陽菜の過去

 き、聞いてしまった。

 今まで連絡先を聞かれることはあっても自分から尋ねることはなかった。

 この人は他の人達とは違う気がする。咄嗟の行いに脳が言い訳を始める。

ーまあ、今までこんな人がいなかったのは事実だしー

 いや、それは違う、『いなかった』の部分が。

 今の私に大きな影響を与えたあの人のことを思い出していた。



 小学1年生の頃、私のクラスではイジメが行われていた。ただ、小学生のイジメということもあり、クラスのガキ大将的な男の子が4人くらいを率いて1人の男の子を馬鹿にしたり、仲間外れにしていた程度だ。それでも私はそのことが許せなかった。複数人で1人をイジメる男の子も、何も行動できない自分自身も。

 でも、あの人は違った。けーくん、確か苗字は日川。けーくんはガキ大将たちの目の前でイジメられていた子と気さくに話し、楽しそうに笑った。ガキ大将は自分に歯向かったと思ったのか、けーくんのこともイジメようと、陰口を言ったり、紙に悪口を書いて机に置いたりしていた。

 それでも、けーくんはその子との関わりをやめず、ついに苛立ちが頂点に達したガキ大将はけーくんと喧嘩になった。どうやら言い争いから発展したようだが、肝心の言い争いの内容は聞こえなかったが、今までどんな嫌がらせを受けようが何もしかえさなかったけーくんが怒りに身を任せてガキ大将に挙げた拳を振り下ろしかけていた。

 今になって思えば、その時から私の中で、彼は特別だったのかもしれない。イジメのとき何もできなかった私が、けーくんが人を傷つけてほしくないと、自分勝手にもそう思っていたのだろう。

 私は喧嘩する2人の間に入ってけーくんに喧嘩をやめるように説得しようとした。

 その時、「じゃますんじゃねえよ!」と後ろからガキ大将が私に標的を変えて殴りにかかってきた。

ーなぐられる…!ー

 思わず閉じた目を開けると、拳を振り下ろしたガキ大将と、目の前で私を庇って殴られたけーくんがいた。


 その後、先生が教室に入ってきて、イジメっ子たちは職員室に連れていかれ、私とけーくんは少し事情を聞かれてから保健室に行った。

 保健室の先生に迎えられ、ベッドに案内される。彼の傷の手当てが終わり、担任と話すと先生は保健室を出ていってしまった。

 2人の間に気まずい時間が流れる。 

 「あの、ごめんなさい、私を庇って」

 溢れそうな涙をこらえて彼に謝罪する。

 「殴ってきたのは向こうだし、それに喧嘩を止めにきてくれただけじゃんか!君が謝ることは一つもないよ!」なぜか少し怒りながら彼は言う。

 「それに謝るなら俺のほうだよ!俺が殴ろうとしなければ君が止めに入らずにすんだのに」

 「じゃあお礼だけ言わせて、ありがとう」

 「こちらこそだよ!君が止めてくれなかったらあのままあいつを殴ってた」

 「やめて」

 心の底から出た言葉はいつもより何音も低かった。

 「約束して。誰も傷つけたら駄目。貴方だけは。」

 あんなに優しい彼が誰かを傷つけるのが、どうしようもなくいやだったんだろう。 

 「わかった、約束するよ。じゃあ君も約束して。あんな危険なことしないで。君が傷ついたら悲しむのは君だけじゃないからね。」

 優しく、それでいて強く言う。

 「家族、友達、先生、僕、みんな傷つくんだよ!」 

 彼は私が傷ついたら悲しんでくれるらしい。

 その日以来、私とけーくんは仲良くなり、遊んだりするようになった。互いをけーくん、ひーちゃんと呼びながら、公園など色んなところに行った。


 別れは突然だった。 父がギャンブルでの借金を残して消えた。

 母が借金を背負うことになり、東京に行かざるを得なく、当然私もついていくことになった。彼には借金のことは隠して東京に行くことを伝えた。彼はわかりやすい子だったから、嫌だという気持ちは表情をみれば一目瞭然だった。

 あぁ、告白しておけば良かったな…

 もしかしたら私はけーくんに告白されるのを期待していたのかもしれない。『離れていても好きだ』とか『残ってほしい』とか言われたかったのだろうな。モヤモヤしたものを抱えながら私は東京に行った。

 中学校の修学旅行のとき、私の人生が変わった大きな事件があった。

 

 修学旅行の行き先発表は奇しくも生まれ育ったあの街だった。私は高鳴る胸と期待、そして不安に締め付けられた。もし彼と会えたら何を話そう。東京のこと、中学校のこと、そして恋人のこと。

 もし彼に特別な人ができていたら、私は東京正気を保てるだろうか?

