第17話「仮面の下に宿る誓い」
放課後、教室を出た澪はスマートフォンを取り出し、葵に連絡を入れた。昨日の探索と協会での出来事、そして男との一件について、簡潔かつ正確に報告する。
『……了解した。協会側の対応も妥当だ。だが、無理はするな』
葵の声はいつも通り冷静だったが、微かに澪を気遣う響きが混じっていた。
「大丈夫です。あれくらいで崩れるようなら、もうとっくに潰れてます」
短く答え、澪は通話を切る。
制服から私服へと着替えた彼女は、再び街の南に位置する探索者協会へと向かっていた。
協会のロビーに足を踏み入れると、昨日とは異なる職員が笑顔で迎えてくる。
「二日続けてのご来館ですね。登録記録は残っていますので、本日もD級ダンジョンでよろしいですか?」
澪は小さく頷いた。「お願いします」
手続きを終え、黒の軽装鎧と仮面を再び身につけた澪は、昨日と同じD級ダンジョンの前に立っていた。
(昨日より深く、もっと確かに——)
仮面の奥、冷たい瞳に宿るのは覚悟と意志。
探索者として。災厄に立ち向かう者として。
ダンジョンに向かおうとしたそのとき、協会のロビーの片隅に、小柄な少女が一人、うつむいて座っているのが目に入った。
(……十五、六歳くらい?)
不安げな顔、手には震えるほど力の入った登録カード。その少女に職員が声をかけるも、彼女は首を横に振るだけだった。
澪は無言で近づき、少女の前にしゃがみ込む。
「どうしたの?」
少女は驚いたように澪を見上げ、そしてぽつりぽつりと語り出した。
母子家庭で育ち、生活は苦しく、高収入と謳う探索者募集の広告に惹かれて登録したこと。だが、実際にダンジョンの前に立った時、あまりの恐怖に一歩も動けず、そのまま今日まで時間だけが過ぎていったこと。
「パーティを組めば安全だって聞いたけど、誰も私なんか相手にしてくれなくて……」
少女の言葉に、澪は昨日の出来事を思い返した。
(たとえ、仮面の下に何を隠していても……)
「一緒に行く? 私もソロだけど、今日は……ちょっと気が変わった」
少女の目が大きく開き、そして涙を滲ませながら何度も頷いた。
「……うんっ! お願いします!」
「影宮里香。よろしくねっ!」
澪は仮面を軽く直し、少女と共に再び受付へ向かった。
職員が手続きを終えると、二人は並んでダンジョンのゲートへと歩き出す。
——小さな背中を守るように、澪の影が少女の後ろに寄り添っていた。
ダンジョンに入ると、里香はふと立ち止まり、その身体に淡い光が差し込む。
「……これ、スキル? 私、何か覚えた……」
登録直後の探索者には、ダンジョンとの接触で稀にスキルが付与されることがある。それは稀な幸運か、それとも天性の才能か。
澪は警戒を解かぬまま頷く。「使えるなら使って。何ができるかは慎重に試して」
「わかった……なんか、隠れるような感じがする……音も、気配も消えるような……」
隠密系スキル。今後の成長の兆しを感じさせる素養に、澪は小さく息を吐いた。
——その時、頭の中に微かな声が響く。
『ふん、また妙な娘を連れてきおって……これは、いかにも小賢しい……我の巫女の隣に立つにしては、軽すぎようぞ』
天霜祀神。脳内に響くその声は、澪が他の者に関わるたびに顔を出す、嫉妬と独占の権化。
『我が澪を呼び捨てにするとは何様のつもりか……綾里でさえ"あなた様"と呼んだというのに……』
(……静かにして。今は集中したい)
『ふむ。良いだろう。我が巫女の意志を乱すつもりはない。だが忘れるな。貴様の隣に立つ資格など、容易く与えるべきではないのだ』
天霜祀神の声が静まると同時に、澪は小さくため息をついた。
——仮面の下、澪の目は決して揺れなかった。
一層目に踏み入った後、澪は道中の草陰に身を隠しながら、里香に静かに話しかけた。
「落ち着いて。最初は怖いと思う。でも大丈夫、順番にやっていけばちゃんと戦えるようになる」
「……う、うん……」
澪は手本として、小さなビッグラットを発見し、足音を殺して距離を詰め、素早く刀を抜いて斬り伏せた。
「ね? 慌てなければ、敵は案外脆い」
「すごい……」
「次はあなたの番。私が横で見てる。大丈夫、失敗してもサポートするから」
里香は震える手で短剣を構えた。緊張で体が動かない。だが、澪の静かな声が背中を押す。
「敵を見て、呼吸を整えて……狙うなら首元、そこが一番柔らかい」
小さなゴブリンが姿を見せた。震えながらも、里香は短剣を突き出す。外れたが、すぐに澪が援護して倒す。
「惜しかった。でも動けた、それが一歩目」
「……うんっ」
それから何度か戦闘を繰り返すうちに、里香は徐々に足の運びや短剣の扱いに慣れていくのだった。
最初は怯えて動けなかった里香も、澪の冷静なアドバイスと支えによって、次第に足を踏み出し、簡単な攻防ができるようになる。
その日の探索終盤、ようやく里香は一対一の状況下で、自力でモンスターを倒すことに成功する。
汗と埃にまみれながらも、誇らしげに澪へと笑みを向けた。
協会へと戻り、二人はドロップ品を換金カウンターに持ち込む。
「これ、今日の分……全部、澪さんに」
そう言って差し出してきた里香に、澪は首を振った。
「いらない。半分ずつ。それがパーティの基本」
「で、でも……私、ほとんど足手まといで……」
「それでも。あなたは今日、ちゃんと戦った。誇っていい」
そう告げる澪の言葉に、里香は一瞬涙ぐみ、やがて照れくさそうに笑って頷いた。
——新たな一歩は、確かに二人で踏み出されていた。
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