第9話 さようならの代わりに

2025年4月22日、東京国際フォーラム。

春の光が淡く降り注ぎ、桜の葉が優しく風に揺れていた。

その穏やかな風景と裏腹に、集まった人々の胸には、重く深い寂しさが宿っていた。


中山美穂、享年54。

あまりに早すぎる別れだった。


彼女がこの世を去ったのは、2024年12月6日。

女優として、歌手として、ひとりの人間として、多くの人に愛され続けたその存在は、静かに幕を閉じた。


式典には、業界関係者、友人、ファンが数多く集まり、

会場の中央には、やわらかく微笑む彼女の遺影。

あの頃のままの笑顔だった。

透明感と芯の強さ、優しさと寂しさ、そのすべてが宿っていた。


そして、その壇上に立ったのは――小泉今日子だった。


黒いスーツに身を包んだ彼女は、深く一礼し、原稿を広げる。

そこには、何度も推敲されたであろう、美穂への想いが綴られていた。


「中山美穂さま。

 初めて会ったのは、テレビ局の控室でした――」


読み上げられたのは、一通の手紙。

それは思い出をひとつひとつ紡いだ、長い長い“ラブレター”だった。


16歳の少女だった美穂。

21歳の今日子。

年の差4歳のふたりは、アイドルという同じ海のなかで、もがきながら、寄り添いながら泳いでいた。


共に笑い、共に涙を流した日々。

忙しさの中で、手を取り合った青春。

離れても、どこかでつながっていた実感。


「その瞳は、ずっとあなたの魅力だったよね。

 その瞳を見た瞬間に、この子とは仲良くなれると思ったのでした」


そんな一節に、会場からすすり泣きが聞こえた。


「ファンの皆さんは、毎日のようにあなたが歌う姿、演じる姿をSNSに投稿してくれてますよ。

 あなたはずっと、誰かの心の中で生きてる」


そう語る今日子の声は、震えていたが、凛としていた。


「さて、いよいよ私も…ある言葉をあなたに言わなければなりません。

 美穂…さようなら。美穂、よく頑張ったね。

 ありがとう。かわいい妹、美穂。元気でね。

 そのうち、行くから待っててね」


会場は静寂に包まれた。

その静けさは、悲しみの重さでもあり、尊敬と感謝の証でもあった。


式の終盤、スクリーンには中山美穂の映像が映し出された。

デビュー曲『C』から始まり、女優としての代表作の断片、

プライベートな笑顔、旅先でのスナップ……。


彼女の人生が、一本のフィルムとして流れていく。


そのすべてに、ひとつの共通点があった。

――愛された人、そして、愛した人であったこと。


式のあと、小泉今日子はひとり、ロビーの片隅で立ち止まっていた。


ふと、上を見上げた。

会場の高い天井のガラス越しに、春の空が透けて見えた。

どこかで、美穂が笑っているような気がした。


「きっと、あなたは大丈夫。きっと、もう泣いてないよね」


彼女は小さく呟いて、静かに会場を後にした。


春の東京に、風が吹いていた。

その風に、桜の香りと共に、美穂の面影が溶けていった。


けれど、彼女はもう、忘れられることはない。

誰かの心の中で、永遠に歌い続け、演じ続けるだろう。


それが――

「さようならの代わりに」

小泉今日子が、美穂に贈った最後のメッセージだった。


〈完〉

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『サンクチュアリ -ふたりだけの約束-』 湊 マチ @minatomachi

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