第四話 【星空とセンチメンタル ~「あたしってさ――」~】
薄暗い洞窟に、甲高い金属音が響いた。
岩場に隠れるあたしの前方で、動かない二つの人影――正確には、人と、かつて人であったモノ――その正体は、シグレと剣を持ったガイコツのモンスター。スカルナイトという名前だそうだ。
ほんの一瞬前、シグレの両腕が下がった瞬間を狙って、スカルナイトが剣を振り下ろすのを見て、あたしはハッと身を強張らせた。
でも、今。その凶刃はシグレの右手に握られた短剣によって完璧に受け流され、さらに胸の中心は――彼女が左手に持つもう一本の短剣によって、貫かれていた。
「……」
ピキ、と亀裂の入った骨が悲鳴を上げる。それに反応するかのように、シグレが唇の片端を吊り上げた。
「……カカカッ……」
痛手を負ったスカルナイトが、それでも全身を震わせながら、もう一度剣を振り上げようとした。その動きは、もはやあたしでも止められそうなぐらい鈍い。シグレは胸に刺した短剣を一気に引き抜くと、その反動を利用して左ひざを勢いよく引き上げ、
「――フッ!」
同じところを的確に狙ったハイキック!
吹っ飛んだスカルナイトは岩壁にぶち当たり、カラカラと場違いなほど軽い音を立てながら崩れ落ちた。骨でできた山の頂上に座る頭蓋骨が、悔しげにキシリと鳴ったのを最期に、それらは剣もろとも白い光に包まれて消える。
こっちは終わった。あとは……あたしは右に視線を走らせた。
「ぶるあぁっ」
すると、ちょうどヘドロのような見た目のスライム系モンスター(お兄ちゃんによればダーティスライムという名前らしい)が飛び掛かるところだった。
「うえぇばっちい! 来ないでよぉ!」
嫌悪感に満ちた悲鳴を上げたのは、不運にもロックオンされてしまったリーリアだ。迫るどろどろした茶色い物体に向かって片手を突き出す。
「ウィンド!」
ビュオンッ
「ぶあぁっ!?」
リーリアの手のひらから発生した小さな竜巻がダーティスライムを弾き飛ばした。ぶよんぶよんと地面を転がったダーティスライムは、反撃しようと顔(?)を上げる。
しかし落ちた場所が悪かった。
ジャリ、と背後に迫る足音。覆いかぶさる影。振り向いたダーティスライムの目の前には、見上げるほど大きな男――ジタンがいた。そして、彼は両手で垂直に持った大剣を顔近くまで持ち上げると。
「ぎゅぶるぅっ!」
ためらうことなく突き刺した。水風船が割れるみたいにぶしゃあっと飛び散った粘液にあたしやリーリアは顔をしかめるけれど、ジタンの仏頂面にも似た無表情は一切変わらない。そしてダーティスライムも消滅した。
「うへぇ……よくやるよね~」
気持ち悪そうにリーリアが言うと、
「別に倒せば消えんだからいいだろ」
こともなげにジタン。見てみると確かに、ダーティスライムを刺したときに大剣についた汚れはきれいさっぱりなくなっていた。
「お疲れ様。飲み物いる?」
戦闘が終わり、他にモンスターがいないことを確認したあたしは、岩場から出てリュックサックに入っている水筒をみんなに渡した。なんか、部活のマネージャーやってる気分……。
「回復しちゃる必要は無さそうじゃね。ほいじゃ、先に進もうかの。だんだん明るくなってきとるし、出口も近いはずじゃ」
オルフェが言って、パーティーは再び一列に歩き出した。
探索を開始して早々に前衛二人がやられかけるというとんでもない事態に遭遇したものだから、四人はそれから戦闘が始まるたびに最大限注意を払って戦っていたのだけれど、どうやらゴーレムやファントムみたいな強いモンスターが出現するのはかなりまれなケースだったらしく(そうしてみるとあたし達は本当に運が悪かった)それ以降は比較的余裕を持って倒せる程度のモンスターしか出現しなかった。
そして当初のピリピリした嫌な緊張感がだいぶ薄れて、雑談しつつ進めるようになってきた頃。壁に沿って道を曲がると、いきなり明るい光が差し込んできて、思わず目を細めた。
「お、出口か」
ジタンが顔の前に手をかざしつつ言った。
「へぇ、もうですか? 意外と小さな洞窟だったんですね」
「やったぁ! 早く出ようよ~。リーリア暗いとこやだもん」
「一時はどうなることやら思うたが、無事に抜けられてえかったのぉ」
