第3話 禁断の歓び
アリスとマリーの関係は、あの夜、マリーが自らの足で最初の命を奪った瞬間から、新たな段階へと移行していた。支配と隷属という一方的な構造は残りつつも、そこには「秘密と快楽を共有する共犯者」という、歪んだ絆が加わったのだ。マリーは依然としてアリスの弱みを握り、命令を下す立場にあったが、その命令は単なる辱めだけではなく、二人で倒錯的な悦びを分かち合うための儀式へと変貌しつつあった。
そんな日々が数週間続いたある日の午後、マリーはアリスの自室に、興奮を隠しきれない様子で入ってきた。
「アリス様、素晴らしいお知らせがございます」
その表情には、いつもの冷たさとは違う、子供のような無邪気な残酷さが浮かんでいる。アリスは、マリーが「素晴らしいお知らせ」という時、それが通常、自分にとっては何らかの試練か屈辱を意味することを知っていたが、逆らう術は持たない。
「…何かしら、マリー」
「覚えていらっしゃいますか? 城の中庭の隅で飼育している、ハムスターのこと」
アリスは頷いた。確か、数年前に隣国から贈られてきたつがいのハムスターで、主に若い侍女たちが世話をしていたはずだ。アリス自身は、特に興味を抱いたことはなかった。
「そのハムスターが、昨夜、子供を産んだのですわ。なんと、八匹も!」
マリーは声を弾ませる。
「まあ、それは…おめでたいことね」
アリスは当たり障りのなく答えたが、マリーの目の奥の光を見て、嫌な予感がした。
「ええ、本当に。ですが、困ったことに、母親が少し神経質になっているようで、育児を放棄しかねない様子なのです。それに、一度に八匹も増えては、あの小さな小屋では手狭になりますし…」
マリーは、わざとらしく溜息をついた。
「それで、世話係の者たちが、数匹、処分しなければならないかもしれない、と話しておりましたの」
「処分…」
アリスの心臓が、どきりと音を立てた。マリーが何を言いたいのか、察しがついたからだ。
「可哀想ですわね、生まれたばかりだというのに」
マリーは心にもない同情の言葉を口にしながら、アリスの顔をじっと見つめた。その目は、明らかに期待に輝いている。
「ですが、アリス様。これも、あの子たちの運命なのかもしれません。そして…私たちに、できることがあるのではないでしょうか?」
「私たちに…?」
「ええ。他の者たちの手を煩わせるまでもありませんわ。私たちが、その子たちを『安らかに』して差し上げるのです。…いつもの、あの場所で」
マリーの提案は、悪魔の囁きそのものだった。生まれたばかりの子ハムスターを、あの物置で、自分たちの靴で踏み潰す。ネズミやゴキブリとは違う。か弱く、人の手で育てられようとしていた、小さな命。アリスの中に、わずかに残っていた良心が、警鐘を鳴らした。しかし、それ以上に強く、マリーへの恐怖と、そして、禁断の行為への抗いがたい誘惑が、アリスの心を支配した。マリーと共有する、あの背徳的な興奮を、また味わえるのだ。しかも、今回は、これまでとは違う、特別な獲物で。
「…わかったわ、マリー。あなたがそう言うなら」
アリスは、うつむきながら、小さな声で答えた。マリーは満足そうに微笑んだ。
「さすがはアリス様。話が早くて助かりますわ。では、今夜、月の光が最も弱まる頃に、準備をいたします。アリス様は、いつもの『装い』でお待ちくださいませ」
いつもの『装い』。それは、マリーがアリスに強要する、全裸に白いヒールパンプスだけ、という屈辱的な姿のことだった。今回の特別な儀式にも、それは欠かせない要素らしかった。アリスは、唇を噛みしめ、静かに頷くことしかできなかった。
深夜。城が寝静まった頃、アリスはマリーの指示通り、自室で全ての衣服を脱ぎ、素足に真っ白なエナメルのポインテッドトゥパンプスだけを履いて待っていた。窓から差し込む月明かりが、彼女の白い肌と、パンプスの艶やかな光沢をぼんやりと照らし出す。屈辱と、期待と、そして言いようのない罪悪感が入り混じった複雑な感情に、アリスは身を震わせた。
やがて、マリーが音もなく部屋に入ってきた。手には、小さな布袋を持っている。
「アリス様、お待ちかねの『お客様』ですわ」
マリーは、悪戯っぽく笑いながら、布袋の口を少し開けてアリスに見せた。中には、ピンク色の小さな塊が、いくつも身を寄せ合って蠢いている。生まれたばかりの子ハムスターだった。まだ目も開いておらず、か細い声で鳴いている。そのあまりの無力さと小ささに、アリスは思わず息を呑んだ。
「さあ、参りましょう。物置で、お待ちかねですわ」
