第三話 【油断は禁物 ~手ぐすね引いて待っている~】

 柔らかな日差しがあたし達を包んで、そよ風が優しく髪をなでる。足元の草は内緒話でもするみたいにさわさわ鳴って、遠くのほうでは鳥の声も聞こえる。


 天気といい場所といい、ピクニックにこれほどぴったりなものは無いと思う。あー、ここでレジャーシートを敷いてサンドイッチなんか食べたらおいしいんだろうなぁ。広いからバドミントンもバレーボールもし放題だなぁ……。


「リーリア、そっちに一匹行きましたよ!」

「まっかせてぇ、フレアシュート!」


 ――まぁ、モンスターさえいなければの話なんだけどね。




 リーリアの放った火炎の玉が、ハチのモンスターに当たって炎上する。ハチは煙を上げながら地面に落下して、その後消滅した。ここでは獣とか虫とか植物とか、火が弱点のモンスターばかりが出現するから、リーリアの使う火属性魔法が大活躍していた。


「あ、ラッキー! 『高級ハチミツ』じゃん。なかなかレアだよこれ」


 戦闘が終わった後、モンスター達が遺したお金やアイテムを拾い集めながら、あたしはひとりごちる。こういう素材アイテムは、お店で戦闘に使えるアイテムに交換してもらえるから、集めるに越したことはない。


 数回の戦闘を経て――と言ってもあたしは見学なんだけどね――モンスターの出現にもだいぶ慣れてきた。いきなり出てきても慌てずにささっとその場を離れて、みんなの邪魔にならないように物陰に隠れる。そういえば、ちっちゃい頃から隠れ鬼とか得意だったなぁ。世の中何が役に立つか分かんないよね。


 エンカウント率はそれほど高くなくて、サクサクと冒険は続いた。

 しばらく歩くと、だんだん辺りの景色が変わってきた。明るい草原から、ごつごつした岩の目立つ薄暗い道になっていく。それからさらに行くと洞窟の入り口が見えてきた。


 ぽっかりと丸く開いた穴と、その向こうに広がる暗闇は、あたし達を飲み込もうと待ち構えているようにも見える。地面を踏むジャリッという音に反応して、近くにいたコウモリが二匹飛び去った。

「ここがクリエト洞窟か。これを抜けたらイマジネ塔に着くんだな。んじゃ、入るか」


 初めて入るダンジョンに少し緊張するあたしとは対照的に、ジタンが軽い調子で言うとちょっと背をかがめて入り口をくぐった。残りのメンバーも後に続く。


 中は結構広かった。壁面や天井はほとんどが黒曜石でできているけど、所々に水晶やアメジストなんかも混ざってる。それが洞窟全体をぼんやり照らして、なんとも神秘的な場所だった。

「きれい……」

 まるで鍾乳洞のような光景に、うっとりとなる。

「みくるはこがぁな景色をあんま見たことないんか? よそ見しよったら転んでしまうで、気ぃつけんさいね」

 あんまりあたしがぼーっとしていたからか、オルフェが苦笑しながらやんわりと注意する。


 それから洞窟の出口を目指して、ぐねぐねと曲がった歩きづらい道を進んでいると、突然、目の前の地面の一部がボコッと盛り上がった。


「うおっと」

 ジタンが一歩後ろに飛びのく。


「何? もぐら?」

「まさか。下はほとんど岩石なんですよ」


 あたし達もジタンの背後から顔を覗かせる。地面はそれからさらに大きく隆起して、やがて人の形を成した。

 現れたのは土と岩でできた巨人。その直後、青紫色の人魂のようなモンスターがふよふよと壁をすり抜けて出現した。


「うわわ、でかっ。お兄ちゃん、これ何?」

『大きい方はゴーレム。見ての通り岩石系のモンスターだ。それで、もう片方はファントム。こっちはゴースト系。しかし変だな……二匹とももう少し奥の方のエリアで出現するように設定したはずなんだが』

「じゃあ、モンスターもバグってるのかもしれないね」


 ともかくも、あたしはすぐに戦闘に巻き込まれないところまで避難して、四人はそれぞれ散らばる。実体のないファントムは物理攻撃が効きづらいから、魔法攻撃メインのリーリアとオルフェがファントムを、ジタンとシグレがゴーレムを狙う作戦でいくみたい。


