第11話「氷の視線、炎の誓い」

朝靄の差し込む執務室。千堂葵は静かにコーヒーを口に運びながら、端末に映る戦闘ログを見つめていた。澪――“氷華”の名を与えられた少女は、着実に力をつけている。氷魔力の操作、反応速度、判断力。その成長ぶりに目を見張るものがあった。


「……順調に伸びてるわね、澪」


だが、それでも葵の表情に笑みはなかった。戦いの中でしか成長できない現実と、それを受け入れざるを得ない少女の姿を、彼女は重ねていた。


訓練申請の通知が端末に届く。澪自身による個人訓練の申請だ。場所は第三模擬戦区、時刻は0800。葵は即座に承認を返し、デスクを離れる。


模擬戦区では澪が刀を構えて待っていた。対するは戦技教官の白崎玲奈。先日の任務から日も経たないというのに、彼女はすでに次の高みを目指している。


白崎が仕掛ける。踏み込み、斬撃、牽制。澪はそれを紙一重で捌き、氷の刃を滑らせて反撃する。攻防は激しくも、どこか静謐な雰囲気すら漂わせていた。


「戦術が洗練されてきたわね……力押しじゃない」


葵は観察台からそう呟く。澪は未熟ではあるが、ただの才能だけで押しているわけではなかった。経験を積み、自分の戦い方を模索し始めている。


十数分後、白崎が一歩退いた。


「ここまでにしておこうか。いい動きだったよ、澪」


「……ありがとうございます」


刀を納め、短く礼をする澪。その額には汗が滲んでいたが、瞳は澄んでいた。


訓練後、控室へ向かう途中で千堂が声をかける。


「悪くなかったわ。けど、焦る必要はない」


「……焦ってるつもりはありません」


「そう。ならいいけど」


千堂は澪と並んで歩く。昇進や役割の重責を与えるには、まだ時期尚早――その判断は正しい。彼女にはまだ“戦う理由”と“守る覚悟”を育む時間が必要だった。


「ところで、筒木と組む話は聞いてるわよね」


「はい、千堂さんからの通達で」


「現場経験を積むには、あの班がちょうどいい。クセはあるけど、信頼はできるわ」


「了解しました」


短い言葉の中に、覚悟が滲んでいた。だがそれは、戦いに慣れ始めた者特有の無理な落ち着きにも感じられた。


「澪。迷ったら、自分を信じること。孤独だと思っても、あんたは一人じゃないから」


一瞬、澪の目が見開かれる。そしてすぐに視線を外した。


「……ありがとうございます」


千堂はそれ以上は何も言わなかった。少女が自らの足で立ち上がるまで、見守るしかない。


彼女の名は氷華。氷の名を持つ少女が、次に何を凍らせ、何を守るのか――千堂はその未来を、遠くない希望として見据えていた。



澪は新たな任務に向かうため、初めての戦闘班へと合流していた。指定された作戦室に足を踏み入れると、空気が一変する。重圧と静けさ、それに交じる研ぎ澄まされた気配――そこにいたのは筒木と白石、そして数名の実戦経験者たちだった。


「お前が……新入りか」


低い声が投げかけられ、澪は視線を向ける。筒木の鋭い眼差しが、試すように彼女を見つめていた。


「氷室澪です。よろしくお願いします」


短く返す澪に、白石が軽く口元を緩める。


「なんだ。もうちょっと棘があるのかと思ってた」


「……必要ない敵意は持ちません」


筒木は黙っていたが、納得したように小さく頷く。


作戦は簡潔だった。郊外に発生した小規模ダンジョンの調査と、内部の踏破。だが事前調査では高レベルの魔石反応が確認されており、油断はできなかった。


移動中、白石が澪に話しかける。


「千堂さんに鍛えられてるって聞いたよ。怖くないの? 現場は」


「怖くないわけじゃありません。ただ……それ以上に、前に進みたい」


答えたその瞳には、曇りのない意志が宿っていた。白石はそれを興味深そうに見つめるだけで、言葉を返さなかった。


ダンジョンゲートは住宅地の裏手、半ば崩れた倉庫の中に口を開いていた。


「じゃあ、始めるか」


筒木の合図で、全員が順に中へと飛び込む。内部は薄暗く、石造りの古代遺跡のような構造が広がっていた。冷気が漂い、足音がこだまする。


開始から二十分、最初のモンスター群が現れる。地を這うようなワーム型の魔物と、飛翔するフクロウ型モンスターの混成。


「澪、右の通路。単独で対応できるか?」


「やってみます」


澪は即座に行動を開始。刀を抜き、氷の気配を纏わせながら敵へと迫る。動きはまだ粗い。けれど、その一太刀には確かな成長が見られた。


斬撃に反応して地面が凍る。氷華の名を与えられる以前とは違い、その力は少しずつだが制御の域に入りつつあった。


戦闘は無事に収束。だが澪の肩は上がり、息が浅くなっていた。無理をしていた。


「自分の限界を、見誤るな」


筒木の言葉は厳しかったが、そこに責める意図はなかった。澪もまた、静かに頷いた。


ダンジョンの奥では、隠し部屋が発見された。そこには転移トラップと宝箱が共存しており、慎重な対応が求められる。


「澪。罠感知をやってみろ」


白石の声に澪は驚く。


「私が?」


「ここで学べ。君の判断を信じる」


澪は小さく息を吐き、手のひらを地面にかざした。氷魔力を通じて周囲の気配を読む。微細な魔力の揺らぎが、彼女に罠の存在を告げる。


「……こっちに転移の陣。宝箱は……封印されています」


正解だった。白石が軽く頷き、筒木が行動を開始する。


その後の戦闘も含め、任務は慎重かつ確実に遂行された。


任務完了後、帰還中の車内で澪がぽつりと呟いた。


「……怖い、ですね。現場って」


「怖くなくなった時が、一番危ない」


白石の言葉に、筒木も同意するように頷いた。


「だが、それでも踏み込む者がいなければ、街は守れない」


澪は、ただ静かに前を見つめていた。その瞳には、不安とともに確かな覚悟の光が宿っていた。


氷華はまだ、真の力を知らない。だが、その小さな歩幅は確実に未来へと向かっていた。

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