 修学旅行当日、私は自由時間で、班のメンバーに言い、その場を抜け出した。勿論彼に会うために。

 連絡先も知らないから、いきなり会って驚くだろうか?喜んでくれるだろうか?そんなことを考えながら彼とよく遊んだ公園に足を踏み入れる。

ーえ?ー

 目を疑う光景がそこにはあった。20代くらいの男性2人組が小学生の女の子を連れ去ろうとしていたのだ。

 「ちょっと、何してるんですか!?」

 何も考えずに首を突っ込んでしまった。警察への連絡なんかも忘れて。

 「チ、見られちまった」

 「どうする?」

 「まあ見られた人間は殺すか縛って放置というのが依頼だ」

 「それもそうだ、おい!」

 「な、なんですか!」

 片方の男の手にはナイフが握られていた。途端に恐怖に支配され、体が動かなくなる。

 「すまんが、命令でな、死にたくなかったら縛られてもらうぞ、叫んだり抵抗したらこの子も無事ではすまねえ」

 「わ、わかりました。でも私の代わりにその子のことは解放して下さい!」

 「それは無理なお願いだな。この子を誘拐するのが目的なんでね。というかこの時間なのに制服?修学旅行生か」

 ナイフを突きつけられながらナイフを持っていない方の男にどんどん縛られていく。しまいに口を布で塞がれ、声も出せなくなった。

 「車が来るまであと20分といったところか。この2人を外から見えないところに運ぶぞ」

 「そうだな」

 ナイフを突きつけられながら私達はトイレ横の陰まで移動する。

「よく見たらこいつ結構良い体してるな。こっちのガキは手を出しちゃいかんが…」

 絶望的な状況に恐怖とこの女の子への申し訳なさに心が侵される。

ー誰か助けて!ー

 その時だった。パトカーのサイレンが鳴り響き、こちらに向かってくるのを感じとれた。

 「やべえぞどうする!?」

 「こいつを人質に時間を稼いで、車が来次第ガキ連れて逃げるぞ」

 その時だった。パトカーに気を取られ、2人ともが私達から目線をそらせたその一瞬で中学生くらいのマスクをつけた男の子が、トイレの屋根から飛び降りながら私達2人を抱えて距離を取った。

 「なんだてめえ、いつからそこにいやがった!」

 「そいつらを返してもらおうか、特に小さい方をな」

 ナイフを突き出して男が言う。

 「断る。ゴホゴホ」

 2人の男が襲いかかる。

 「んーー(逃げて!)」

 中学生の男の子はナイフを持っていない方の男の殴りかかってきた腕を取り、体の反対側に押し付け、動きを止めた。しかし、もう1人の男は私に向かってやってきた。

 「おい、こいつがどうなってもいいのか?」

 私の首元にナイフが突き立つ。

ー怖い、やだ、死んじゃうー

 彼は押さえつけていた男を解放し両手を挙げて私に近づく。

 「おい、それ以上近づくな、どうなるかわかってんだろうな」 

 刹那彼のつま先がナイフを捉える。宙を舞うナイフに動揺する隙に彼は再び私と女の子を抱えて距離を取った。だが、ぜえぜえと彼の息は一層荒くなる。彼と反対を向いている私は、公園の横にパトカーが止まり、警察官が出てくるのを見て、ようやく安堵することができた。ナイフを拾ったもう1人がその手を振りかざすのを見るまでは。

 「んーーー!!」私の叫びにならない叫びに気づいた彼は咄嗟に私を庇い、男に背中を向ける。

 彼の背中から血が流れる。警察が来る。

 そこからの記憶は曖昧で、とにかく助けてくれた男の人への感謝と罪悪感でいっぱいだった。でも唯一鮮明に覚えている彼の言葉。

 「なんであんな無茶したんだ。君に何かあって傷つくのは君だけじゃない」

 いつ言ったのかは覚えていない。でもその言葉は何度も脳内で繰り返される。

 

 あとで聞いた話だが、誘拐されかけた女の子は無事で、どうやら家がお金持ちで狙われたらしい。あのあと待ち伏せた警察官に、車で迎えに来た残りのメンバーも全員逮捕され今は檻の中らしい。そして助けてくれた彼は、地元の中学に通う同い年で、たまたま熱で早退したところ、事件を目撃し、通報してくれたらしい。それ以上は個人情報だから教えてくれなかったが。

 一つ疑っていることがある。あのマスクの中学生はけーくんなのではないかと思っている。マスクで顔は全て見えなかったが、仕草、しゃべり方がよく似ていた。そして何より、あのセリフ。もう一度会って感謝を伝えたあとに聞こうと思ったのだが、連絡先も知らぬ上に修学旅行も終わりを迎え、東京に戻る時になり、ついぞ聞くことはできなかった。


 あの事件以来、私は男の人が苦手になった。

 

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