 まず、シグレが高い機動力を生かして先手を仕掛けた。ゴーレムの懐に飛び込み、その巨体を切り刻む。


 ところで、現実的に考えて岩石を刃物で切りつけたりすれば一発で刃こぼれしそうなものだけど、大丈夫ここはRPGの世界だから、そんな不都合は無視しても平気。


 さてゴーレムはというと、シグレの攻撃を受けてもまだ元気そう。岩石系のモンスターは動きが遅いけど守備力が高いからやっかいなんだ。

「カタいですね……」

 ゴーレムから離れたシグレがいまいましそうに呟く。

「うらっ」

 続いてジタンが大剣を肩に担ぐと、全力でゴーレムの横っ腹を叩いた。力のこもったこの攻撃はさすがに効いたらしく、体がぐらりと大きく揺れた。


 一方リーリアとオルフェはというと、闇属性のファントムに対して光属性の魔法で攻撃していた。


「ライトアロー!」

 リーリアが撃った光の矢がファントムを貫く。ダメージを受けたファントムはしかしひるむことなくすぐさま反撃に転じた。彼の足元に魔方陣が出現する。


「リフレクト」

 それを見たオルフェが攻撃の一部を跳ね返すバリアを張った。これでファントムからの攻撃の対策はばっちり。さあ来るなら来い! とあたしはゲームをしていたときと同じように小さく呟いた。


 しかしそこで予想外なことが起きる。


 ファントムはなんと、魔法を繰り出す直前にいきなり百八十度方向転換。


「えっ?」

 きょとんとするリーリアとオルフェ。そしてその先にいたのは……


「ジタン、シグレ、あぶないっ!」


 リーリアの叫びに反応して二人が弾かれたように振り向く。でもとても避けられる余裕なんてなかった。闇色の光線が二人を襲う!


「うおっ!」

「ぐぅっ……!」


 伝説の勇者の特性なのか、闇属性の攻撃に多少強いジタンはともかく、魔法攻撃への耐性が低いシグレは結構なダメージを受けたらしい。


「オルフェ、回復お願いします」

 これ以上攻撃を喰らわないようにゴーレムからも距離を取りながらシグレが言った。

「任せんさい」

 ファントムの動きに注意しつつ、オルフェが回復魔法【キュア】を唱えた。柔らかい光がシグレを包み、傷を癒していく。


 さてジタンが一人残された状況をチャンスと見たか、やおらゴーレムがジタンに肉薄すると、重そうなこぶしを振り上げた。


「あァ? そう簡単にいくかよ」

 それに対しジタンは大剣を横にして構える。防ぎきる自信があるのか、どうやら避けずに受け止めるつもりみたい。

 なかなかパワーがありそうな攻撃だけど、ジタンだって伊達に鍛えてるわけじゃないんだから大丈夫。むしろ攻撃した後のスキを突けばうまく倒せるかも……そう思ったからなのか、他のメンバーはあえて援護せず次の動きに備えた。 


そしてゴーレムのこぶしが打ち下ろされ、ジタンの大剣と激しくぶつかり合う――


 はず、だったのに。


「……うっ!?」


 なぜかジタンは急に両腕をだらりと下げると、その場に棒立ちになった。


 あたしが驚きの声を上げる間もなく、無防備な体を岩のこぶしが直撃する。ジタンは勢いよく吹き飛んで、あたしが隠れている岩場の近くの壁に叩きつけられた。


 あまりのことに、全員が息をのんでその場に固まる。な、何? 今何が起こったの?


 ゴーレムは地面に倒れているジタンにゆっくりと近づいてくる。


「ジタンどうしちゃったの!? ねぇっ、ほら急いで、早く立たないとやられちゃうよ!」


 あたしが必死になって言っても、ジタンは驚愕の表情を浮かべたままぴくりとも動かない。というより……動かそうとしてるのに、できない? 地面を引っかくように立てられた指先が震えている。

