第9話「氷刃、砕けず」
ダンジョン第七階層、深部。
氷気が未だ消えぬ戦場の余韻の中、澪はひとり佇んでいた。
彼女の足元には、霧氷の花がいくつも咲き乱れている。
「……まだだ」
右手の刀を見つめる。
先ほどの戦いで、自身の力不足を痛感したばかりだった。氷属性の魔力は確かに澪に応え、鋭く、冷たく、強く彼女を支えていたが――
それでも、あの騎士型モンスターの猛攻を完全に退けるには至らなかった。
(もっと、研ぎ澄まさなきゃ……)
氷華というコードネームが与えられてまだ日が浅い。だが、その名に相応しい存在でありたいと、澪は無言で刃を見つめ続けた。
そのとき――足音が、再び響く。
割れた氷の帳の奥から、騎士型モンスターがゆっくりと現れた。
氷槍に貫かれたはずの胴体を、魔力の糸のようなもので修復している。
「……まだ、倒し切れてなかった」
澪は刃を構え直した。呼吸を整える。
自身の内部から湧き上がる新たな感覚を感じながら――
「今度こそ……」
氷の剣が、深く静かに澪の手で鳴った。
――戦闘、再開。
◆
騎士型モンスターは最初よりも鋭い踏み込みで突き込んでくる。
刃と刃がぶつかり、氷の粉が爆ぜた。
澪は防御を捨て、回避と斬撃に全てを傾けた。
振るうたびに刀身が白く輝き、地面が霜に覆われていく。
(私の魔力が……この空間と共鳴している?)
澪の体内を巡る魔力が、地と連動し始めていた。
氷が意志を持つように動き、モンスターの足を止め、攻撃を逸らす。
「……行ける」
一瞬の隙。
澪は飛び込む。
刀が光を放ち、まるで氷の翼を広げたかのように――
「穿てッ!」
澪の絶叫と共に、斬撃が放たれた。
氷の華が舞う。
その刹那、モンスターの胴体に白銀の閃光が走り、中心から粉々に砕けた。
モンスターの断末魔が空気を震わせ、澪の足元に氷の破片が降り注ぐ。
……静寂。
ようやく、戦いは終わった。
澪は息を整え、崩れ落ちるモンスターの残骸を見下ろす。
「もう、大丈夫……葵さんたちのところへ……」
だが、すぐに遠くの地鳴りに気づいた。
(戦ってる……誰かが!?)
澪は振り返り、走り出した。
戦いの中で確かに感じ取ったあの魔力の気配。
仲間の危機に、ただただ体が動いた。
◆
筒木と白石の攻防は、泥沼のような持久戦へと変貌していた。
白石の斧が地面を砕き、魔石の衝撃波が岩肌を吹き飛ばす。だが筒木はひたすらに冷静だった。
「動きが単調だ、白石。魔石に頼りすぎると、身体はすぐ鈍る」
「うるせぇ! 上から目線で語ってんじゃねぇよっ!」
白石が咆哮し、怒りに任せて突進する。
そのときだった――
「そこまでです」
冷たい声が響いた。周囲の空気が、一瞬にして凍りついたように張り詰める。
氷の波が、地面を走った。白石の足元から、突如として巨大な氷柱が噴き出し、動きを封じる。
「なんだ……? この魔力……」
筒木が驚いたように振り返ると、そこに澪がいた。
表情は無機質で冷ややか、だが、その奥に潜む熱――“怒り”が、空間ごと凍らせていた。
「あなた……誰だ?」
澪は白石へ刀を向けながら答えた。
「澪です。臨時派遣された戦闘要員。あなたが……筒木さん?」
「……ああ。だが、初対面で助けられるとはな。やるな、氷の少女」
「氷華です。コードネーム、ですけど」
そう言い放ち、澪は白石へ鋭い視線を向け直した。
氷華の力が、彼女の周囲を冷気の嵐で包み込む。
白石がわずかに怯んだ。
(こいつ……本気で殺気を向けてきやがる)
澪の瞳の奥には、過去の記憶がうごめいていた。
傷ついた少女のまなざしが、今、戦場の剣士として宿っている。
――澪の一歩。
それは、戦士としての第一歩でもあり、少女としての過去を超える決意でもあった。
戦いが終わった静寂の中、澪は周囲の冷気を収めると、静かに刀を納めた。 白石はその場で拘束され、特別隊の回収班が到着するまで身動きできないように処理された。
「……初任務で随分と重たいのを回されたな」
筒木が呆れたように言う。
「ですが、ここで退く理由はありませんでした」
澪の声は冷静で、だが芯が通っていた。 氷のように凛としたその在り方に、筒木は軽く口元を緩めた。
「お前、名前は澪だったな。噂は聞いてたが、想像以上だ」
「ありがとうございます……。けど、まだ私は――」
そのとき、空間が一瞬だけ揺らいだ。
「これは……?」
ダンジョン全体が微かに脈動しているような感覚。 まるで、生きているかのように。
「この反応、ダンジョンの“心臓”が動いたのか?」
筒木が眉をひそめた。澪も氷の感覚を研ぎ澄ますと、階層の下層にかすかな“魔力のうねり”を感じ取る。
「……行ってみますか?」
「当たり前だろ。行けるか、氷華?」
「はい。行けます」
二人は視線を交わし、次の階層へのゲートに向かって駆け出す。 だが、階層移動の直前、澪はふと足を止めた。
「どうした?」
「……このダンジョン、何かおかしいです。魔石の密度も高すぎますし、モンスターの再生も異常でした」
「俺もそう思ってた。まるで、誰かが“意図的に調整してる”みたいにな」
その言葉に、澪は眉をひそめた。
(誰かが……このダンジョンを操作している?)
ふと、かつて千堂葵が語った一言が脳裏を過った。
――「澪。ダンジョンは自然発生するものだけとは限らない。時には、誰かが“作る”ものもあるの」
(まさか……)
疑念を胸に、澪は再び駆け出す。
◆
次の階層は、まるで巨大な古城のような構造だった。 広大なホールにはステンドグラスから怪しく魔力が差し込み、空間全体が濃密な魔力で満たされていた。
「ここが……第八階層か」
澪は足元に広がる魔方陣に気づいた。 緻密なルーン、そして魔石によって稼働する魔力供給線――
「これは……人為的に構築された儀式陣……?」
「こいつは……ガチで誰かが管理してるダンジョンだな」
筒木が低く唸ったそのとき、奥の祭壇から影が動いた。
「見つけた」
黒衣をまとった男が姿を現した。 だが、その顔は人間のそれではなかった。
「お前は……“歪種”か……!」
「ようこそ。“氷華”……そして、“記録されざる者”よ」
その言葉に、澪と筒木の目が鋭く細められる。
敵の正体、ダンジョンの異常性――すべてが一つに繋がろうとしていた。
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