みんなが口々に言いつつ出口へと向かう。あたしも後に続こうとしたそのとき。
「――わっ!?」
石につまづいた、と思った次の瞬間にはもう転んでいた。
「いったぁ……」
「大丈夫か?」
オルフェが助け起こしてくれる。幸いちょっと打った程度で、どこもすりむいたりはしていなかった。
「ご、ごめん。ボーっとしてたみたい」
「ボーっとって、アナタねぇ。自分が今どんな場所にいるか分かってます? いくら何でもお気楽すぎませんか」
「あ、あはは、いやー」
「大体アナタ……」
「おい、怪我が無かったんならもういいだろ。さっさと行くぞ」
シグレとあたしの会話を斬るようにジタンが言うと、背を向けて歩き出した。まだ何か言いたげだったシグレも仕方なく続く。あたしも一つ息をつくと、今度こそちゃんと出口へと向かった。
洞窟から出ると、目の前にちょっと不思議な空間が広がっていた。森の中なんだけど、そこだけ不自然に開けていて、隅には白い魔法陣が光っている。
「もしかしてここって、休憩所?」
『ああ。クリエト洞窟のモンスターは結構強めに設定していたから、これで道のエリアが続くと大変かと思って設置していたんだ。今のみぃ達の状況を見る限り、それで正解だったみたいだな』
休憩所っていうのは、難しいダンジョンを抜けた先やボス戦の後によく登場する、モンスターが一切出現しない言わば安全地帯のこと。白い魔法陣の上に乗ると、HPとMPを全回復できたり、セーブができたりする。
「おー休憩所か。正直これ以上続けるとキツかったしありがてぇな」
少々疲れた様子でジタンが言う。あたしも同じ感想だった。いくら戦闘には参加しないといっても、みんなの分の荷物を持って歩くのは大変。しかも冒険慣れしてる四人とは違って、足場の悪い洞窟なんて歩いたことなかったし。
「もうすぐ日も暮れるけぇのぉ。今日はここで休むことにして、そろそろ夕飯にせん?」
「ごはん!? わーい! おなかぺっこぺこだよぅ」
オルフェが言うと、それまでぐったり低空飛行だったリーリアが急に元気になって飛び上がった。
それからみんなで薪を拾って、中央に集めたあとリーリアが魔法で火を付けた。足場を組んで、その上に水を張った鍋をセット。これでごはんを作る準備は完了。なんとなく、去年の夏休みに家族全員で行ったサマーキャンプを思い出した。
食材はどうするんだろうと思っていたら、いわゆるフリーズドライみたいなブロックを鍋の中に入れると、たちまちシチューに似た具だくさんのスープができあがった。考えてみれば、冒険者に野宿って付きものだもんね。そりゃあ携帯食料は発達してるか。
ちなみに鍋とか大きなものを持ち運べているのは『ドワーフの小瓶』というアイテムのおかげ。
一見するとジャムでも入ってそうなただの小瓶なんだけど、この瓶の口に物を近づけると、何でも小さくなって入ってしまうという優れもの。使いたいときは、瓶から出せば一瞬で元の大きさに戻る。大量のアイテムや道具が全て大きめのリュックサック一つに収まっているのはこのためだ。
このアイテム、ゲーム中では一切出てこなかったんだけど、お兄ちゃんに聞いてみると設定の一つとしてあったみたい。
お米も炊けて、水筒も用意して、あたしがこっちの世界に来てから初めての食事が始まった。
もしかしたら体に合わないんじゃないかなんてことも思ったけど、味はとってもよかった。シチューに似たスープはあたしの知っているそれよりちょっとさらりとしていて、味もあっさりめ。大きめにカットされたごろごろ具材のおかげで、お椀一杯でもかなり満足する。
こういう場所で、自分たちで作って食べるからか、なんだか普通の夕食でも特別な感じがした。隣ではオルフェがリーリアの分のおかわりを取ってあげたり、立て膝で食べようとしているシグレをたしなめたりしている。お母さんみたいだなぁとちょっと思った。
「おい、みくる」
「ん?」
ジャガイモに似た熱々のお芋に息を吹きかけて冷ましていると、ジタンが話しかけてきた。
「ここまで一緒に来て、なんか見つかったのか。元の世界に戻る手掛かり」
「うーん、まだ……というか、やっと信じてくれたんだ」