「ふざけんなよ……どうなってんだよおい……っ!」


 とうとう、ゴーレムがジタンのそばまでたどり着いた。敵を無表情に見下ろす、冷徹な黒い瞳。その威圧感は、あたしの全身をすくませるのには十分すぎた。

 そしてゴーレムはその大きな足を持ち上げると、ジタンの体を容赦なく何度も踏みつけ始める。舞い上がる土埃。突き上げるような振動。金属と岩石が衝突する耳障りな音。


 そしてそれに混じって、いやむしろそちらの方がより明確に耳に届いてくる、苦しげな呻き声、荒い呼吸音――


「やだっ、やめてよ、ねえもうやめてよ! いやぁぁっ!!」


 あたしの悲鳴が洞窟内に響きわたった。リーリアとオルフェが助けに向かおうとするも、ファントムに遮られて行けない。


 あたしは耐えられなくなって身を縮こまらせるとギュッと目をつぶった。どうしよう。こんなに近くにいるのに、助けられる距離にいるのに……!

 でも、あたしが出て行ったところで何ができるの? 戦えもしないのに、余計に事態を悪化させるだけなんじゃないの? 体が震えてまともに考えられない。あたし……あたしは……


「だああああっ!」


 そのとき、戦線を退いていたシグレが猛然とゴーレムまで駆けると、その頭に強烈な飛び蹴りを見舞った。さすがに吹っ飛ばすことはできなかったけど、ゴーレムをジタンから引き離すことには成功する。


「ボサッとしてんじゃないですよこのウスノロ! 死にたいんですか!」

 ジタンを庇うように立ちながらシグレが吠える。

「げほっ……か、体が、動かねぇんだよっ……」

「動かない? それは一体」


 シグレは最後まで話すことができなかった。邪魔されて怒ったゴーレムが、シグレを潰そうと両腕を続けざまに振るう。避ければ後ろのジタンが危ない。やむを得ずシグレは短剣を逆手に持ち替えて両腕を交差させると、正面からそれを受けとめた。強行突破できると考えたのか、ゴーレムは手を止めずに殴り続ける。


悔しいことにその考えは正しかった。


「ぐ、う」

 シグレは歯を食いしばって耐えているけれど、その表情はしだいに苦しくなっていく。彼女の一番の武器であるスピードと身軽さを封じられたこの状況では、腕力のあるゴーレムが圧倒的に有利だった。

 しかも、シグレはさっきの攻撃によるダメージがまだ回復しきってない。まずいよ、このままじゃ押し負けちゃう。そうなったら二人とも……!


『みぃ、聞こえるか』


 そのとき、イヤーカフから声が聞こえた。

「お兄ちゃん! 助けて!」

『ああ。今から言う通りにすれば大丈夫。だから落ち着いて聞くんだ』

「う、うん」


 あたしは手をイヤーカフに添えて、意識を耳に集中させた。


『ジタンが突然動けなくなったのは『呪い』状態になっているせいだ。さっきファントムの攻撃を喰らったろ。それにその効果があって、呪い状態になると毎ターンごとに一定の確率で一切の行動ができなくなるんだ』

「そうだったんだ。それってどうすればいいの?」

『時間経過じゃ治らない。専用の回復魔法かアイテムを使う必要がある。道具の中に『聖水』が入ってないか? 水晶でできた香水瓶みたいな形で、金色の栓がしてある』

「聖水? えーっと、あ、あったこれだ!」


 リュックサックの中を探して、きれいな水の入った美しい小瓶を取り出す。


『それをジタンの体にかけるんだ。飲ませる必要はないぞ』


そっと岩場から抜け出して急いでジタンのところまで駆け寄ると、栓を抜いて、言われた通りに中身を残らずジタンの体に振りまいた。


「冷てっ! お、お前いきなり何し……ん……?」


 するとジタンが目を丸くして体を起こし、両手を開いたり閉じたりした。


「ジタン、大丈夫?」

「すげぇ。動けるようになってる……おっしゃ、これなら……」


 傷ついた体で大剣を支えに立ち上がり、ジタンは自分を守って戦ってくれているシグレに向かって怒鳴った。


「シグレ下がれ! オレが落とし前つけてやる!」


 それを聞いて、もう少しで膝をつきそうになっていたシグレは残った力を振りしぼって横に転がる。再びゴーレムとジタンは一対一で向かい合った。


「さっきはよくもやりやがったなてめぇ……!」

 煮えたぎるような怒りの形相のジタンはどうやら技を使うつもりらしい。


「アンメイル」

 同時に、ようやくファントムを倒し終えたオルフェがゴーレムに守備力を下げる魔法を掛けた。


 ジタンは大剣を右手に持つと、体を右回りに引きしぼる。その状態のまま軽く大剣を振ると、刀身が燃えさかる炎に包まれた。強い光に照らされて、銀の鎧や金髪がきらきら輝く。瞳にもまた炎を映して敵を見据えるその姿は、邪悪な鬼に鉄槌を下す阿修羅像のようにも見えた。