マリーに促され、アリスは再び、全裸にヒールという姿で、冷たい石の廊下を歩き始めた。マリーは、楽しげに鼻歌を歌いながら、子ハムスターの入った布袋を揺らしている。その無邪気な残酷さが、アリスには恐ろしかった。
物置の扉を開けると、いつもの黴と埃の匂いが鼻をつく。マリーは、中央の少し開けた場所に、布袋から子ハムスターたちをそっと出した。八匹の小さな命が、冷たい床の上で、互いに温め合うように身を寄せ、か細い声を上げている。
「まあ、可哀想に。こんなに小さいのに」
マリーは言いながら、その目は爛々と輝いていた。
「アリス様、どちらからになさいますか?」
まるで、菓子を選ぶようにマリーは尋ねる。
「それとも、まずは、私がお手本をお見せしましょうか?」
マリーは、アリスの返事を待たずに、自分の黒い革靴のつま先で、一匹の子ハムスターをそっと転がした。ハムスターは、驚いたように、さらに小さな声で鳴いた。
「いいですか、アリス様。こういう小さなものは、力を入れすぎると、すぐに潰れてしまって面白くありませんわ」
マリーは、嗜虐的な笑みを浮かべながら、ゆっくりと足を上げた。
「まずは、ヒールの先で、優しく…そう、愛撫するように…」
マリーは、低いヒールの先端で、子ハムスターの柔らかい体を、つつき始めた。ハムスターは、なすすべもなく転がり、震えている。その姿を、マリーは恍惚とした表情で見つめている。
「さあ、アリス様も。お好きな子を選んで、まずはお戯れくださいませ」
マリーに促され、アリスは震える足を一歩前に出した。白いパンプスのポインテッドトゥが、ピンク色の小さな塊に近づく。
(これを…私が…?)
ネズミやゴキブリとは違う。温かく、柔らかく、か弱い命。アリスは一瞬、躊躇した。しかし、背後でマリーが見ている。そして、アリス自身の心の奥底でも、暗い興奮が疼き始めていた。この無垢なものを、自分の足で汚し、壊してみたいという、抗いがたい衝動。
アリスは、意を決して、ヒールの先端で、一番近くにいた子ハムスターに触れた。
ヒールの先端が、子ハムスターの信じられないほど柔らかい体に触れた瞬間、アリスは背筋に電流が走るような感覚を覚えた。それは、これまでのネズミやゴキブリを踏み潰した時の感覚とは全く異質だった。より生々しく、より禁断的で、それゆえに、より強烈な興奮を伴っていた。
「…っ……」
アリスの口から、熱い息が漏れる。マリーが隣で満足そうに頷いているのが分かった。アリスは、マリーに倣い、ヒールの先端で子ハムスターを優しく転がし始めた。小さな体が、なすすべもなく白いエナメルの下で翻弄される。その無力さが、アリスの加虐心を煽った。
「ふふ、お上手ですわ、アリス様」
マリーが囁く。
「では、そろそろ…『本番』といきましょうか」
マリーはそう言うと、自分が弄んでいた子ハムスターの上に、ゆっくりと体重をかけ始めた。低いヒールの先端が、ぐにゃり、と柔らかい体にめり込んでいく。
「……ちゅ」
微かな、水っぽい音がした。子ハムスターの声は、もう聞こえない。マリーは、恍惚とした表情で、さらに力を込める。黒い革靴の底が、ピンク色の小さな塊を、ゆっくりと押し潰していく。
「アア…」
マリーの口から、抑えきれない喘ぎ声が漏れた。その表情は、苦痛ではなく、明らかに深い快感に歪んでいる。
「アリス様も、どうぞ?」
マリーは、自分の足元の惨状から目を離さずに、アリスに促した。
アリスは、ゴクリと唾を飲み込んだ。目の前で繰り広げられる、残酷で倒錯的な光景。そして、マリーから放たれる、むせ返るような興奮のオーラ。それに引きずられるように、アリスもまた、自分が弄んでいた子ハムスターの上に、白いパンプスのヒールを、ゆっくりと下ろし始めた。
ぷに、という柔らかな感触。
そして、体重をかけると、ぐちゅり、という生々しい音が、アリスの足裏に響いた。骨らしい骨もなく、ただ柔らかい肉と体液が、ヒールの下で潰れていく。格子状の滑り止めの凹凸が、ピンク色のペーストを捉え、靴底に塗り広げていく。
「……んんっ……!」
アリスの体も、快感に打ち震えた。全裸の肌に鳥肌が立ち、下腹部が熱く疼く。羞恥心や罪悪感は、もはや強烈な性的興奮の波に飲み込まれようとしていた。
「素晴らしい…! アリス様、なんて、なんて美しい…!」
マリーは、アリスの姿を見て、賛美の声を上げた。全裸の姫君が、真っ白なヒールで、生まれたばかりの命を、恍惚としながら踏み潰している。その光景は、マリーにとって、最高の芸術であり、最高の媚薬だった。
