最終話 【見よ冒険者は帰還す ~旅に別れは付き物だから~】

 ぱらぱらと石材の欠片が落ちる音がする。砂煙はいまだ晴れずに薄く視界を覆っている。


 ドラゴンの姿が消え失せてからも、あたし達はしばらくぼうっとその場に立ち尽くしていた。誰のものともつかない荒い呼吸音がかすかに聞こえてくる。


「あー……」


 沈黙を破ったのは、ジタンの溜息のように吐き出された声だった。


「終わった終わった! あとは帰って報酬受け取りゃ仕舞いだ!」

 首を左右にコキコキ曲げながらかったるそうにこちらに歩いてくる。


「もうジタンってばぁ……」

 心臓がまだばくばく言ってる。力の入らない手足で這うように階段を昇ると、あたしはふにゃりと笑った。

「せっかくならもっとシャキッと帰ってきてよぉ。それじゃ戦いを終えた勇者って感じ全然しないじゃん」

「あァ? 知るかよんなこと。勝ったんだから別にいいだろ」

 片目を細めて面倒くさそうに言うジタン。


「勝った……そうだよね……勝てたんだよね。あたし達……」


 噛みしめるように口にする。嬉しさが水に落とした一滴のインクみたいにじんわりと胸に広がった。ゲームで中ボスを倒したのとはワケが違う。


『ああ。お疲れ様、みぃ』

 テストプレイのときにはいつもそうしてたのと同じく、お兄ちゃんが労ってくれた。


「今までになく激しい戦いじゃったのぉ。まさかこうなるたぁ思わなんじゃ」

「リーリアおなかすいたぁ。帰ったらすぐごはんにしようよ」

 オルフェとリーリアが安心したように息をつく。


「ふっ……ま、久しぶりになかなか、骨のあるモンスターだったじゃないですか」

 シグレが壁を支えにしつつ立ち上がった。歩くその足取りはまだ少しよろついている。


「シグレ、もう動いても平気なんか」

「歩くだけならなんとか……走れだの戦えだの言われたらまだ難しいですが」

 気遣うオルフェの言葉に、疲れの残る声で答える。


「明日筋肉痛やばそうだよね……しっかりお風呂でマッサージしとかないと。でもかっこよかったなぁ、あのときのシグレ。あたし見とれちゃったぁ」

 あたしが言うと、シグレはにんまり笑って得意そうに腰に手を当てる。


「はんっ、ワタクシの実力がよーく分かったでしょう! 久しぶりに本気を出しましたからねぇ。ま、この程度で満足するようなこっ……げほっげほぉえっ!」

 いい気になって喋っている途中に息が詰まったのか、ゼェゼェという呼吸交じりに咳き込むシグレ。悲しいかな、ドラゴン相手に渡り合っていたあの姿からは程遠かった……。


「あぁほらそうやってすぐ調子に乗るけぇじゃ。大人しゅうしとき」

 オルフェにたしなめられて、ようやく落ち着いたシグレは部屋の中央にどっかりと腰を下ろした。一つ大きく息を吐きだすと、床に描かれた幾何学模様をなでるように手を動かす。

「全くあんのデカブツ……これだけ手こずらせておいて、倒してもアイテム一つ遺しやしないんですから……」

「まー、本来いないはずの、バグで生まれたようなモンスターだからねぇ。仮に何か落としても、それはそれで拾うの怖くない?」


 そう言ってから、あたしはふと気になって、イヤーカフに手を添えた。


「そういえばお兄ちゃん、ここで出てくるボスって本当ならどんなのだったの?」

『コウモリだ。でかいコウモリ。せっかく苦労してデザインしたのに、あのドラゴンのせいで出番が潰れたな……。まあ、今考えてみるとあいつのデザインも結構良かった。いつか実装するボスモンスターの候補に加えてもいい』

