第23話「境界の戦火」

空間がきしむ。

 海と空の境目すら曖昧になった世界で、澪は氷刃装グレイシャル・ブレイドを握りしめ、黒淵の王と対峙していた。


 ──戦う。

 その決意だけが、澪の足を前に進ませる。


 黒淵の王は、黒い瘴気を渦巻かせながら、ゆっくりと形を変えていく。

 ひとつ、またひとつ──虚ろな顔を浮かべた無数の影が、澪と龍弥を包囲するように現れる。


「……これが、“黒淵の眷属”か」


 龍弥が低くつぶやき、赫灼螺旋を練り直す。

 彼の周囲にも、赤い陽炎のような力が波打つ。


 澪は深く息を吸い、目を閉じた。


 氷神の声が静かに響く。


『落ち着け。焦るな。相手の数に飲まれるな。……お前はすでに、氷の心を持っている』


「──うん」


 澪は目を開く。  冷えきった視界の中で、彼女は迷わず一歩を踏み出した。


 眷属の影が、波のように押し寄せる。

 澪は低く沈み、一瞬の隙を突いて駆け抜けた。


 ──ヒュンッ!


 抜き放たれた氷刃が、無音のままに一体を断つ。

 霜に包まれた影が霧散し、空気が白く染まる。


 すぐさま背後から別の影が襲いかかるが、澪は零式の第二動作──《白刃斬光》で反撃した。

 流れるような連撃が、まるで氷の川のように敵を呑み込んでいく。


 一方、龍弥も赫灼螺旋を片手に、群がる眷属を焼き払っていた。


「……なるほどな。雑魚を捌きながら本体を狙えってわけか」


 彼の放つ赫光は、辺りの空気すら発火させる。


 けれど──


『……龍弥、気をつけろ。奴は……!』


 氷神の警告と同時に、黒淵の王が動いた。


 黒い瘴気が、まるで意思を持つかのように収束し、巨大な腕を形成する。

 それは澪ではなく──龍弥を狙っていた。


「っ──」


 龍弥が咄嗟に赫灼の盾を作るも、腕の一撃はそれすら打ち砕く。


 爆発。

 龍弥の体が弾き飛ばされ、基地の防壁に激突する。


 澪の心臓が一瞬、凍った。


(龍弥さんが……!)


 氷神が静かに囁く。


『迷うな。今、選べ。攻めるか、守るか──』


 澪は短く息を呑み、そして。


「攻める!」


 彼女は足元の氷を蹴り、まっすぐに黒淵の王へと飛び込んだ。


 刹那、黒い世界の中に、一本の白い軌跡が走る。


「──零式・白刃穿突!」


 氷刃が光となって疾走し、黒淵の王の中心へと突き刺さった。


 衝撃。

 澪の体が震える。


 だが──


『……小賢しい』


 黒淵の王は、嘲るように呻いた。


 突き刺した氷刃を媒介に、逆に黒瘴が澪を飲み込もうとする。


「──ッ!」


 氷神の絶叫が響く。


『逃げろ、澪ッ!!』


 だが、そのとき。


「逃がすかよ!」


 赫光。


 吹き飛ばされたはずの龍弥が、赫灼宮の新たな核を携えて突撃してきた。


 炎と氷。

 澪と龍弥の力が交差し、黒淵の王を強引に引き剥がした。


 再び爆音。

 空間が裂け、黒瘴が砕ける。


 澪は体勢を立て直し、龍弥に一瞥を送った。


「……助けられた」


「バカ言うな。こっちは、まだまだこれからだろうが!」


 二人は苦笑しあい、再び黒淵の王に向き直った。


 黒淵の王もまた、ぐにゃりと形を変えながら、二人を見据える。


黒淵の王は、意思を持つかのように動いた。

 瘴気の奔流が激しく渦巻き、やがて空間全体が黒い波に呑み込まれる。


 物量。

 数千、数万にも及ぶ黒き眷属たちが、澪と龍弥を押し潰すべく、怒涛の勢いで押し寄せてきた。


「……ッ!」


 澪は息を呑む。

 すべてを相手取るには、あまりにも数が多すぎた。


 龍弥も赫光を構えなおし、低く呟く。


「数で押し切るってか……!」


 だが、澪は退かない。


(……負けない。こんなところで、絶対に──!)


 澪の中で、氷神の声が響く。


『今だ。新たな技を、解き放て』


「……うん!」


 澪は地を蹴った。

 氷刃装グレイシャル・ブレイドを逆手に構え、天へ突き上げる。


 同時に、空気中の水分が激しく凝縮され、爆発的に冷気が広がった。


「──《氷天輪舞(ひょうてんりんぶ)》ッ!!」


 咆哮とともに、澪を中心に無数の氷刃が生み出される。

 円を描くように回転し、旋律を奏でながら周囲を切り裂いていく。


 氷の嵐。

 範囲一帯を覆い尽くす、純白の暴風。


 黒き眷属たちは、氷刃に飲み込まれ、触れる間もなく凍結し、砕け散った。


 ──凍る。

 ──砕ける。

 ──凍る。

 ──砕ける。


 氷の輪舞は止まらない。


 澪の意志に呼応し、舞い踊る刃たちは、ひとつ、またひとつと敵を討ち滅ぼしていった。


「……すげぇな、あの娘……」


 龍弥が感嘆する声を漏らす。


 黒淵の王も、初めて、わずかに後退した。


『貴様……成ったか、人の身で、ここまで──』


 澪の瞳は、揺らいでいない。

 静かに、けれど確かに燃える氷の意志が宿っていた。


(これが──私の力……)


 氷天輪舞はやがて一つの巨大な氷輪へと姿を変え、澪の背に浮かび上がった。


 その姿を見た瞬間、黒淵の王が一段階、力を高める。


 瘴気が再び濃くなる。

 世界が、歪む。


 だが澪は、迷わず前へと進んだ。


「──行こう」


 静かな声と共に。

 戦いは、さらに深い“境界”へと突入していく。

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