第8話「深淵に穿つ一閃」
空気が違った。肌に触れる冷気は鋭く、視界は薄氷が張るように揺らいでいた。
――ダンジョン最深部。
澪たち特別戦闘部隊は、ついにこの異界の核とも呼べる空間へと踏み入っていた。
「魔力濃度が……異常です」
玲奈が持つ解析端末がけたたましい警告音を立てる。数値は常識を越えて跳ね上がっていた。葵は澪の方へ視線を送る。彼女の額には細かな汗が滲み、呼吸が僅かに乱れていた。
「澪、大丈夫か?」
「……はい。問題ありません」
しかし、その言葉とは裏腹に、澪の体内を駆け巡る魔力は制御困難なほど活性化していた。
(この場所……何かが、私の魔力を刺激している)
澪は刀を握りしめた。刀身に薄く氷がまとわりつき、魔力の奔流がその輪郭をより鋭利に変えていく。
その時――空間が揺れた。
次の瞬間、天井から巨大な氷柱が無数に降り注ぎ、部隊を分断する。
「回避ッ!」
玲奈の叫びが木霊し、各員が散開。澪はとっさに転がり、背後の柱に隠れて難を逃れた。
その直後、目の前に現れたのは一体のモンスターだった。
白銀の鎧、漆黒の剣。姿形は人に近く、それでいて“異形”。紅い双眸が澪を射抜いた。
「……また、“騎士型”か」
このダンジョンには幾度となく現れていた。人の姿を模し、知性を持つかのように振る舞う戦士型のモンスター。
そして、今回は明らかに“格”が違った。
「私がやる」
澪は静かに告げると、刀を抜き放った。氷華の名がまだ無かった頃から共に在ったこの武器が、今、冷気を纏って唸りを上げる。
――第一の斬撃。
モンスターがその太刀を受け止めた刹那、地面が割れた。
「は……っ!」
衝撃で吹き飛ばされながら、澪は受け身を取り、距離をとる。
(まだ……私は足りない。けど――)
澪は立ち上がり、呼吸を整える。背後には誰もいない。今、この空間で“奴”と対峙しているのは自分だけ。
「……ここで、終わらせる」
足元に魔力が集中する。霜の文様が地を走り、澪の足元から霧氷の花が咲いた。
◆
その頃、部隊とは別行動を取っていた補佐員、筒木慧(つつぎ けい)は、裏ルートからダンジョンの外縁を探索していた。
彼は元情報局出身の分析官でありながら、実地戦闘にも高い適性を持つ異色の人物。年齢は三十代前半、無精ひげに乱れた前髪、普段は飄々としているが、戦場では冷徹な判断を下す冷静な観察者だ。
「……こっちのルートにも“あの痕跡”があるか」
魔石に似た光を放つ結晶体が壁面に残されていた。それは通常のモンスターが残すものとは異なり、ある“人為的痕跡”を思わせるものだった。
「実験体か……まさか、またやってるのか? 人間の魔石適応実験……」
彼の目が鋭く細められる。
通信を開く。「こちら筒木。B区画南端、異常な魔力痕跡を発見。座標データを送信する」
葵の声が返る。「了解。余裕があれば、帰還前にサンプル採取を」
「それは……どうだかな。こいつら、まだ“動く”かもしれない」
視線の先、結晶体が微かに脈打つように輝いた。筒木は短剣を抜き、背後を警戒する。
「……誰かが、このダンジョンに“手”を加えている」
そう、彼は確信していた。
◆
――氷と鋼の火花が、深淵の静寂を裂いた。
澪の放つ氷刃は、異形の騎士に幾度も打ち込まれる。しかし、そのたびに厚い鎧が火花を散らして受け止め、反撃の太刀が澪の体勢を脅かす。
「くっ……!」
間一髪でかわした澪の頬を、騎士の剣が掠め、紅が一筋、氷の床に散った。
(反応速度が上がってる……このモンスター、学習してる?)
ただの強敵ではない。澪は直感していた。これはダンジョンに生きる“個体”ではない。人為的に――鍛えられた、何かだ。
――それが証拠に、騎士は人間の剣術に近い動きを見せる。
「だったら……!」
澪は構えを変える。師匠の戦技教官から習った、人間同士の殺陣を基盤とした技術。
「――氷裂・燕帰し!」
空間を切り裂くような踏み込みと同時に、刀が軌道を描いた。氷の衝撃波が斜めに走り、騎士の脇腹を抉る。
「……効いた!」
手応えがあった。ほんのわずか、だが確かに鎧の一部が砕け、そこから魔力の光が漏れた。
(いける……でも、あと何撃も入れないと……)
騎士は呻き声のような音を立てると、背後から盾を展開し、重々しい剣を掲げた。
――これは、防御ではない。必殺の構え。
「来る……!」
重力すら揺らがせるような剣の一閃が、澪の頭上から振り下ろされる――!
◆
一方、筒木慧はB区画の奥で、不穏な光景と対峙していた。
「……これは」
薄暗い空間に並んでいたのは、複数の魔石炉。そしてその周囲には、ガラスのカプセルが十数基。中には、意識のない人間が“収容”されていた。
「……やっぱりか。魔石適応実験……民間人を、ここまで使って……」
筒木は歯を食いしばる。
彼の脳裏をよぎったのは、かつて情報局で一度だけ耳にした“極秘プロジェクト”。ダンジョンの魔石を人体に適用し、戦闘力を向上させるという非道な研究。
廃止されたはずの計画が――いま、ここで続いている。
その時、背後で足音が響いた。
「誰だ……!」
筒木は即座に短剣を構える。姿を現したのは、フードを被った人影。
「……筒木さん、ですよね」
その声に聞き覚えがあった。数か月前に消息を絶った情報局の若手職員、白石だ。
「お前……生きてたのか! いや、それより、何でこんなところに……」
白石は苦い笑みを浮かべた。
「見ての通りですよ。僕も……ここに“捧げられた”一人です」
その言葉と同時に、彼の目が青く光る。魔石が瞳孔の奥に根を下ろしていた。
「やめろ、近づくな。お前……正気か?」
「……さあ。今は、どっちでもいいんですよ」
白石は静かに短剣を抜いた。
「ただ、ここから先は――通せません」
筒木は舌打ちする。
(完全に“適応済み”か。時間がない……澪たちが戦ってる今、ここで止まるわけにはいかない)
鋭く構え直し、口元を歪める。
「いいぜ。だったら、お前がどこまで“人間”やめたか、試してやる」
そして、影と影が交錯する戦いが始まった――。
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