第30話

「え……」


「俺は咲が思ってるような人間じゃないから」



そう言って千幸さんは私の横を通り過ぎ、締めの準備を始めた。



「もうここにはこないほうがいいよ。変に期待させたならごめん」


「千幸さ…」


「俺ね、女の子みんなに優しいの」


「っ」



わかるでしょ?



鋭い瞳でそう訴えられた。


私はその瞳に捕えられたまま動けないでいる。



どうして。

今さっきまで、あなたを失うくらいなら傷ついてもいいって思ったじゃない。


それなのになんで言葉にならないの。



「全部忘れてくれていい。俺のこと…全部」


「っ…なんで」


「………」


「会えてよかったって…言ってくれたっ…」


「…誰にでも言ってる」


「っ」


「それ同情でしょ…、俺の昔の話聞いたから」


「ちが…」


「俺も同情したの、咲の過去と、可哀想なフラれ方に」


「っ…嘘だ」


「本当だよ」



まるで別人みたいだった。


今までの優しかった千幸さんは本当に嘘だったみたいに、今の千幸さんの瞳には光がない。




千幸さんはカウンターからでてきて、私に近づき、壁に追い詰めた。



「それとも他の女みたいに体だけの関係になりたい?」


「っ」


「いいよ、俺は」




心が、はちきれそうだった。


光のない瞳を見て、涙がぼろぼろと溢れてきた。


そんな私を見て、千幸さんは少しだけ顔を歪めた。



「私はっ…千幸さんみたいな人になりたいって思ったっ…」


「………」


「先生に向いてるって言ってくれた時…、私っ…死ぬほど嬉しかったからっ…」


「っ」


「ねぇ…それも、嘘だった…?」




俺がいるって抱きしめてくれた温もりも、


美味しそうに笑う顔を見ると元気になるって言ってくれたことも、


私の手料理を美味しいって食べてくれたことも…、



全部全部、嘘だった?



ねぇ答えてよ、千幸さん。







「…嘘だよ」






――その言葉を聞いた瞬間、私は思い切り自分の涙を拭って千幸さんと壁の間から抜け出し、店を出た。



苦しいなんて気持ちじゃ整理できなかった。



「っ…は」



悲しいって言葉なんかじゃとても追いつかなかった。




だってフラれてしまった今でも、

千幸さんの香りを、

千幸さんの笑顔を、

千幸さんの温もりを、


まだこんなにもはっきりと思い出せるから。

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