第15話 師匠に友人が……って、違う?
「本当に帰りの馬車を呼ばないでも良いのですか?」
そう言うレイラさんの視線が、私の腕に抱かれて鱗についた埃を落とされている最中のクオーツに注がれる。クオーツはクオーツで初顔合わせが最悪だったレイラさんのことを快く思っていないのか、舌をちらつかせて彼女を威嚇していた。
でも私がその鼻面をコショコショとくすぐってやると、すぐに「グルルル」とご機嫌に喉を鳴らす。その姿にドラゴンの威厳は皆無だ。可愛いから良いけど。
「ええ。どうせここにはまた来ることになるでしょうし。そうしたら次からは馬車でチンタラ来るのも面倒だから、空間転移の魔法陣を考えておきたいのよね。そうなると上空から俯瞰して全体を掴む必要があるの」
しれっと決定事項のように言う師匠の脇腹を肘でつつけば、彼はお綺麗な顔を不満げに顰めて「何よ」と言った。何よじゃないんだよナー。毎回のことながら、自分に恋愛感情的な好意がないことが分かると途端に判定がおかしくなる人だ。
……まぁ、だから私は七年間もずっとそういう風に接しているのだけど。弟子の心師匠知らず。それで良いのだ。しかしレイラさんはそうではない。クズとはいえまだ元婚約者を想っている婚前前のお嬢さんなのだから。
「師匠……普通はその前に家主である彼女に、敷地内に魔法陣を作っても良いか聞くもんですよ。うら若き女性の一人暮らしなんですから」
「面倒ねぇ。でもまぁ、一応聞くわ。作って良いわよね?」
「は、はい、勿論ですわ」
「圧力をかけろとは言ってないんですよ師匠。レイラさんも流されちゃ駄目です。あの初対面でギルドのドアを破壊した勢いはどうしたんですか」
「ま、魔法を使っている時は気分が高揚してるから……何でも出来る気がするの」
やや痩けた頬に手を添えてフフフと暗黒微笑を浮かべるレイラさん。クマの目立つ顔でその笑い方は黒魔法使いっぽかった。どうもこの人は魔法を使っている間だけ無敵感があるらしい。魔術師にはまともな人種はいないのだろうか。
というか、元婚約者のところにあの勢いで突っ込んでやれば良かったのではとも思ったものの、惚れた弱味とか乙女心とかあるんだろう。そう考えたら彼女の元婚約者の顔は知らないけどムカムカしてきてしまった。
「あの、レイラさん」
「はい?」
「うちの師匠はこんな人ですけど、魔術と美容に関しては本当に凄い人なんです。だからここに転移魔法陣を作っておいたら色々お得ですよ。うんと綺麗になって、元婚約者――いえ、そのクズに勿体ないことしたって後悔させてやりましょう」
握った拳を二、三度突き出して元婚約者のことを殴る格好をすると、彼女は一瞬だけ目を大きく見開き、今度こそ柔らかく「そうね」と笑った。こちらがつられて笑ってしまうような、そんな穏やかな笑顔。
師匠に逢う前の記憶がない私には、ジークさんと師匠以外で初めて見る他人の笑顔だ。顔の傷跡を見てもこんな風に笑ってくれる人がいるとは思ってなかったから、何だかむず痒い気持ちになる。
急に恥ずかしくなってきたので師匠の後ろに隠れて、クオーツに大きくなって欲しいと耳打ちすると、クオーツが心得たとばかりに鼻息荒く上空に舞い上がり、瞬き一つの間に巨大化して降り立った。
大きくなったクオーツの背中に乗るのは初めてのことなので、先に師匠が上り、差し伸べられる手を取って引っ張り上げてもらう。見下ろした先でレイラさんが一度何かを躊躇う素振りを見せて。けれどクオーツが翼に魔力を送り込み始めたことに気付いたのか、意を決したようにこちらを見上げて口を開いた。
「こんなに迷惑をかけてしまったあとで言うのは烏滸がましいと分かっているの。でも……あの、アリアさん。わたしとお友達になって……頂けない、かしら?」
終わりにつれて徐々に聞き取りにくくなっていく声。その言葉の意味を咀嚼する間に翼に魔力を充填したクオーツが軽く翼を振るう。皺だらけのワンピースの裾がはためき、地面から離れる浮遊感にハッとして「私でよければ!」と返した。
彼女が嬉しそうに目を細めるけれど、直後にグワッとクオーツの巨体が浮かび地面に堂々とした陰を落として地上が遠ざかる。手を振ってくれるレイラさんの姿があっという間に豆粒ほどの大きさになった。
今まで感じたことのない重力が全身にかかって、足の下に地面がないことに本当の意味で恐怖を感じる高さまできたのに、そのことが些細なことに感じるくらい心臓が騒がしい。
「し……師匠」
「何よ」
「ど、どうしよう、友達が出来ちゃいました……」
「良かったじゃない。イケてない同士気も合うんじゃないの?」
「そこは歳が近い同性でまとめて下さいよ」
「あんたくらいの歳頃であれだけ手入れしてない子はそうそういないわよ。類友が出来て良かったわね」
素直じゃない。一言も二言も、何なら会話内容の半分くらいは余計な言葉のことも多いけど。この人なりのひねくれた優しさを知っている。たぶん。だから――。
「はい。私、同年代の友人が出来るなんて思ってなかったから嬉しいです。出会い方はあれでしたけど、きっかけをくれてありがとうございます師匠」
もう屋根の色と形でしか判別がつかなくなった〝友達の家〟を眼下に、クオーツの背中で師匠を見上げてへらりと笑えば、背後で支えてくれる師匠が呆れた声で「締まりのない顔ねぇ」と言うから。もっと締まりのない顔で笑いながら、汚城までの空の旅を楽しんだ。
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