第14話 どうしたいのか、が大事。
本日はギルドの事故での謝罪と、師匠から彼女が今後一切私達に接近しないという約束を取り付けてもらうために、お貴族様達が保養を目的として別荘を構えている一角へとやって来たはずだったのだけれど――。
招かれたお屋敷はこじんまりとしていて可愛らしかった。外観だけは。内観は壁が見えないほど本や巻物が室内を圧迫していて、すでに帰宅していたのだろうかと思える既視感を感じた。師匠だけの奇癖かと思っていたけれど、魔術師界隈は皆こうなのかもしれない。
――……と、少々現実逃避をしてしまっていた。
先程までの我が師のあまりの遠慮のなさに。ただ正気に戻ったところで目の前で私が台所を掃除して発掘したティーセットを使い、師匠の入れた紅茶を飲む家主という謎な環境は何ら変わらないけど。
彼女の名前はレイラ・ウォーカー、二十一歳。身分は子爵令嬢だという。若草色の瞳に赤みがかった茶色の髪の美人さん……なんだけれど。瞳は充血していて目の下はクマが出来ているし、きっと本来は綺麗なのだろう髪も今はごわごわだ。美人は疲れていても美人と言うけど、これは限度がある。
馬車で一時間半かかる街のギルドで依頼をこなし、帰ってからは魔術師になるための勉強。貴族の令嬢が日課にするには厳しすぎる内容だと思う。
加えて私の顔が三日前の事故で出来た傷ではないかと思っていたそうで、その心労でさらにくたびれている。平身低頭謝られてしまったが、風魔法で火傷を負うはずはないのだけれど、それくらい気が動転していたらしい。どうして師匠もジークさんも私が気を失っている間に否定してあげなかったんだ。
しかも何故か師匠は私を拾った日のことについては一言も語ってくれず、自分で分かる範囲で教える羽目になってしまって居たたまれなかった。彼女の反応からも顔に傷があるというのは、やはり外の世界では就職で大きな不利になるようだ。
けれど私の傷を心配してくれるレイラさんの左手には不格好に包帯が巻かれていて、理由を尋ねたところ今日の魔道契約の書類に添える魔方陣に、加害側本人の血が必要というとんでもない事実を教えてくれた。何だそれ怖すぎる。
師匠がジークさんから聞いたという情報の大事な部分を知らなかった私は、あの直後に視線で〝先に教えておいて下さいよ〟と訴えたが、師匠から〝あんたすぐに顔に出るもの〟という視線をもらってしまったので、口を出さずにじっと彼女の口から語られる身の上話に耳を傾けていた。
これまでの彼女の話いわく、
『貴族の娘が魔法など極めてなんになる、はしたない、婚約者を立てろ、挙げ句の果てがお前のような可愛げのない女と結婚などあり得ない、婚約は解消すると一方的に。でもあの人はその後すぐに新しい婚約者を迎えてしまって。わたしは両親からここで療養するよう勧められましたの。社交界からも家からも閉め出されては、貴族としては実質流刑みたいなものですわね』
ということらしかった。その上で彼女はまだ幼い頃から婚約関係にあったボンクラ子爵家の男に心を残していて、師匠を追いかけ回していたのは魔術師としての才に憧れを抱いていたからだと告白した。
自棄になってギルドに加入し、師匠と一回だけ組んだパーティーで『なかなか筋が良いじゃない』と言われ、その一言に救われたことや、魔法への強い思いだけは捨てられなかったことも洗いざらい。顔に一目惚れされたのではないと分かってからは、師匠も皮肉ることなく話を聞いていた。
――が、それで終わらないのが師匠である。案の定レイラさんが話終えたところで手にしていたカップを本の上に置き、嫌みなくらい長い脚を窮屈そうに組み直して口を開いた。
「よーく分かったわ。要するにあんたは相手のクズ男にも、頭の古い両親にも何も言い返せず泣き寝入りした挙げ句、あたし達に迷惑をかけたのね?」
本日二度目の遠慮なし発言に、レイラさんの表情が消え去った。代わりに手にしているカップの中身が動揺を現すように飛び散り、大事な本の上に降り注いだ。
「しーしょーうー! 話を聞いてましたよね? 彼女の非は師匠につきまとったことと、ギルドのドアを破壊したことくらいですよ。それを何でトドメを刺そうとしてるんです。鬼なんですか?」
「大きな声を出さないで頂戴。第一あんただって結構トドメを刺してるわよ」
さも鬱陶しそうな表情で指摘され、師匠の視線を辿った先には、本の上にほぼカップの中身をぶちまけきったレイラさんが突っ伏していた。バラけた髪が紅茶を吸ってみるみるうちに膨らんでいく。それを見た師匠は「正論で殴られる方が痛い時もあるのよ」と澄まし顔でのたまった。
「ま、でもウジウジしたあんたがやるべきことが今決まったわ」
そう言うや否や、師匠は本の上に散らばったレイラさんの髪を掬い上げ、死にそうな表情で顔を上げた彼女は「魔道契約への署名ですか?」と震える声で言った。でも師匠はこれ以上ないほど魅力的で蠱惑的な微笑みを浮かべて首を横に振ると、そのままの表情で口を開く。
「お馬鹿。まずはとっととその湿気た顔と格好をどうにかするわよ。ジークには話をつけてあげるから、あんたはこれまで通りバンバン依頼を受けて名前を上げなさい。あたし達に直接的な迷惑をかけたのはあんただけど、間接的な迷惑をかけてきた男と親に吠え面をかかせてやるわよ」
その言葉を聞いた彼女は「そんなこと、わたしに出来ませんわ……」と悲しげに笑い、すぐに俯こうとしたけれど、それを許す師匠ではない。
「あのねぇ、何事もやってみる前には可能性しかないわけ。そこにいるアリアは玉子を爆発させるくらい料理音痴なのに、それでも料理をしてたら周りをウロウロして何か手伝いたそうにするし、魔力の欠片もないくせに魔法が使いたくてあたしに教えを乞うわ。出来ないことを即決する前に、やりたいかどうかを決めなさい」
半分くらいは私への誹謗中傷だけど、師匠のこういうところは昔から嫌いではなかった。この人はいつも何をするにも〝やるな〟とも〝出来っこない〟とも言わない。何よりやられたらやった元を断つのがこの人の流儀。サラッと彼女の左手に魔術を行使したのか、雪の結晶のような魔法陣が浮かび上がる。
それを見届けた私はひとまずこの屋敷のどこかに埋まっている掃除道具と、まだ着れそうなドレスを発掘するためにソファーを立った。
汚城から汚屋敷に出張掃除とは泣けるけど、レイラさんの瞳に光が宿ったので良しとする。どうせ師匠の美容指導で彼女の興味がこっちに気が向くこともないだろうし、私は私でお留守番中のクオーツを助手として召喚しようっと。
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