「お、おぉ……さすがお兄ちゃんただでは転ばないね」


 と、あたしがお兄ちゃんと何気ない会話をしていたそのとき。


「おう、そうだみくる」

 その様子を見ていたジタンがそばまで歩いてきた。


「お前と……それから兄貴には礼を言っとく。正直オレらの戦力だけじゃ勝てたか微妙だったしな」

「そんなー。気にしないでよ」

『意外とそういうところはきっちりしてるんだなこいつ……』


 そして言い終わってからも、複雑な表情であたしを見下ろすジタン。


「……どしたの?」

「いや……つくづくお前の言ってたことマジだったんだなって……創造主の妹とか、最初のうちはとんでもねぇ妄想癖のヤツが来たもんだと思ったが」

「あはは、やっと完全に信じてもらえてよかったよー。でも、まあ」

 んしょっ、とあたしは立ち上がった。


「だからといってあたしに何か特別な力があるわけでもないし、これまで通りよろしくね」

 ちょっと気恥ずかしくて頬をかきながら言うと、ジタンも「あァ」と頷いて、それからちょっと意地悪そうに口の端をつり上げた。


「お前とは仲良くしておかねぇとなぁ。こんな貴重なパイプ、なかなか無ぇよ。利用しなきゃ損だ」

「ちょっ……ジタン、そういうの全部お兄ちゃんに筒抜けだからね……?」

 冷や汗交じりに答える。イヤーカフの向こうで呆れたように笑う息遣いが聞こえてきた。


「ま、冗談はさておき……帰るか、そろそろ」

 腰をとんとん叩きつつそうジタンが呼び掛けた。そうだ、帰ってエンティーン村の村長さんにこのことを報告しないと。


「帰りはワープできるから楽だね」

 そう言いながら、リュックサックを下ろして専用のアイテムを取り出す。ゲームでうらやましい道具ナンバーワン。これがあれば平日の朝ももっと寝てられるんだけどなぁ。


「そうだな。ったくあの村長、あなた達なら倒せるとか適当なこと言いやがって……おかげで散々な目に遭ったぞ」

 相変わらずの覇気のない声でぶつくさ言うと、ため息をついてきっぱりとこう宣言した。


「これの報酬もらったらもうしばらくは依頼なんざ受け付けねぇからな。誰が何と言おうと休む。金を積まれたってだめだ」

「あはは、なんかそう言うと思ったぁ」

 結局いつも通りのジタンにあたしは思わず笑って、自然と上を見上げた。


 ……だから、気づいた。

 

 天井に吊るされたシャンデリア。それがこの戦いのためか、鎖が外れかかって今にも落ちそうになっていた。


 そしてその真下には――シグレが、いた。

 

「――!!」


 考えるより先に体が動いた。

 ジタンの横をすり抜けて全力で走る。シグレがこっちに気づいて驚いた顔をする。走る。なんだか全てがゆっくり動いているように見えた。走る。シグレの姿が迫る。ついにシャンデリアが落下した。間に合え。間に合え――!


「シグレ危ないっ!」


 力一杯体当たり。直後ガラスの砕ける音と、全身に衝撃が伝わってきた。


 あたし死ぬのかな、ここで死んだらどうなるんだろう、考えられる時間は一瞬で――すぐに目の前が真っ暗になった。





「――る、みくる、ちょっと!」


 シグレの焦った声がだんだん大きくなって聞こえてきた。


「……え」


 あたしはゆっくりとまぶたを開くと、恐る恐る体を起こす。生き……てる?


そっと自分の手足を確認した。すりむいた手足がちょっと痛いけど、大きなケガはないみたい。ほっと安心して視線を下に落とす。


 そして背筋が凍った。あたしの足のすぐそばにシャンデリアの残骸が散らばっていた。本当にぎりぎりだったんだ……!


