!」
元気に去っていく彼に、代金を確認しないで行ってしまうところはまだ危ういな、と思いながらも、世界を駆け回っている後ろ姿が、少し、羨ましかった。
ーーー ーーー ーーー
約束の日、八倖は再び、笹煤と店で打ち合わせをした。卸屋から取り寄せた素材を並べると、こんなのもあるのね、と笹煤に驚かれた。
「えぇ、そちらは花亀の甲羅ですね。そういったものからお作り出来ます。何か、良さそうなものはございますか」
「そうね……」
笹煤は紫に近い、赤みがかった木材を手に取り、しばらく見ていたが、やがて置いて話し出した。
「お嬢様と喧嘩をしてしまってね」
「喧嘩ですか」
「急にこんなこと言われても困るわよね、ご免なさい」
「いえ……」
言葉に詰まっていると、笹煤は言葉を続けた。
「夕焼けを見たいと仰ってね。気持ちは分かるのだけれど」
「えぇ、分かります……。この土地に住む者は、必ず一度は思いますよね」
「この地から山向こうに行けるのは、墓守りと戻らない旅人。小さい頃にいくら夕焼けが見たくても、その内に、気持ちが落ち着いちゃうのよね」
「その規律も、火烏家が定めたものですから、尚更お嬢様は気持ちが落ち着かないのでしょう」
「そうなのよ……。そんなことを決めたのは、もう何百年も前の人でしょう。私には関係ないって怒鳴られてね」
「……もし、お嬢様が規律を変えて、誰でも山向こうに行ける許しを出してくだされば、領地民としては嬉しいですけどね」
「そうですねぇ、本当に」
笹煤は悲しげに微笑んだ。
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