第7話 転生(3)

「えぇ……」


 人間を人形だと言い張る――。

 一国の姫さまが吐く規格外のウソ。


「ずいぶん盛大なウソだなぁ」

「わたくしは一国の王女。スケールの大きさは致し方ないでしょう?」


 姫さまは呆れ顔のわたしに続けた。


「もちろん、これからモーリーが会う皆さま全員も人形だと認識します。わたくしとレオノーラ、そしてモーリー本人。この三人しかモーリーの心臓の鼓動を感じられないのです」


 レオノーラという名前はさっき聞いた。

 誰が誰だがわからないけど。


 とにかく聞きたいことが多すぎる。

 わたしはポンポン浮かんでくる疑問をかみ殺して告げた。


「……そうする理由はなんですか。これはただのダンジョンじゃないんです?」

「さきほどネリアに対して行った一連の動作は覚えているでしょう」

「はい。全部聞こえていたし、一部見えていました」


 あれが役目の人形のテイなのはわかるけど。

 ここまでする理由はなにか?


「すでにお察しのことかとは存じますが、モーリーはこのダンジョンの管理者、この最深部に到達したものを称え、その偉業を記録する役目です。その役目の間、モーリーは自我があるけど意思がない、ただのマリオネットとなるのです」


 ある言葉に引っ掛かった。

 眉根を寄せる。


「役目の間……?」


 わたしの疑惑の視線に対して。

 姫さまは鋭いですね――と笑った。


「マリオネットとなる時間はごくわずかです。ここに踏破者がやってきてから、踏破者に《~本ダンジョン地上入り口までお戻しします》と告げる瞬間までです」

「え、みじかっ」


 それじゃあほとんど自由時間じゃん。


 姫さまやレオノーラという人は例外として、わたしは魔導人形のくせに一日の大半に自由を認められているようだ。


 踏破したあとわざわざ最深部に長居する人はいないだろうし、さっきの誰かが「一日二回挑戦可能」と話していた。


 割と気楽な贖罪かも。

 わたしはそう楽観視していたのだけど。


 ……ん?

 ちょっと待って。


 何となくモヤモヤした違和感があった。


「わたしは魔導人形なんですよね?」

「そうです。人間だとバレてはなりません」


 姫さまは口元に指で小さくばってんを作った。


 あ。かわいい。

 じゃなくて。


 やっぱ思ったとおりだ。


「じゃあなんで、踏破者が帰る前にマリオネットから戻っちゃうの?」


 さっきわたしが行った説明を思い出した。


 踏破証明書が発行されたあと、わたしに触れて「帰ります」と告げることで、踏破者ははじめてこのダンジョンから抜け出すことができる。


 でも姫さまの説明では、踏破者がわたしに触れる前に、わたしはマリオネットから人間に戻っちゃうらしいのだ。


 言い方は悪いけど、わたしの正体を看破されたくない割に詰めが甘いと思ってしまう。


 何を考えているの?

 姫さまの返答を待っていると。


 やがて姫さまは満足そうに息を吐いた。


「そう。あなたは少しの間だけ、踏破者の女性と触れ合うことができます。おわかりでしょうか? モーリーが人目のある状態で自由に動ける時間は、踏破者の女性にとっては逆に、人目を憚らず自由に使える時間となるのです」


 しばらく理解できなかったわたしだけど。

 姫さまの真意に到達できたときはっとした。


「一人の時間を黙々と楽しむ女性がいることでしょう。もしくは、魔導人形のモーリーに興味を抱く少女もいるでしょう。モーリーに何かを望む淑女も現れるかもしれません。あなたはそんな女性たちに寄り添い、肯定し、満たしてあげる役目があるのです」