「おい、お前ら! 無事か!」

 ジタンを始めオルフェとリーリアも慌ててあたし達に駆け寄った。


「ええ。ワタクシは大丈夫です」

 シグレが言って、あたしを見た。

「みくる、アナタはどうですか。見たところ元気そうですが」


 心配そうに見つめる紫の目。

 それを見たら、緊張がすっとほどけて。恐怖や、助かった安心感が一度に押し寄せてきて。


「……ひっ……ひぐっ……!」


 あたしはシグレに抱きついた格好のまま泣きじゃくった。小さな子供みたいにわんわんと声を上げる。ぼろぼろと涙がシグレの服に落ちた。


「無事だったというのにそんなに泣く人がありますか。全くみっともない……」


 シグレはそう言ったけれど、その後あたしの背中を軽くなでて、

「でもアナタのおかげで助かりました。ありがとうございます」

 と今まで見たことのない優しい表情で言った。そしてぶつかった衝撃で外れて転がったカチューシャを着けてくれる。


「立てそうですか?」

「うん……」

 しゃくり上げながらも、シグレの手を借りて立ち上がった。


「二人とも大したケガがのうてよかったわい。みくる、ようやった。お手柄じゃったのぉ。ほれもう泣かんで。よしよし、大丈夫じゃけぇ」

 オルフェがあやすようにあたしの頭を優しくぽんぽんとなでた。リーリアもあたしの服や体についた砂ぼこりを両手を使ってぱたぱたと払ってくれる。


 ひとしきり泣いてから、ようやく落ち着いた。顔を上げて、寄り添ってくれてるみんなの顔を見る。

 うぅ、泣き止んだらなんだか急に照れくさくなってきちゃった。


「あ、ありがとみんな、大丈夫、もう。……そっ、それよりさ、帰ろ、うん」

 目をぐしぐしと拭って、みんなを安心させるために笑った。あー、顔が熱い。汚れちゃったし、早くエンティーン村の宿屋に帰ってお風呂を貸してもらおう。


 ちょっと、というかかなりハプニングがあったけど、これでこの件は解決……見事、クエストクリア! だよね、お兄ちゃん?


 ――あれ?


「よし、んじゃとっととワープするか」

「ま、待って! ない!」

「あん?」


 アイテムを使おうとしたジタンが、あたしの制止の声を聞いてはたと止まる。


「なんだよ。どうかしたか」

 あたしは周囲をきょろきょろしつつ、自分の左耳を指差した。

「イヤーカフがない! 多分さっきので取れてどこかにいっちゃったんだと思う……」


「あ、ねぇねぇ! これじゃない?」


 シャンデリアの残骸の近くを飛んでいたリーリアが、細かいガラスの破片に埋もれるようにして落ちていたピンク色のイヤーカフをつまみ上げた。


「ほんとだ! ありがとリーリア!」

こっちに飛んでくるリーリアに、あたしも一歩踏み出したそのとき。


「うわっ! 何!?」


 なんと、イヤーカフが急に光りだした。びっくりしたあたしは出した足を引っ込める。


 えっ何これ、もしかしてライト!? ただのアクセサリーかと思いきやそんな便利機能が!?

 ……いやよく考えたらスピーカーの役割を果たしてる時点でただのアクセサリーじゃなかった。


「わー!?」

 自分が持つイヤーカフに突然異変が生じたのに驚いて、リーリアが思わず弾かれたように手を離した。


 しかしイヤーカフは地面に落ちることなく、重力に逆らうようにして宙に浮いた。ふわふわ空中をホバリングしていたそれは、次の瞬間明るさを増して、一つの白い光球になる。


「えっ何……まさか進化するの? ちょっとオシャレになっちゃうとか?」

「みくる、何が起こるか分からん。離れときんさい」

 オルフェがあたしの手を引く。みんなどうしていいか分からずにその場に固まっていた。


 するとしばらくの間その場に留まっていた光球が、引き伸ばされるように大きくなった。それ以降は、待ってみても変化が無い。


「これで終わりか……?」

 ジタンが呟く。

「なんだこれ……」


 できあがったそれは、輪郭のぼんやりした楕円形の白い光。そのふちを彩るように、赤、青、緑、色とりどりの光の粒が明滅を繰り返している。

 ……あれっ? これなんかどこかで……


「あーーーっ!!」


 大きな声で叫んだあたしに、全員がびっくりしてこっちを見る。

「んな……どうしたんですか急に!」

 一番近くにいたせいでダメージも一番大きかったシグレが耳を抑えながら言った。


「あ、あれ、あ、あわ……」

 対するあたしも慌ててるせいでうまく言葉が出てこない。光を指差して、一旦息を吸う。やっと口が回った。


「あたしっ、帰れるかもしれない!」


 まさかの発言に、一同驚きの声を上げる。


「マジか。つーかなんでそう思ったんだ」

「だってあの光、あたしがこの世界に来るときに通ってきた光と同じだもん! きっとそうだよ!」


 ここに来る前に、通り抜けたワープホール。そうだ、考えてみれば、あのイヤーカフはお兄ちゃんとあたし、つまり現実世界とゲーム世界を繋ぐ唯一の道具だった。それなら、現実世界に帰るための鍵になったとしても、不思議じゃない!