「まだ半信半疑なところはあるけどな。ぶっちゃけ最初は調子のいいこと言って近づくのが目的の敵かと思ったし……けど、実際クリエト洞窟では助けられたからな。そんとき少なくとも味方ではあると思った」
「ああ、あれは……お兄ちゃんがそう教えてくれたから」
あたしが言うと、ジタンは腕組みした。
「その兄貴ってのが未だに信じられねぇんだよ。この世界を創ったっていうほどの力があるなら、迷い込んだ妹一人ぐらい戻せねぇの?」
「いや、この世界を創ったって言ってもジタンの考えてるようなのとはかなり違うというか……お兄ちゃんも人だから……うーんうまく説明できないけど、とにかくこれはお兄ちゃんでも手に負えないよ」
「ふーん……案外役に立たねぇのな」
『こいつ……』
「そ、そそそんなことないって!」
ジタンの言葉に思わず漏れたであろうお兄ちゃんの低い呟きが聞こえる。やめてよー、お兄ちゃん全員分の会話見てるんだから……。
「ダメだよぉ、ジタン」
すると焚き火を挟んでリーリアが、ちょっと怒った風に口を挟んだ。
「神サマの悪口言ったら、いざってときに助けてくれなくなっちゃうんだよ!」
「あーはいはいそりゃ悪かったな。まぁなんだ、オレ達で倒せなさそうな敵が現れたときは、その神サマの力とやらで手を貸してもらえるとありがたいですよっと」
真剣なリーリアとは対照的に適当な調子でジタンは言うと、荷物の整理のためか自分の道具袋をごそごそしだした。いくつかのアイテムを取り出して地面に置く。その中には金色の紋様が施されたきらびやかな本もあった。
「あ……」
あたしは身を乗り出す。
「それが予言の書? ねぇ、ちょっと見てもいい?」
「あ? 別にいいけど、面白いモンでもねぇぞ。ほれ」
無造作に予言の書が放られる。
「うわっとと!」
重要アイテムとは思えないほどの雑な扱いに面食らいつつ、なんとかキャッチする。教科書くらいの大きさで、分厚さの割に重い。表紙には複雑なレリーフが彫られていた。ぱらぱらとめくってみると、まだ半分以上が白紙で、虫食いのように内容がところどころ抜け落ちたページもある。
お兄ちゃんの設定ノートの通りだ。この本は特殊な魔力にだけ反応するという仕掛けが施してあって、ページにまるであぶり出しのように内容を浮かび上がらせるという仕組みになっている。
だから全てのページを埋めるために、その特殊な魔力を持った魔具を探すっていうのが、全体を通したこのゲームの目的の一つ。そして、全ページ埋めた先に明らかになるのが……
「最終奥義の発動の仕方もこれに書かれてるはずなんだよね」
あたしが言うと、お前よく知ってんな、とジタンが半ば呆れたように言った。
「最後のページのことな。全ての邪を打ち砕く伝説の奥義、とか書かれてるやつだろ。テル・イスレイとかいう技名だったか……まあ今んとこ名前以外何も分かってねぇけどな」
このゲームの最終目的は魔王復活の阻止だけど、それの最大の鍵となるのがこの技の解明。全部の魔具を揃えたら明らかになる……と、設定ノートに書いてあった。
「ったくその本も面倒くせぇ仕掛けにしやがって、最初から全部書いときゃこんなことしなくて済んだんだよ……なぁこれもお前の兄貴の仕業だろ? 寝て起きたら全ページ埋まってるっていう風にできねぇのかよ。ついでにオレの名前も誰か他のヤツに書き換えといてくれ」
「ダメだよ普通にズルじゃん! それにそんなことしたら冒険あっという間に終わっちゃうし!」
「それはそのほうがいいだろ」
「え? ……うん、まあ確かにね……」
当事者にしてみれば早く平和を取り戻したいに決まってる。
『みぃ、それ言い出したらゲームにならないから……』
パチッ、と炎の爆ぜる音が響く。
「火が弱くなってきたのぉ。木をちぃと足そうか?」
オルフェがジタンに言った。しかしジタンは首を横に振る。
「もうすぐ寝るし必要ないだろ。リーリアもそれで最後にしとけ何杯食うんだ」
そしてまだ予言の書を眺めていたあたしのほうを向いた。
「お前も残ってるそれさっさと食えよ。片付けるぞ」
「あ、うん」
夢中になって忘れてた。お椀に残ったスープを急いで食べる。