 まるで悪戯を企む少女のような表情の姫さま。

 可愛らしくもあり、どこか底知れない印象を受けた。


 さらに姫さまは、ちゃんと覚えてください――と前置きしたうえで。


 追加の課題を投げてきた。


「モーリーは能動的に行動してはなりません。ですが万が一話しかけられたり、何らかの要望を告げられたりした場合、女性にはこのようにお伝えください」


 わたしは特別な魔力を注入された魔導人形です。あなたが地上に帰還するまで、あなたの命令に従って動くことが可能です――。


 何度か復唱を求められた。

 言われるがまま従って反復練習し。

 結構です――と言われるまで繰り返した。


 姫さまは満足そうに拍手した。


「さすがモーリー。美しい声で惚れ惚れします」


 姫さまが微笑んで立ち上がる。

 お尻をパンパンと払ってわたしに振り返った。


「これからどうぞよろしくお願いいたします」


 直角と思えるくらい頭を下げられた。


 姫さまの誠意がわかる丁重な態度。

 落ち着き払った雰囲気。


 信用してよい人物だと断定できる。


 しかし、腑に落ちない。

 わたしも立ち上がり、姫さまが下げた頭にそのまま思いをぶつけた。


「姫さまのそれはわたしの贖罪に関係しているんですか? なんでわたしがそんなことをしないといけないの?」


 白い空間で言われたこと。


 自死というのは一番重い罪で、転生した生をもって贖罪する必要がある。


 でもわたしの転生には姫さまが介入してきた。


 本来神さまが来るはずだったところに。

 転生後の人生が贖罪だと言うのなら。


 姫さまが転生させたわたしの今の生命の扱いはなんなの?


 どうしても釈然としなかった。

 姫さまの返答をじっくり待っていると。


 顔をあげた姫さまに、真面目な面持ちでしかと見定められた。


「巻き込んでしまって申し訳ございません。ですが、いずれにしてもあなたは背負った業を清算する運命でした。生前、あなたがお優しい方だったことを理解しています。直視したくない現実を突きつけられて希望を失い、不幸に見舞われたことは非常に残念です。ですから……」


 姫さまはそこで言葉を区切った。

 わたしに一歩近づいて、わたしの両手を取った。


「今世では生き抜いてみませんか? わたくしと一緒に」


 人を守り、人の心を慈しみ、人の笑顔を愛しなさい――。


 姫さまは顔をくしゃっとさせて笑った。


 瞬間、蓋をしていた大切な言葉に光があたった。


 他所の女と天秤にかけられ、父にあっさり捨てられた母とわたし。


 女手ひとつでわたしを育ててくれた母。

 辛い気持ちをおくびにも出さず、いつも笑顔だった母。


 口酸っぱく、耳にタコができるくらい聞いた言葉。


 あなたを愛してくれる人たちと、生きてさえいればそれでいい。最後に笑顔ならね――。


 姫さまの笑顔と母の温もりが重なった。


 せっかくここまで育ててくれたのに。

 不安にならないよう愛情を注いでくれたのに。

 わたしを生んでくれたのに。


 その愛をわたしはみずから捨ててしまった。


 母から授かった大切な命とともに。


「うっ。うぅ……」


 熱いものが込み上げてくる。

 それはわたしの瞳からあふれ出た。


「うわあぁあぁああぁあん……!」


 わたしは母を弔うことができなくなった。


 母と生きた日本にわたしはもういない。

 遠い異国、異世界に流れ着いてしまった。


 ああ神さま。ごめんなさい。

 もう二度と自死なんてしません。


 お母さん。ごめんなさい。

 もう二度と授かった愛を捨てません。


 そして。


 ありがとう。姫さま。

 わたしにそれを教えてくれて。


 姫さまは黙ってわたしを抱きしめてくれている。


 彼女の心音が。

 彼女の体温が。

 彼女の吐息が。


 わたしに“生”を実感させた。


 母からもらった命を姫さまにつなげてもらった。


 またわたしは生きることができる。

 わたしは決意した。


 姫さまの背中に伸ばす手に力がこもる。


「わたしやります! わたしにできるかぎりのことはします。やらせてください!」


 大声ではっきりと告げたわたしに。


 姫さまはただ無言で、わたしを抱きしめ返してくれた。

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