第2話 新しい日常。


 六月の残りは駆け足に過ぎて、昨日から暦は七月になった。


 今年は四月からこっち、社会学習に出たり、ドラゴンの鱗をむしりに行ったり、衝撃的な出会い方をした女性と人生初の友達になったりと慌ただしい。まるで今までひっそり師匠と森にいた七年間を一気に塗り替えていくみたいな日々だ。


 この頃はレイラさんの頬もふっくらとしてきたし、唇も皮が向けたりしていない。頑固なクマだってほぼなくなった顔は、流石に貴族の娘さんといった気品に彩られている。私も恩恵に与る形でやや髪と肌の艶が良くなった。でもまぁ、左の顔に残った傷跡は相変わらず。師匠が褒めてくれない代わりにレイラさんがたくさん褒めてくれる。


 元の静か(?)な生活も充分に楽しかったけれど、新しい日常も楽しい。師匠はお給金を全部は受け取ってくれないから、私の手許にも〝自由になるお金〟というものが出来た。まだ明るい時間帯に街に出かけるのは怖くて無理だけど、いつか師匠に何か贈り物を買いに行きたいという新しい野望を抱きつつ――。


「おはようございます、ジークさん。お給金下さい」


 特にやることは変わらない。欠伸を噛み殺しながら出勤してきたジークさんの前でズイッと両手を差し出すと、ジークさんは「うーい、ご苦労さん。その挨拶はいい加減どうにかならんのか」とお酒臭い溜息混じりにそう言った。


 とはいえギルドマスターという責任のある立場についていながら、翌日に残る勢いで飲んだ人に言われたくない。


 袋をひっくり返して中身を確認しながら「無理ですね。私はお金のためにここに来てるので」と答えれば、彼は頭を掻きながら「うちのギルドの奴等と同じようなこと言いやがる」と笑ったけれど、私はそんなジークさんよりも壁に新しく設けられた黒板に釘付けになった。


 黒板にはギルドに登録してある人の名前と、請け負った仕事の内容と件数、最短依頼達成と最長依頼達成の表記、得意な依頼や苦手な依頼、顧客の再依頼率、それらすべてを考慮したギルド員の順位などが細かく記載されている。


「それよりもコレを設置してから皆さん凄いですね。業績を可視化するのってやっぱり大事なんだな~」


「だろ。オレもルーカスの野郎に言われた時は半信半疑だったが、コレをつけるようになってからギルドの奴等の働きが活発になったんで驚いてる。目に見えて評価されるってのが良いのかもしれねぇな」


「そりゃそうですよ。誰が褒めてくれるわけでもないなら、自分で頑張ったなーって一目で分かるものがあった方が嬉しいですもん。でも師匠の提案を聞き入れといて正解だったでしょう」


 ――というのは半分本当で半分嘘だ。


 実際にはレイラさんの名前が広がって、ご両親や元婚約者のクズに届けば良いという目論見である。それでもこれを導入したおかげで皆のやる気が上がっているのなら、きっと遅かれ早かれ必要になったものだと思う。


 事実師匠が言うには他の風通しの良いギルドではすでに採用されているらしい。今までここになかったのは、単にお行儀の悪い人達があっという間に汚すか破壊するからだというのは、掃除婦として働いている私が一番よく知っている。


「ふーん……オレは金が入りゃあ何でも良いがね。ま、何にせよお前さんのお友達はガンガン上がってきてるぜ。このまま行けばうちの看板の一人になれる」


 そう最初に気のない返事を挟みはしたものの、どこか面白がる声音でジークさんが黒板を軽く叩く。そこにある名前を見て思わずにんまりしてしまった。それと同時にようやく火口に安定して火を点せるようになった自分を比べて、成長の遅さにややがっかりしてしまう。


 でも元から魔力がないんだから、ここは比べて落ち込むだけ無駄。師匠も『爪の大きさ程度とはいえ、座標が結べるようになっただけマシね』と言っていたから、たぶん成長はしてるんだ……と思いたい。


「本当だ。レイラさんこの一週間でさらに四つも依頼をこなしたんですね」


「おう。それも魔物討伐ばっかりな。自信がついてきたのか仕事もどんどんえげつなくなっていってるらしいぞ」


「それは……良いことです?」


「少なくともうちのギルドじゃあ良いことだな。組みたいって奴が増える。あの子はちょっとここで浮いてたからな。その点最近はお育ちの良さが全く感じられん。オレ達の界隈で人気の血の気が多くて戦闘力が高い良い女になったよ」


 これがジークさんなりの最上級の褒め言葉だというのは分かる。分かるけど世間で言うところの良い女像からは離れていっている気がしてならない。


 しかしそこを目指しているのは当の本人だし、けしかけた私達でもあるので〝まぁ良いか〟に落ち着く。その時裏口のドアがノックされ、ジークさんが「噂をすればなんとやらってやつだな。そら、おはよーさん」と笑いながらドアを開けた。


 現れたのは、あまりヒラヒラしない素材の真っ黒な服に身を包んだレイラさんだった。師匠に言われたお化粧方法を実践しているらしく、垂れ気味で短い優しそうな眉を、キリリと太めに描いている。目蓋の縁に入れた赤い線が格好良い。


「あ、レイラさん、おはようございます。四日ぶりですね! 今ちょうどレイラさんの話で盛り上がってたんですよ」


「ま、まぁ……アリアさんに朝イチで会えるなんて嬉しいわ。それにギルドマスターもおはようございます。何のお話で盛り上がってたのかしら……?」


「また順位が上がってるから凄いなって話をしてたんです」


「そーそー。もうすぐうちの看板張れる一人になるんじゃないかってな」


 私達が二人で口々にそう褒めると、彼女は「ありがとう」と嬉しそうにはにかんだ。太めの眉が下がると何だか可愛い。でも残念なことにそこでちょうど八時半の時報が鳴ってしまった。


「あ~、時間切れ。私はもう帰りますけど、レイラさんも無理しないで下さいね」


「ええ。今日もまた閉店後にお邪魔させて頂くわ。その時にちょっと耳に入れておきたいこともあるの」


「はい。それじゃあ師匠と一緒にお待ちしてますね~」


 控えめに手を振るレイラさんと適当に手を振るジークさんに手を振り返して、淡く輝く魔法陣に乗ってギルドをあとにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る