第25話「氷刃と赫光、境界を超えて」

 黒淵の王が咆哮した。


 その声は物理現象を越え、精神を直接打ち砕こうとする。

 前線基地にいた者たちは耐えきれず、思わず膝をつく。


 だが、澪だけは踏みとどまった。


(……負けない)


 澪は震える膝を押さえつけるように、刀を握り直す。

 恐怖を抱くのは当然だ。それでも──。


 氷神の静かな声が心に響く。


『忘れるな。恐れは自然だ。だが、それに屈するかはお前次第だ』


 澪はゆっくりと息を吸い、吐いた。


 黒淵の王が、巨大な黒翼を広げる。

 無数の黒い刃を空から降らせる──避けきれない量だ。


「──霜盾グレイシャル・シールド!」


 氷の盾を何重にも展開し、降り注ぐ刃を弾く。

 しかし、防ぎ切れず何枚かの盾が破られ、肩にかすり傷を負う。


 熱い痛み。だが、澪は止まらない。


(このくらい──どうってことない!)


 澪は氷道を滑り、加速した。


 黒淵の王が、斜めから触手を放つ。

 それを読み、地面を蹴って跳躍する──


 ──しかし、すべては囮だった。


 澪の背後から、第二波の刃が迫る。


「──っ!」


 とっさに半身をひねり、氷刃で弾くが、バランスを崩した。


 その瞬間、龍弥の声が飛ぶ。


「気張れェェェ!!」


 赫灼螺旋が後方から飛来し、黒刃を迎撃する。

 爆風で吹き飛ばされながら、澪はどうにか体勢を立て直した。


 視界がぐらつく。


(私、何やってんの……っ)


 黒淵の王が、さらに力を高める。


 空間そのものが黒く歪み、ダンジョン島の地面が蠢き始めた。


『……完全形態か。まずいな』


 氷神が低く呟く。


 黒淵の王は、全身の瘴気を一点に収束し始めていた。

 それは──島ごと、世界ごと、呑み込もうとする動き。


『今やらなければ、全滅する』


 その言葉に、澪は自分の震えた手を見つめた。


 怖い。

 でも、それ以上に──


(こんなところで、終わりたくない!)


 澪は刀を掲げた。


「……氷神。全部、貸して」


『ああ。すべて預けよう、“霜天一閃フロスト・エクリプス”』


 澪の体から、純白の冷気が爆発的に放出される。

 彼女の周囲に氷の羽根が舞い、刀身に蒼き光が宿る。


 並び立つ龍弥も、赫灼宮の最終形態──赫光星コロナ・ブラスターを構築する。


「二発目はねえぞ、澪!」


「──わかってる!!」


 二人が同時に駆け出す。


 黒淵の王が全力で迎撃を仕掛けてくる。

 黒い触手、刃、重力すら操り、二人を押しつぶそうとする。


 だが──


「──零式・氷華穿陣!」


 澪が氷の棘を地面から無数に走らせ、触手を封じる。


 龍弥は赫光を収束し、一点突破の態勢を取る。


 だが、黒淵の王の中心は分厚い瘴気の装甲に覆われていた。


『突き破れなければ、すべてが無駄になる──!』


 氷神の声。


 澪は答えるように──さらに踏み込んだ。


 気を限界まで圧縮し、氷刃に乗せる。


「──ここで、終わらせる!!」


 氷刃が、白く灼けた。


 そして──


「──零式・霜天一閃フロスト・エクリプス!!」


 凍てつく光が黒淵の王へ直撃する。


 直後、龍弥の赫光星も放たれた。


 氷と赫光が同時に、黒淵の王を貫く。


 ──眩い閃光。


 ──空間が崩壊する轟音。


 黒淵の王は、もがく間もなく、裂けるように消滅した。


 空に、白と紅の光だけが残った。


 澪は──ゆっくりと、地に膝をついた。


(……勝った……の?)


 氷神が、静かに告げた。


『──ああ。境界は、守られた』


 澪は、ただぼんやりと、青く凍った空を見上げた。


 涙が、零れた。


 止まらなかった。


(……よかった……)


 世界が、静かに安堵の息をついた。

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