そこからは、二人にとって、まさに饗宴だった。一匹、また一匹と、子ハムスターたちは、アリスの白いパンプスと、マリーの黒い靴の下で、次々と潰されていった。時には、二人が同時に同じ一匹を踏みつけることもあった。白いヒールと黒いヒールが、小さな体を挟み撃ちにし、共同で破壊する。その度に、二人は互いに熱い視線を交わし、共犯者としての絆を確かめ合った。
マリーは、アリスに自慰を強要することも忘れなかった。
「さあ、アリス様、踏みつけながら…いつものように、ご自身をお慰めなさい。その美しいお顔を、快感に歪ませて…」
アリスは、もはや抵抗しなかった。涙なのか汗なのか分からない液体で顔を濡らしながら、ドレスの裾を探る必要のない剥き出しの体で、マリーの命令に従った。足元で小さな命をすり潰す感触と、自らの指が生み出す快感が、彼女の中で一つになり、倒錯的なエクスタシーへと導いていく。
物置の中は、甘ったるいような、それでいて鉄錆のような、奇妙な匂いに満たされていた。床には、赤黒いシミがいくつも広がり、二人の靴底は、見るも無残に汚れている。特にアリスの白いパンプスは、ピンク色の汚れが目立ち、その清楚な外見とのギャップが、より一層、背徳的な雰囲気を醸し出していた。
八匹全てを潰し終えた時、二人とも、荒い息をつき、汗ばんでいた。アリスはその場にへたり込み、マリーは壁に寄りかかって、満足げに足元の惨状を見下ろしていた。
「…片付けないと」
しばらくして、アリスが呟いた。床に散らばった、小さな残骸。そして、汚れた自分たちの靴。
「ええ、そうですわね」
マリーは同意したが、その声にはまだ興奮の余韻が残っている。
「ですが、アリス様、ご覧になって。この汚れ…なんと美しいのでしょう」
マリーは、アリスの白いパンプスを指さした。ピンクと赤が混じり合った汚れが、まるで抽象画のように、エナメルの表面と靴底を彩っている。
「これは、私たちだけの、秘密の芸術ですわ」
マリーの言葉に、アリスもまた、自分の足元を見つめた。汚れているはずなのに、なぜか、それがひどく扇情的に見えた。マリーと共有した、禁断の儀式の証。
二人は、言葉少なに後始末を始めた。残骸を古い布でかき集め、物置の隅にあるゴミ箱に捨てる。床の汚れは、完全には落ちないだろう。そして、互いの靴を、持参した濡れ布巾で拭き清める。しかし、こびりついた汚れは、簡単には取れなかった。特に、靴底の溝に入り込んだものは。
「まあ、少しぐらい残っていても、構いませんわよね?」
マリーは、アリスのパンプスの底を覗き込みながら、悪戯っぽく笑った。
「これも、私たちの絆の証、ということで」
アリスは、何も答えずに、ただ頷いた。もはや、この汚れを完全に消し去りたいとは思わなかった。マリーの言う通り、これは、二人を結びつける、歪んだ絆の証なのだ。
自室に戻る途中、二人は言葉を交わさなかった。しかし、その沈黙の中には、以前とは違う、濃密な空気が流れていた。共有した秘密、共有した快楽、そして共有した罪悪感。それらが、二人をより強く結びつけているのを感じた。アリスは、マリーに対する恐怖心は依然として持ち続けていたが、それと同時に、この共犯者なしでは、もはや自分の暗い欲求を満たすことができないだろう、という依存心も抱き始めていた。
部屋に戻り、マリーがアリスの体を拭き清め、寝間着を着せる。その手つきは、いつもの侍女としてのものだったが、その目の奥には、物置での出来事の残滓が、まだ熱く揺らめいていた。
「おやすみなさいませ、アリス様。また、素晴らしい夜を、ご一緒できますように」
マリーは、意味深な微笑みを残して、部屋を出ていった。
一人になったアリスは、ベッドの中で目を閉じた。瞼の裏には、先ほどの光景が焼き付いている。子ハムスターの柔らかさ、潰れる感触、マリーの恍惚とした表情、そして、自分自身の抑えきれない興奮。罪悪感が無いわけではない。しかし、それ以上に、マリーと共有した、あの背徳的な一体感が、アリスの心を捉えて離さなかった。
(私たちは、どこまで行くのだろう…)
アリスは、暗い予感を覚えながらも、その予感自体に、微かな興奮を感じている自分に気づいた。マリーという存在が、自分の人生に現れたこと。それは、不幸なのか、それとも、隠された本当の自分を解放するための、必然だったのか。
答えはまだ分からない。ただ、一つ確かなことは、白百合の姫君と、その侍女の、秘密の倒錯劇は、まだ始まったばかりであり、その深淵は、計り知れないほど暗く、深いということだけだった。そして、アリスの白いパンプスとマリーの黒い靴は、これからも、二人だけの秘密の舞台で、血塗られた輪舞曲を踊り続けるのだろう。
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