第4話 真夜中のコーヒー
私はもう一度、レシピを読み返した。コーヒーそのものの作り方は記載されていない。ドリップでも、インスタントでも良い。そう書かれているだけだ。その代わりに、コーヒーを注ぐときの手順が指定されていた。その手順は赤色で描いた印の上にカップを置き、注ぎながら見たい未来を念じるというもの。そして、飲む前に呪文を唱えるように――と。
メモの端には印の見本が描かれている。それは魔法陣のようなものだった。円周には目の模様が並び、こちらをじっと見つめているかのように感じさせる。不気味で嫌悪感を抱くデザインに思わず身震いした。
大叔母さん、オカルトに興味があったのかしら。あの奇妙な家のインテリアといい、この怪しげな内容のメモ。どこか常軌を逸していると思わずにはいられなかった。
きっとおまじないの一種だろうな。親友の日和も、こんなのに夢中になっているし。中学生の頃、彼女から満月の次の日の朝露集めに誘われたことがある。早朝からたたき起こされ、眠い目をこすりながら付き合わされたあの日を思い出す。なんの効果があったのかは未だに知らない。今考えればばかげている。だが、このメモを見ていると、どうしてだろう。同じようにばかげたことを試したくなる気持ちが湧き上がっていた。
ちらりと時計を見た。夜中の12時になろうとしている。こんな時間にコーヒーを飲むなんて、どうかしている。眠れなくなるに決まっているし。それでも、すぐに試さずにはいられなかった。大叔母さんの日記を読んだせいだろうか。彼女の奇妙で新鮮な体験談が、私の好奇心をかき立てている。
足音を立てないように、そっと階段を下りる。一階は闇に包まれ、静寂が支配している。夜更かしをしている私を暗闇が誘うようだった。電気をつければ母が起きてくるかもしれない。それが怖くて、スマホのライトだけを頼りにキッチンへと向かう。
インスタントコーヒーを探しながら、棚からお気に入りのマグカップを引き出した。
湯沸し器のスイッチを押すと、ぐつぐつとお湯を沸かす音が響く。両親がこの音に気づいてしまうかもしれない。そんな不安が胸を締め付ける。
お湯ができるのを待つ間、部屋から持ってきた紙と赤いペンを取り出し、メモに描かれていた模様を慎重に再現していった。ペンが紙をこする音が、静かな暗闇の中で妙に不快に響く。暗闇のせいか、赤い線は血のように見えて不気味だった。それを意識しないようにしながら、丁寧に目玉を描きこんだ。
模様が完成した瞬間、湯沸し器の音が止まり、出来上がったお湯の知らせが耳に届く。不安と期待が入り混じったまま、私はゆっくりと息を吐いた。
魔法陣の上にそっとコップを乗せ、インスタントコーヒーの粉を入れた。湯沸し器から熱々のお湯を注ぐと、ふわりと漂うコーヒーの香りが暗いキッチンを包む。明日の未来……何を見よう。学校のこととかかな。抜き打ちテストがあるかどうかとか。そんな漠然とした考えが頭をよぎった。
「黒き知恵の雫よ。我が手の杯に潜み、時の帳を破り、未来の影を囁け」
呪文を唱える声が、やけに響いて自分の耳に届いた。
……まあ、何も起きるわけないよね。
こんな夜中にこんなことして自分でもばかばかしいと思う。それでも、どこかで期待している自分がいることを否定できない。
ふと手を止めたその時、視線を感じた。え? という言葉を喉の奥で飲み込む。震える手でコップを少しずらし、魔法陣を覗き込んだ。真っ赤な円の中、描かれた目玉の瞳孔が、私を見ている。
描いた時は確かに全て正面を向いていたはずなのに。今はどの目も、まるで私に焦点を合わせるようにこちらをじっと見つめている。
ドキドキと心臓の鼓動が止まらない。慌ててコップを握りしめ、不安を振り払うかのようにコーヒーを一気に飲み干した。
気がつくと、私は教室にいた。いつもの席に座り、ざわざわとしたクラスの空気を感じる。教師がプリントを配り始める。手元に置かれる紙を見ると、それは歴史のテストだった。一問、一問、脳裏に焼き付くように問題が浮かび上がる。全ての答えがわかったわけではないのに、妙に内容が頭から離れない。
はっとして目を覚ますと、そこは真っ暗なキッチンだった。立ったまま眠ってしまったのだろうか。冷たい空気が肌に触れ、震えが走る。手に持った空っぽのコップを見つめながら、私はぽつりとつぶやいた。
「あれが、明日の未来……?」
眠気はどこかへ消えていた。それどころか、頭が冴えすぎてじっとしていられなかった。リアルすぎる夢の光景に、おまじないが本物かもしれないと、体が興奮して震えているのがわかる。
証拠を隠すようにキッチンを手早く片付けると、私は自分の部屋に戻り、歴史の教科書を取り出した。夜が明けるまで勉強しよう。もちろん、さっき見たテストの範囲だけね。
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