後片付けが終わると、もうすっかり夜。それからは炎を囲んで雑談タイム。特に、あたしの世界の話をみんな聞きたがった。魔法も魔物も精霊も存在しない世界っていうのが考えられないみたい。でも魔力が無くてもスイッチ一つで火はつくし、空を飛んだり人を高速で運ぶ乗り物があると言うと驚いていた。その詳しい仕組みを聞かれたときは分からなくて困ったけど……。
そうして時間を過ごしているうちに、リーリアがうつらうつらし始めた。
「眠いんですか? リーリア」
シグレが聞くと、リーリアは目をこすりながら唸るような声を出した。
「ん~……やだぁ……まだおきてたい……」
「無理はいけんよ、もう寝んさい」
ぐずるのをなだめて、オルフェが寝袋を用意する。
「んぅ……」
どうやら相当眠かったのを我慢してたみたいで、いやいやをしていた割にはあっさりとそのまま寝袋に収まってしまった。
「オレらも寝るか。そろそろ」
ジタンの言葉を合図に、みんなも各自の寝袋を広げて就寝の準備を始めた。ちなみに、あたしの分も事前に買ってあるから大丈夫。たき火を消すと、あとはほのかな星明かりだけになり、みんなに合わせてあたしもカチューシャとイヤーカフを外すと、寝袋にもぐりこんだ。
それから、一時間は経ったかな。
あたしは何度目か分からない寝返りを打った。眠れない。割といつも寝つきはいいほうなんだけど……慣れない場所で、慣れない寝具で寝てるからなのかなぁ。
「うー……」
何とかして寝ようと目を閉じる。しかし意識は遠のくどころかどんどん冴えてくる。
「……」
寝苦しい夜ほど嫌いなものって無い。だって、昼間は全然考えないようなことも考えるようになってしまう。それは大抵、嫌なこと。頭の中で、今日あったことが走馬灯みたいにぐるぐる回った。思い出さないようにすればするほど鮮明になってくる。こんなこと、前にもあった。確か、友達と大ゲンカして泣きながら寝たあの夜……。
あたしはとうとうじっとしていられなくなって、もぞもぞと寝袋から出ると、寝ているみんなを踏まないように注意しながら、少し離れた場所に移動して腰を下ろした。
体育座りをして、ぼんやりと空を眺める。見渡す限り満点の星空。あたしはその輝きに照らされながら、長いため息をついた。
「どうしたんね、ぽつんと一人で」
「へ……?」
ふと、背後から掛けられた声。振り向くと、オルフェが立っていた。
「ごめん、起こしちゃった?」
「いんやぁ、たまたま目が覚めただけじゃけぇ」
そしてあたしの隣にゆっくりと座った。
「そげなより、寂しそうじゃねぇ。やっぱし、兄やんのおる場所が恋しいんかいのぉ?」
「うーん……」
あたしがどっちつかずの声を出すと、オルフェは体をこちらに向けて顔をのぞきこむように見た。
「大丈夫か? ちぃと前からなんとなく様子がおかしいっちゅうに思っとったが」
「え?」
「出会うたときゃあがぁにハキハキしよったんに、洞窟に来た辺りから変にうわの空っちゅうか、沈んどるっちゅうか……心配しよったんで。気分でも悪いんか?」
「い、いや、元気だよ。体は何ともない」
自分ではいつも通りにふるまってるつもりだったんだけど……オルフェにはバレてたんだ。
「ほいじゃ、なしてそがぁに思いつめた顔をしとるんじゃ。一人で悩まんほうがええ。話せる範囲でええけぇ、話してみんさい」
「……うん……」
泣く子をあやすように優しく言うオルフェ。その声に背中を押されるように、あたしは口を開いた。
「クリエト洞窟でさ……ジタン、ゴーレムにやられてたじゃん」
「ああ、あれか」
オルフェが苦笑した。
「確かに戦闘に慣れとらんみくるにゃあ、ちぃときつかったかもしれんのぉ。じゃけど、わしらだって伊達に経験積んどらんのじゃけぇそう怖がる必要は」
「違う。そうじゃなくて。モンスターが怖いんじゃなくて、その……」
あたしは迷いながら言った。
「あのとき、あたし、一番近くにいたんだよ。でも何もできなかった。ジタンがあんなになってたのに、ただ見てるだけで」
状態異常のせいで体が動かせずに、ゴーレムから一方的に痛めつけられていたジタン。苦痛に歪む表情も、痛みに耐えきれずに発される声も、徐々に傷ついていく体も、あたしは全て目の当たりにしていた。