「そうなのか……?」

「ほお、やっと兄やんのところに帰れるんか。えかったのぉ、みくる。それにしても、なんでこがぁな急に?」

「そういや、なんでだろ……あ」


 あたしはここに来たときのことを思い出した。そういえばこのクエストを受注した直後だったんだ、画面が真っ白になったのは。それで、今度はクエストのボスを倒した後に光が出現した。ということは、つまり……


「クエストクリアが帰還の条件だったってことなのかなぁ。じゃあやっぱり、パーティーについていくっていうお兄ちゃんの指示は正しかったんだね」


 イヤーカフを着けてないせいで今お兄ちゃんと話せないのがもどかしいけど……でも、もうすぐ直接話せるようになるんだから。

 あたしは光のすぐ目の前まで歩いた。あのときと同じように、まるであたしのことを歓迎するかのように光が強まる。


「ん、じゃあお前、元の世界に帰るんだな」

「うん! えっと、お世話になりました」

 最後くらいしっかりしようと、ぴょこんと頭を下げる。


「なーんだ、みくる、もう行っちゃうの?」

 リーリアがひらひら飛んできた。

「うん、バイバイだね」

「そっかぁ……」


 残念、という風に眉尻を下げたあと、ちょっと考えるそぶりを見せてから、リーリアはニッと笑った。


「ねぇねぇ、次はいつ来るの? また遊ぼうよ!」

「えっ……!?」


 それを聞いて、あたしは思わず言葉に詰まった。

 そもそも、どうしてこの世界に来ることになったのかもよく分からないのに、また来られる保証なんてない。この一度きりってことも考えられる。なのに、リーリアはあたしとまた会えるって信じてるんだ。


「リーリアね、まだ住んでた森のおそとのことあんまり知らないんだけど……すっごくおもしろいところがいっぱいあるんだって! おばあちゃんから聞いたの。大きなおしろとか、めずらしいお花がさいてるとことか、なぞだらけのキョダイイセキ? とかキカイの国って言われてるとことか……あ、それとね!リーリアおいしいパイが売ってるお店知ってるよ! こんどはいっしょにそこ――」

「あ……あのね、リーリア」


 うきうきと話すその言葉を遮る形であたしは言った。天真爛漫なその様子が、切ない。うぅ、なんて伝えたらいいんだろ……。


「えと、そのぉ~……ご、ごめんね? またここに来るかどうかは、ちょっと分かんない……」

「ふぇ?」

 リーリアがきょとんとした顔になった。元々丸い目がさらに丸くなる。そして、黄緑色の瞳がみるみるうちにうるんだ。


「やだーっ!」


 涙声で叫ぶと、リーリアはあたしの腕にしがみついた。そのまま足をばたつかせる。

「やだやだ、せっかくなかよくなれたのに! もっとおしゃべりしたい! みくるのせかいのことも知りたいよぉ!」


 ——そんな。


 そんなに泣かれたら、こっちだって……。


「こりゃリーリア、わがまま言わんで離れんさい。みくるは帰らにゃいけんのじゃけぇ」

 オルフェがだだをこねるリーリアをたしなめた。


「だって、もう会えないかもって」

「みくるはこの世界の住人じゃぁないんじゃ。そもそも迷いこんだだけなんじゃけぇ仕方がないじゃろう? ほれ、ちゃんとさよならを言いんさい」

 さとすように言われて、ぐずつきながらも手を離すリーリア。するとオルフェはこちらを向いて、

「……兄やんも心配しとるじゃろう?」

 と優しい声音で、でも静かに言った。


 気づいてるんだ。あたしの迷いに。分かってる。そもそもあたしは元の世界に帰るために冒険してたんだ。


 でも……やっぱ、いざ帰れるとなると、寂しくなるなぁ……。


「なーにボケっと突っ立ってるんですか!」

 いきなり、シグレがあたしの背中をバシンと叩いた。衝撃に軽くつんのめる。


「ずっと帰りたいと思っていたんでしょう? せっかくそのチャンスが来たんですから、さっさと帰ればいいじゃないですか。それともなんです? 心機一転、冒険者にでもなるつもりですか?」

