第21話「境界の島へ」

夜明け前の空港には、まだ薄暗さが残る中にも、確かな緊張感が漂っていた。


 澪は、他の探索者たちと共に前線への派遣部隊に合流するため、集合地点に到着していた。制服姿ではなく、戦闘用の装備に身を包んだ澪の姿は、学校での“高嶺の花”とはまた違う、鋭さと威厳を纏っていた。


 間もなく、上空に轟音が響き、前線基地への輸送機が滑走路に姿を現した。


 搭乗前の簡易ブリーフィングが行われ、千堂葵が姿を見せる。彼女は澪に向かって軽く頷き、淡々と話し始めた。


「今回の任務だけど、正確には“見学”よ。ダンジョン島は、国際ダンジョン部隊が“攻略不可能”と判断して、消滅処理を決定した。私たちはその最終段階を確認するために呼ばれたの」


「……消滅処理……?」


 澪が低く呟く。


「ええ。そして、それを実行するのが──日本が誇る戦略級能力者、千堂龍弥」


 その名に、澪はわずかに表情を動かした。


「千堂...?」


「そう。私の父よ。炎系の能力者として、日本最強とされているわ。火之迦具土神の力を受け継ぎ、完全に制御している。通称“赫灼宮(かくしゃくきゅう)”──小さな太陽を生み出し、着弾点一帯を獄炎で灰すら残さず焼き尽くす。あなたのところの氷神とは犬猿の仲でもあるけど……その実力は疑いようがない」


 葵の言葉に、澪の胸の内に複雑な感情が渦巻く。


 己の内に宿る氷神の声が、ひそやかに囁く。


『あの男か……また“あれ”を使うのか。美しくない、ただの破壊……』


 輸送機が搭乗を開始し、澪は無言で機内へと歩を進める。


 その機内で、澪はふと窓の外に目を向けた。

 遠ざかる日本の風景──そして、これから向かう未知の島のことを思う。


(……私は、境界を越えていく)


 そんな覚悟を胸に、澪は目を閉じた。


 輸送機が揺れながら上昇していく。

 その先には、まだ見ぬダンジョンと、新たな運命が待っている──


 数時間後、澪たちの輸送機は、ダンジョン島から少し離れた島に設けられた前線基地へと到着した。


 熱帯の気配を含む湿った風が吹き込む中、輸送機のハッチが開く。


 そこで彼女を迎えたのは、一人の男──鋭い眼差しと圧倒的な気配を放つ、炎を纏った戦士だった。


「千堂龍弥……」


 澪は、彼がただ者ではないことを直感で理解した。


 彼こそが、消滅処理を行う“日本最強”の男。


 澪と龍弥の視線が交差する。


 氷と炎、二つの極が、静かに火花を散らすように──


 その瞬間、澪の中の氷神が、低く冷ややかに囁く。

『また貴様か、炎の化身よ。破壊しか知らぬ輩に、世界を託すとは滑稽だな』


 対する龍弥の背後に立つように、炎神の存在が現れる。

『黙れ、氷の亡霊。お前のように冷たく凍らせるだけの力こそ、生命を拒む死だ』


 澪の目が鋭く細まり、龍弥は口元にわずかに笑みを浮かべる。


「……神々まで言い合いか。手間のかかる宿主を持ったものだな」


 氷神は冷ややかに、しかし静かな怒気を漂わせて返す。

『己が力を過信するな、炎の子よ。赫灼宮が通じぬものも、この世には存在する』


 その空気に、葵すら言葉を挟めず立ち尽くす。


 異なる極を宿す二柱の神、その眷属たちが邂逅した瞬間──それはただの見学で終わらぬ予兆を孕んでいた。


 その直後、作戦司令部より通信が入る。


『こちら前線指令。全戦闘班は予定通り、ダンジョン島消滅作戦を開始する。各部隊は配置につき、火力支援班は座標αからβに向けて照準展開。防衛班は後衛の警戒維持、支援班は後続部隊の補給体制を確認せよ』


 緊張が走る前線基地。軍用のヘッドセットを装着した兵士たちが迅速に動き始め、巨大なモニターには衛星映像が映し出される。


 その中心に、不気味な黒い靄に包まれたダンジョン島があった。


 千堂龍弥は静かに前へと歩き出し、海の向こうを見据えながら手を掲げる。


「楽な仕事だ。...赫灼宮──起動」


 彼の掌の前に、真紅に輝く球体──小さな太陽が生まれた。

 周囲の気温が一気に上昇し、遠く離れた場所にいる澪すら、その熱量を肌で感じ取る。


 その光が、やがてダンジョン島を焼き尽くす光となる。


 だがその瞬間、氷神が澪の体を操るようにして声をあげた。


『馬鹿者ッ、いきなり赫灼宮など撃ち込むか! 周囲の被害を考えろ、脳筋火神!』


 澪の足元から、冷気が一気に立ち昇る。

 氷神の制御により、澪の周囲に幾重もの氷の壁が形成された。


 まるで氷の要塞のように展開されたその防壁は、赫灼宮から溢れる熱波を正面から受け止め、付近の兵士や施設への被害を最小限に食い止める。


 炎神が哄笑する。


『フハハハ、さすがは氷の女王よ! だが所詮は防ぐことしかできぬ。力とは打ち砕いてこそ華だ!』


 氷神の囁きは冷たく、しかしどこか誇らしげだった。


『ふん、氷と刀の融合──なかなか様になってきたではないか、澪』


 氷の防壁が輝く中、澪は冷静に息を整えた。


(……私にできることを、見せる)


 赫灼の炎が空を焦がし、氷の静謐が地を守る。


 そして、その相克の先にあるものを──彼女は見据えていた。

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