今にして思えば、ゴーレムを足止め、あるいは攻撃できるようなアイテムもあったんだから、それを使えばまだ被害は軽くできたんじゃないかと思う。
「あたしってさ……ほんと、役立たずだなぁって」
「何を言うとんな」
オルフェが慌てて言った。
「充分活躍しよったで。あがえなとき、みくるがジタンにアイテムを使ぉてやらんかったら、危ないところじゃったんで」
「うん。でも、あれだってお兄ちゃんの指示に従っただけだし、お兄ちゃんいなかったら分かんなかったし……」
あたしは膝を強く抱きしめると、その上に顔をうずめた。
「ジタンとシグレは前衛担当、リーリアは後衛、オルフェは回復と補助、お兄ちゃんは的確なアドバイスを出してくれるし、みんなそれぞれ戦いに貢献してるのに。あたし一人は何もできなくて、隠れてるだけでさ。前にシグレから言われた通り、弱いモンスターの一匹すら倒せないで、あたしって単なるお荷物だよね」
一度口に出すと、言うつもりのなかった言葉までつらつらと出てくる。自分で言っていることなのに、誰かから責められているような気持ちになって、ああ、これ自己嫌悪なんだと理解するとさらに苦しくなった。顔が熱くなって、胸のあたりがズキズキと痛くなる。
「そがぁなこと今まで気にしょったんか。みくるは責任感が強いんじゃのぉ」
オルフェがあたしの背中をそっとさすってくれる。すると、突然肩に手が置かれた。
「そりゃぁええことじゃ。じゃけど、一つだけ大きな勘違いをしとるで」
「えっ?」
思わず顔を上げると、目の前にオルフェの顔。表情はいつもの穏やかな笑顔だけど、その目には誰かを教え諭すときのような真剣さがあった。
「みくるは今、魔物を倒せん、戦いに参加できんけぇ自分は役立たずじゃぁ言うとったね? そりゃぁ間違いじゃ。戦闘に加わるんだけがパーティーの役割じゃないんで」
オルフェは正面を向いた。そしてそのまま語り続ける。
「人にゃ向き不向きがあるけぇ、気にせんでもええ。戦闘はわしらに任しときんさい。それ以外でも、みくるができるこたぁあるはずじゃけぇ」
オルフェの穏やかな声が、森のしんと静まった空気をゆっくりと押し動かす。あたしはただじっとして聞いていた。方言で喋っているからか、それは普通に言われるよりも、耳にすっとなじむように柔らかく聞こえる。
「たとえ戦う力がのうても、仲間のためにしちゃれるこたぁ、たくさんあるけぇね。今自分にできることを、精一杯やりゃぁそれでええんよ」
そこで一旦言葉を切ると、オルフェは再びあたしを向いた。そして、見る人を安心させる暖かな笑顔で言った。
「少のぉとも、わしゃぁみくるをお荷物じゃとは思うとらんで?」
「オルフェ……」
安心とか嬉しさとか、あとはどう言っていいか分からない切ない感情が次々込みあげてきて、あたしはなんて言葉を返そうか迷った末に、語尾を震わせながらやっとこれだけ言った。
「……ありがとう」
「ええよ。ほいじゃぁ、もう寝んさい。明日も早いんじゃし、疲れとろぉけぇ」
「うん。おやすみ!」
元気に言って、今度こそしっかり寝袋にもぐり込む。
(今自分にできることを、精一杯やりゃぁそれでええんよ)
目を閉じてからも、オルフェのその言葉が繰り返し頭の中に響いていた。
翌朝。あたしが目を覚ますと、ジタンとオルフェはすでに起きていて、朝ご飯の準備をしていた。
「おはよー二人とも」
「おお、起きたんか。もうちょいで全部仕上がるけぇ、待っときんさいね」
「うん。シグレとリーリアはまだ起きてないんだね」
「シグレはとにかく寝起きが悪いからな。リーリアは飯ができたらその匂いで起きるだろ」
十五分くらいして、朝ご飯ができあがった。するとジタンが言った通り、おかずをお皿に盛った瞬間リーリアがぱっちり目を開けて飛んできた。さっそく手をつけようとして、オルフェにおたまで阻止されている。しかし、シグレは一向に起きてくる気配がない。
「あたし、シグレ起こしてくるね」
「おう」
すやすや寝息を立てているシグレの体を軽く揺らす。しばらくしてうーと唸って目を開けたシグレは、あたしと目が合うなり思いっきり睨んできた。
「……何です」
ひい、怖っ! めちゃくちゃ機嫌悪そう……て、低血圧かな?