 両手を腰に当ててずけずけと言うシグレ。わざと意地悪言ってるんだと分かって、それがすごく温かかった。……だから。


「ううん……帰るよ。ありがと、シグレ」


 あたしは、キャラクターじゃなくて、プレイヤーなんだから。いるべき場所は、画面の前だ。


「ふふん、これからもアナタのお守りをしながら冒険なんて、ワタクシは御免ですからね……ま、ちょっとだけ楽しかったですよ」

 シグレは首を傾けて、口の右端だけで笑う。素直じゃないその姿を見ていると――なんだか無性にからかってみたくなって。


「なぁにシグレ、それもしかしてツンデレってやつ~? かわいいー!」

 おどけて言いながら、普段友達にするみたいにしてぴょんと抱きついた。……ついでに、再び熱くなりかけた目元をごまかす。


「ちょっ……!? なななにするんですかいきなり気色悪い! 離れなさいよぶっ飛ばしますよ、って頭なでてんじゃないですよ! バカにしてんですかこのっ……あ、アナタねぇ! ワタクシのことおちょくってるでしょう!?」


 こういうスキンシップにあんまり慣れてないのか、面白いくらい動揺するシグレ。あたしはけらけら笑いながら、本当にぶっ飛ばされないうちに離れた。


「あははっ! じゃ、がんばってねシグレ」

「はんっ、わざわざアナタに言われずとも分かっていますよ。心配ご無用です!」

 服をぱんぱん払いながらシグレが答えた。


「みくるぅ~! 行っちゃうの?」

 リーリアが飛んできて切なそうな視線を向ける。

「うん。でも大丈夫だよリーリア」

 あたしはその頬に指先を当てた。


「直接は会えなくなるけど、みんなの冒険は見届けるから。リーリアが活躍するところも、ちゃーんと見てるからね」

「ほんと!?」

「うん。約束」


 それからオルフェに顔を向けた。

「オルフェ。初めて会ったときから優しくしてくれたり、相談に乗ってくれたり、いろいろありがとう。その、あたしが言うのもなんか変だけどさ……このパーティーのこと、よろしくね」

 オルフェはいつもと変わらない柔らかな笑顔で「任しときんさい」と頷いた。


「……おい、みくる」

 ふいに、横合いから声。


「ジタン」


 正面から向き合う。あー、なんだか初めて会ったときを思い出すなぁ。そのときは、まさかみんながこんなにバグってるなんて思いもしなかったけど……。


「ありがと、ここまで一緒にいさせてくれて。ちょっとの間だったけど、あたし、すごい体験ができちゃった」

「そりゃー良かったな。ま、なんだかんだオレらも助けられたところはあったし……お前を連れてきたのは正解だったかもな」


 そういえば、パーティーについて行きたいって言ったあたしに、最初にいいって言ってくれたのはジタンだったっけ。……そうだ、そのあとも、一緒に来るなら必要だからって、寝袋とか買い揃えてくれたのもジタンだ。

 オルフェの世話焼きっぷりにすっかりかすんでいたけど、あれでいてジタンも結構面倒見のいい人だった。


 ぶっきらぼうで無気力で、ちょっと口も悪いけど……本来の、つまりバグる前のジタンにあった、お人好しで優しいところは多分、実は根っこのあたりで消えずに残ってたんじゃないかなって思う。


「みんなに会えてよかったよ。ホント、楽しかった! ……ヒヤヒヤしたり、怖かったこともちょっとあったけど」

「はっ、いちいちビビってたら冒険者なんざ務まらねぇよ。まぁ、お前みたいなのほほんとしたヤツには、魔物がいねぇらしい向こうの世界のが似合いだな。兄貴にもよろしく――あ、そうだ」


 急にジタンは思い出したように言葉を切ると、真剣な顔になった。


「お前、オレとの約束忘れてねぇだろうな?」

「え……え? 約束?」


 そう言われてあたしは慌てて記憶を引っかき回す。でもそれっぽいことは一つも出てこない。何かしたっけ?