 ゴーレムもまた手負いの勇者にトドメの一撃を見舞おうと、姿勢を低くして頭から突進する。そしてゴーレムが自身の攻撃圏内に入ったその瞬間、ジタンは左足を大きく踏み出し、左足への体重移動と右腕を振るう遠心力のパワーで、燃える大剣をゴーレムへ豪快に叩きつける!


「バーンクラッシュ!」


 大剣がゴーレムの頑丈な肉体を打ち砕き、さらに灼熱の炎が全身を余すところなく焼き焦がす。ゴーレムは洞窟全体を揺るがすほどの地響きを立てながら崩れ落ち、ただのがれきの山になった。その後、白く光って消滅する。


「か、勝ったぁ……」


 あたしは脱力して大きく息をつく。よかった。誰も倒されずにすんだ。よかった……ほんとに……。


「あー。腕が砕けるかと思いましたよ」


 壁に背中を預けて座り込み、オルフェから回復をしてもらっていたシグレが疲れた声で言った。


「ここに来てから急に敵が強くなってませんか? そりゃ、しょうもないやつばっかり出てくるよりは面白いですけど」

「序盤からシビアじゃったのぉ。ここから何が起こるか分からんし、警戒するに越したこたぁないじゃろう」

 オルフェが相槌を打ち、それからジタンの方を向いて言った。

「ジタンもいきなり災難じゃったのぉ。すぐに回復しちゃるけぇ待っときんさいね」

「あァ。よろしく頼む」


 ジタンは頷いてからぐっと顔をしかめた。


「う……痛ってぇ。あの野郎めちゃくちゃやりやがって……あー、それと」


 それからふと呟いて、地面にへたりこむあたしのところまで来た。

「さっきは助かったぜ。悪ぃな」


 あたしを見下ろす形でちょっとぶっきらぼうにお礼を言うジタン。しかしあたしが下を向いたまま動かないのを見ると、怪訝そうにしゃがみこんだ。


「おい、どうした。腰でも抜かしたかよ、え?」


 ジタンはあたしの顔を覗きこんで、驚いたように目を見開く。


「うわなんだよお前、何涙目になってんだよ!? そんな心配すんなっての。冒険続けてりゃこんな怪我よくあることだし、そもそも回復魔法もあんだからよぉ。死ななきゃいいんだよ」

 あたしの赤くなった目元を見て慌てたのか、ジタンは少し早口で言いながらあたしのわきの下から背中に太い腕を回して、ちょっと乱暴に立ち上がらせた。


「ジタン……その……」

「あーもう大丈夫だっつってんだろ。つーか泣かれたほうが弱るからやめろ」

 あたしが言おうとするのを遮って、ジタンは顔をそむけると虫でも追い払うように手を振った。


「みくる、どうしたの? さっきのでこわくなっちゃった?」


 リーリアが飛んできて、あたしを心配そうに見上げる。そしてあたしの首にひっしと抱きつくと、明るい声で言った。

「だいじょーぶだいじょーぶっ! リーリアがついてるよ。どんなモンスターだって、リーリアのまほうでやっつけて、みくるのこと守ってあげるからね!」


 子供らしい無邪気な笑顔。


「……あはっ、ありがとリーリア。よろしくね」

 つられてあたしもちょっと笑った。リーリア、いい子だなぁ……。そうだよね。ここであたしがみんなの足を止めるわけにはいかないし、とりあえずは進まないと。そう自分に言い聞かせて、心の中に淀んでいた物をぐっと底まで押し込む。考え込むのはあとだ、あと。


 そしてジタンの傷の治療も終わって、パーティーは洞窟の奥へと歩を進めるのだった。

<続く>

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