第9話「氷刃、砕けず」

ダンジョン第七階層、深部。


 氷気が未だ消えぬ戦場の余韻の中、澪はひとり佇んでいた。

 彼女の足元には、霧氷の花がいくつも咲き乱れている。


 「……まだだ」


 右手の刀を見つめる。

 先ほどの戦いで、自身の力不足を痛感したばかりだった。氷属性の魔力は確かに澪に応え、鋭く、冷たく、強く彼女を支えていたが――

 それでも、あの騎士型モンスターの猛攻を完全に退けるには至らなかった。


 (もっと、研ぎ澄まさなきゃ……)


 氷華というコードネームが与えられてまだ日が浅い。だが、その名に相応しい存在でありたいと、澪は無言で刃を見つめ続けた。


 そのとき――足音が、再び響く。


 割れた氷の帳の奥から、騎士型モンスターがゆっくりと現れた。

 氷槍に貫かれたはずの胴体を、魔力の糸のようなもので修復している。


 「……まだ、倒し切れてなかった」


 澪は刃を構え直した。呼吸を整える。

 自身の内部から湧き上がる新たな感覚を感じながら――


 「今度こそ……」


 氷の剣が、深く静かに澪の手で鳴った。


 ――戦闘、再開。



 騎士型モンスターは最初よりも鋭い踏み込みで突き込んでくる。

 刃と刃がぶつかり、氷の粉が爆ぜた。


 澪は防御を捨て、回避と斬撃に全てを傾けた。

 振るうたびに刀身が白く輝き、地面が霜に覆われていく。


 (私の魔力が……この空間と共鳴している?)


 澪の体内を巡る魔力が、地と連動し始めていた。

 氷が意志を持つように動き、モンスターの足を止め、攻撃を逸らす。


 「……行ける」


 一瞬の隙。

 澪は飛び込む。

 刀が光を放ち、まるで氷の翼を広げたかのように――


 「穿てッ!」


 澪の絶叫と共に、斬撃が放たれた。

 氷の華が舞う。

 その刹那、モンスターの胴体に白銀の閃光が走り、中心から粉々に砕けた。


 モンスターの断末魔が空気を震わせ、澪の足元に氷の破片が降り注ぐ。


 ……静寂。


 ようやく、戦いは終わった。


 澪は息を整え、崩れ落ちるモンスターの残骸を見下ろす。


 「もう、大丈夫……葵さんたちのところへ……」


 だが、すぐに遠くの地鳴りに気づいた。


 (戦ってる……誰かが!?)


 澪は振り返り、走り出した。

 戦いの中で確かに感じ取ったあの魔力の気配。

 仲間の危機に、ただただ体が動いた。



 筒木と白石の攻防は、泥沼のような持久戦へと変貌していた。


 白石の斧が地面を砕き、魔石の衝撃波が岩肌を吹き飛ばす。だが筒木はひたすらに冷静だった。


 「動きが単調だ、白石。魔石に頼りすぎると、身体はすぐ鈍る」


 「うるせぇ! 上から目線で語ってんじゃねぇよっ!」


 白石が咆哮し、怒りに任せて突進する。


 そのときだった――


 「そこまでです」


 冷たい声が響いた。周囲の空気が、一瞬にして凍りついたように張り詰める。


 氷の波が、地面を走った。白石の足元から、突如として巨大な氷柱が噴き出し、動きを封じる。


 「なんだ……? この魔力……」


 筒木が驚いたように振り返ると、そこに澪がいた。

 表情は無機質で冷ややか、だが、その奥に潜む熱――“怒り”が、空間ごと凍らせていた。


 「あなた……誰だ?」


 澪は白石へ刀を向けながら答えた。


 「澪です。臨時派遣された戦闘要員。あなたが……筒木さん?」


 「……ああ。だが、初対面で助けられるとはな。やるな、氷の少女」


 「氷華です。コードネーム、ですけど」


 そう言い放ち、澪は白石へ鋭い視線を向け直した。

 氷華の力が、彼女の周囲を冷気の嵐で包み込む。


 白石がわずかに怯んだ。


 (こいつ……本気で殺気を向けてきやがる)


 澪の瞳の奥には、過去の記憶がうごめいていた。

 傷ついた少女のまなざしが、今、戦場の剣士として宿っている。


 ――澪の一歩。


 それは、戦士としての第一歩でもあり、少女としての過去を超える決意でもあった。


戦いが終わった静寂の中、澪は周囲の冷気を収めると、静かに刀を納めた。  白石はその場で拘束され、特別隊の回収班が到着するまで身動きできないように処理された。


 「……初任務で随分と重たいのを回されたな」


 筒木が呆れたように言う。


 「ですが、ここで退く理由はありませんでした」


 澪の声は冷静で、だが芯が通っていた。  氷のように凛としたその在り方に、筒木は軽く口元を緩めた。


 「お前、名前は澪だったな。噂は聞いてたが、想像以上だ」


 「ありがとうございます……。けど、まだ私は――」


 そのとき、空間が一瞬だけ揺らいだ。


 「これは……?」


 ダンジョン全体が微かに脈動しているような感覚。  まるで、生きているかのように。


 「この反応、ダンジョンの“心臓”が動いたのか?」


 筒木が眉をひそめた。澪も氷の感覚を研ぎ澄ますと、階層の下層にかすかな“魔力のうねり”を感じ取る。


 「……行ってみますか?」


 「当たり前だろ。行けるか、氷華?」


 「はい。行けます」


 二人は視線を交わし、次の階層へのゲートに向かって駆け出す。  だが、階層移動の直前、澪はふと足を止めた。


 「どうした?」


 「……このダンジョン、何かおかしいです。魔石の密度も高すぎますし、モンスターの再生も異常でした」


 「俺もそう思ってた。まるで、誰かが“意図的に調整してる”みたいにな」


 その言葉に、澪は眉をひそめた。


 (誰かが……このダンジョンを操作している?)


 ふと、かつて千堂葵が語った一言が脳裏を過った。


 ――「澪。ダンジョンは自然発生するものだけとは限らない。時には、誰かが“作る”ものもあるの」


 (まさか……)


 疑念を胸に、澪は再び駆け出す。



 次の階層は、まるで巨大な古城のような構造だった。  広大なホールにはステンドグラスから怪しく魔力が差し込み、空間全体が濃密な魔力で満たされていた。


 「ここが……第八階層か」


 澪は足元に広がる魔方陣に気づいた。  緻密なルーン、そして魔石によって稼働する魔力供給線――


 「これは……人為的に構築された儀式陣……?」


 「こいつは……ガチで誰かが管理してるダンジョンだな」


 筒木が低く唸ったそのとき、奥の祭壇から影が動いた。


 「見つけた」


 黒衣をまとった男が姿を現した。  だが、その顔は人間のそれではなかった。


 「お前は……“歪種”か……!」


 「ようこそ。“氷華”……そして、“記録されざる者”よ」


 その言葉に、澪と筒木の目が鋭く細められる。


 敵の正体、ダンジョンの異常性――すべてが一つに繋がろうとしていた。

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