「……いやごめん、マジで分かんない。約束って?」

「とぼけんじゃねぇ。お前が兄貴のところに戻ったら、伝説の勇者の役割をオレ以外の誰かにさせるよう頼むっていう話したじゃねぇか」

「あぁなんか言ってたねそんなこと……っていうか約束した覚えはないんだけどそれ!? ダメだからね!?」

 まさかの答えに素でツッコんだ。もぉ~せっかくほめようとしてたのに、感動的な雰囲気が台無しだよ……。


「なんでだよ、オレ向いてねぇんだっての。完全に人選ミスだって。もっと他に正義感強くてムダに暑苦しい、世界を救うにはうってつけな勇者がいるだろ、多分。そいつに魔王倒させろよ。オレはその辺に湧いた魔物でものんびり倒してっからよぉ」

「だーめ! お兄ちゃんが決めたことなんだからちゃんとやり遂げなよ。……大丈夫、ジタンならできるよ、ねっ、伝説の勇者様?」


 心底嫌そうに舌打ちするジタンに笑ってから、あたしは改めてみんなを見回した。


「それじゃあ……帰るね。みんな、本当にありがとう。あたし……忘れないよ」


 その言葉を最後に、全員の姿を目に焼き付けて、再び光の方を向く。もう、振り返らない。ゆっくりと歩き出した。視界がだんだんと、白く染められていく。


「元気でねーっ!」


 リーリアの声が、どこか遠く聞こえた。




 まぶたの裏で光が弱まったのを感じて、目を開けた。


 気づいたら、あたしはいつかの真っ暗な空間に立っていた。足元には、でたらめな順番に並んだ白い文字列。

 踏むと、パリンと音を立ててばらけて、意味をなす順番に並んだ。


 そっか、これ、来たときとは逆のことをやってるんだ。ふと担任の先生が教えてくれた『立つ鳥跡を濁さず』ということわざを思い出す。

 そうだよね、あたしがめちゃくちゃにしちゃったんだから、帰るときはきれいにしないと。


 しばらく歩くと、シュウッと音を立てて履いていたブーツが消えた。あっちの世界のものは、持って帰れないんだ……ちょっと、残念だなぁ。


 歩いていると、やがて、夜が明けるように辺りが白み始めた。それは歩を進めるごとに強まっていく。大丈夫、このまま前に。あたしは頷くと、一歩一歩しっかりと、文字列を並べ直しながら、前に進んだ。




 視界を覆う白い光が急に消えた。そして、あたしが見たものは。


「……みぃ」


 見慣れた、お兄ちゃんの顔だった。


「おかえり」

 あたしが外で遊んで帰ってきたときみたいに、普段と変わらない調子でお兄ちゃんが言う。


「ただいまっ!」

 笑顔で言って、飛びついた。やっと、やっと、帰ってこられた!


「みぃ、ほら、画面見てみろよ」

 あたしの重さでちょっとバランスを崩しながら、お兄ちゃんがパソコンを指差した。

「え?」


 そこには、さっきまで一緒にいた仲間がいた。でも、ちょっとだけ違うところがある。あたしはキーボードを操作してセリフを読んだ。


[ジタン:よし、これでエンティーン村の人々や旅人が襲われることはないな。一件落着だ]

[オルフェ:だが、狂暴化した魔物が増えているのも気になるなぁ……この辺りはよく調べてみたほうがよさそうだね]

[シグレ:それもいいですがひとまず、エンティーン村に戻って報告しましょうか]

[リーリア:村長さん達、喜ぶだろうね!]


「あはは……みんな戻ってる。元の設定に」


 本当は、これが正しいみんなの姿なんだけど。あたしはお兄ちゃんと顔を見合わせて笑った。


「なんか、似合わないよねぇ」


〈エピローグへ〉

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