「あ、あの、シグレ、ごはん」
「あ? あー……はい」
あたしがしどろもどろに言うと、シグレはのっそりと起き上がった。元々鋭い目つきがさらに悪くなっている。しかもいつもは結んでる長い髪が今はほどかれていて、それがざんばらに顔に掛かってるもんだから余計に恐ろしかった。
何はともあれ、それから朝ご飯も食べ終わって、身支度も整えると、パーティーはいよいよ目的地であるイマジネ塔へと向かった。
途中で出会った旅商人からアイテムも買いそろえて、塔の頂上に住まうボスを倒す準備は万端。道中に襲いかかってくるモンスターを退けながら真っ直ぐ歩くと、やがて空高くそびえ立つ石造りの塔が見えてきた。
「やっと着いたな。ここがイマジネ塔か」
ジタンが複雑な彫刻の施された重そうな扉を押し開く。ギギィ……と不気味な音がした。
「ここ、元は高名な魔法使いが住んでたんだって。お兄ちゃんが言ってた」
ふと思い出したことを言いながらあたしも塔の中に入る。なるほど確かに床の紋様とか、壁に取り付けられた奇妙な形の燭台が魔術っぽい雰囲気をかもし出している。今は廃墟になっているから当然燭台に火は灯ってなくて、照明といえば小さな明かり取りの窓から入ってくる日の光だけだから、全体的に薄暗い。おお、なんだかいかにも剣と魔法のRPGって感じ……
と思いながら一歩踏み出すと、足元でカチッという音がした。ん、なんか踏んだ?
次の瞬間、ガァンッという音がするとともに頭に激しい痛みが走った。
「いったぁい!」
思わず頭を押さえてその場にうずくまる。
「みくるどしたの!?」
リーリアが慌てて飛んできた。
「な、なんか頭に落ちてきて……ん?」
あたしはそばに転がっている物体に気付いた。金属製で背の低い円柱型。あたしはそれの名前をよく知っていた。
「……お兄ちゃーん。なんで急にタライが降ってくるの?」
『……タライ落としのワナが発動した、ってウィンドウテロップに表示されてる』
お兄ちゃんが困惑した声で言った。
「ワナぁ?」
この塔みたいな室内型のダンジョンでは、たまにワナが設置されているときがある。ワナの上を通ると、ダメージを受けたり状態異常になったりして探索を妨害してくる。
これのやっかいなところは、どこにあるのか見た目では分からないところ。回避するには『運』のパラメーターを上げるか、専用のアイテムを使うしかない。と、それはまあいいとして。
「タライ落としのワナとかあったっけ」
『いや……そんなもの作ってないぞ』
となると、可能性は一つ。
『バグか……』
「バグだね」
あたしとお兄ちゃんは同時にため息をつく。
『みぃ、気を付けろ。ここから先どんなワナがあるか分からない』
「気を付けろって言われても、見えないからなぁ」
口をとがらせて一歩踏み出すと、またカチッという音。うえぇ言われたそばから!
スパーン! と壁から生えた巨大ハリセンに顔をひっぱたかれた。
「さっきから何を遊んでるんですかアナタは……」
シグレが呆れ顔で痛みに悶えるあたしのところまで歩いてきた。すると二、三歩手前でまたまたワナ発動の音。ヒュンッという音がかすかにあたしの耳に届き、何かに反応したシグレの右手が素早く動く。
気づいたらシグレの右手の人差し指と中指の間に、ナイフが挟まっていた。……これ、もしワナに掛かってたのがシグレじゃなくてあたしだったら……。
シーン、とあたしたちの間に冷たい沈黙が下りる。
「マジかよおい……物騒だなここ」
ジタンが戦慄したように呟く。ちなみに、ワナ回避専用のアイテムは丁度切らしていた。
〈続く〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます