◆第二章◆

第1話 綺麗は自分で感じること。

 人生でたぶん初となるお友達申請を受けた五日後。


 前日からクオーツにお留守番を頼んで不興を買ったものの、帰ってから鱗に入り込んだ埃を取ってあげるからと言い含めて待つ閉店後の師匠の店。何度目かの時報を気にしていたところで時間外の来客を報せるベルが鳴った。


「ほ、本日よりお世話になりますわ」


「いらっしゃいませ、レイラさん」


「よく来たわね。それじゃあ早速だけど奥の方で簡単な質問と、現在のお肌の調子を見せてもらうわ」


 簡単な挨拶を交わした後、緊張した面持ちのレイラさんを衝立の向こうに設けた応接用の区画に案内する。使い込まれたダークグリーンのソファーとダークブラウンのテーブルは、私と師匠のお気に入りだ。


 片方のソファーに師匠と私、向かいのソファーにレイラさんと対面方式で座る。師匠は彼女がしっかりソファーに座ったのを確認すると、無遠慮に向かい側からじっくりレイラさんの顔を眺めた。そして――。


「あー……やっぱりね。地がすでに全っ然なってないわ。睡眠、栄養、油分に水分、どれもまったく足りてないわね。まあね? 化粧をして討伐に出ると化粧が落ちるのは大前提なのは分かるわ。しかもどこかで化粧を直すような暇がないのも。でもだからって素っぴんで良いわけじゃあないのよ?」


「ええと……これでも化粧水と乳液くらいはつけてますわね」


「頻度と量はどれくらい?」


「頻度は……夜の寝る前に一回で、時々疲れていたらせずに寝ます。量は、あの、掌にこれくらいですわね」


「はい、おブス決定」


「私より俄然ちゃんとしてますよ?」


「あんたが何もしなさすぎなの。この子もかなりサボってるけどあんたは論外。あたしが作ったご飯を食べてるんだから肌が綺麗なのはそのせいよ」


 何と……すでに師匠の魔法(美容に良い食生活)を半分くらいかけてもらっていてこれなのか、私。だとしたらサボりすぎなくらいサボっていることになる。

 

 美味しいものをお腹一杯食べて、適度に働いて(肉体労働)筋肉もあるし、睡眠もよっぽど調子を崩さない限り充分取れているから――レイラさんと同列に並ぶのも烏滸がましいのでは? 七年越しの事実に大反省だ。


「まず化粧水と乳液は最低でも朝と夜に一回ずつ。朝はテカるから乳液は少なめで良いけど、その分化粧水はたっぷりめに。値段は安いもので充分だから、浴びるくらいの気持ちで使いなさい。掌で温めて使った方が肌の吸収が良いものもあるから説明書はしっかり読むのよ?」


 手許の顧客用聞き取り書類に症状を書き込みながら話す師匠の言葉に、レイラさんも懸命に頷きながらノートを取る。何だか昔の私の授業風景に似ている気がして、こっそり師匠の横顔を盗み見た。


 すると視線に気付かれたのか赤い双眸がちらりと私の方を見て、今日は夕日色のニエラの花で作った口紅で彩られた唇が弧を描く。次いで「見惚れてないで、あんたも聞いておきなさいよ」と人差し指で頬を突かれた。


「次にあんたの頬の艶と血行の悪さも気になるわね。ああ、ほら。唇なんかやけに冷たいもの。朝ご飯はちゃんと食べる方?」


「いえ、出勤に時間がかかるので、パンと牛乳だけですわ。夜は街のカフェで適当に食べています」


 普通はいきなり女性の唇に手の甲を当てたら案件だろうけど、下心の一切ない師匠が相手だといやらしさがまったくない。事実唇に触れられたレイラさんも少しも意識した様子がなく受け答えをしていた。


「確かにサラダは手間がかかるものね。それにあんたの場合は胃腸が冷えてるから、夏でも朝に冷たいものはなるべく避けた方が良いわ。牛乳とパンの代わりに温めたヨーグルトに蜂蜜とナッツ、ドライフルーツを入れたものを食べなさい。あれならお店で買う時に配分を決めて一緒に詰めてもらえばすぐよ」


「ドライフルーツとかナッツはどんなものが良いのでしょうか?」


「ドライフルーツはベリー系や、シシリーの実なんかが良いわね。基本そのまま食べて少し酸っぱい果物がお勧めよ。それからナッツ類はかさついた肌や髪に艶を出すのに必要な油分を持ってるから、これは好みのものを使いなさい」


 そう言うや即座に出てくる美容に良い食べ物リスト。パッと見ただけで三十品目は優に越えている。色ごとに分けられているので意外にも見やすいけど、一気に憶えるのはとても無理そうだ。


 レイラさんもそう思ったのか、必死に書き出していっている。私も彼女を見習って出来るだけ憶えようと思う。


「あとは髪や肌に艶が出てきたらナッツ類の量は少し減らして。でないと同じ量で食べ続けると吹出物や油肌の原因になるわよ。因みに温めたヨーグルトは吸収されやすくて、弱った胃腸の調子を整えてくれるの」


 聞き取りと食生活の改善方の説明が一通り終われば、今度はお客に化粧品を売りつける前にお試しをする鏡の前にレイラさんを連れていき、彼女を椅子に座らせてから数色あるスカーフを手にした師匠が背後に立った。


 急に背後を取られて何をされるのかと怯えるレイラさんに「怖いことはしないですよ」と笑うと、彼女はぎこちなく微笑んで俯く。まるで鏡の中にいる自分を直視したくないとでもいうように。


 その気持ちがよく分かるだけ、彼女が元婚約者や両親に投げかけられた言葉で傷付いたのだと知った。でもまぁ、そこはうちの師匠なので――。


「今日から人や自分の視線から逃げて俯くたびにおブスになると思いなさい」


 相変わらずのバッサリ感。言葉を選ばない強者の発言に顔色を失くしたレイラさんが「どうして、ですか?」と弱々しく口を挟んだ。


「あんたが自分で自分に呪いをかけてるからよ。ここでこうしているのに、内心では〝どうせ私なんて綺麗になれない〟とか思ってるでしょう? あんたはちゃんと自分に似合った綺麗を持ってるの。それを他の人間にどうこう言われた程度で見失ってちゃ駄目よ」


「でもそんなこと――、」


「魔法使いが自分に魔法をかけられないはずがないわ。かけられる。かけるのよ。あんたは魔法をブッ放して高笑いしてる時の方が綺麗だわ。だったら誰がどう言おうと、あれがあんたの綺麗の形なのよ」 


 ……どんな状況で見られる綺麗なんだろうか、それは。気になりつつも不安げな視線を鏡越しに向けられたので、取り敢えず力強く頷いておいた。元より美容についてはほぼ何も口出し出来ない。


「それからあんたは今日家に帰ったら、沈んだ寒色系の服は全部捨てなさい。見て、この色とかだと貧相に見えるでしょう? その代わりにこの色の方が肌に合ってるの。分かる?」


 手にしたスカーフをあてがう師匠と、言われてそーっと視線をあげるレイラさんと、どれどれと近付いて覗き込む私。三者三様の動きを映し出す鏡にはご苦労様と言ってあげたい。


 ――と、確かに後ろから見ていただけだと彼女に強すぎるように見えた色が、ちょうど良い感じに顔色を明るく見せることに気付いた。


「本当だわ……でも、こんな色、着たことはないのだけど」


「本当ですね。私も漠然と知的なレイラさんには、絶対寒色系か暗色系が似合うと思ってました」


「似合いそうと似合うは別物よ。分かったら残すのは淡い色と明るい色のものだけで良いわ。化粧も魔法を使ってる時のあんたに合わせるから、服も強そうな色と形のものがいるわね。適当に知り合いの店を幾つか教えておくわ。その中の好きな場所で選んでみなさい」


 その言葉に汚城の籠に今日も大量に放り込んだお高い服が過る。あれを基準に店を選んだ場合の彼女のお財布事情が気になったけれど、やや明るさを持ち始めた表情で頷くレイラさんを見ていたら水を差すこともないかと思い直した。


「確か次に顔を合わせそうな機会は双方の知り合いの誕生日の席だったかしら?」


「は、はい。十月ですわ」


「そう、あたしが教えるなら充分な期間ね。途中でダレたりしないようにうちのおブスを学友として貸してあげる」


 最後の一言がなかったら最高に格好良かったはずなんだけど……それがうちの師匠らしさなので。苦笑する私を鏡の中から微笑ましそうに見つめているレイラさんに、下手くそに片目を瞑って見せた。

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