第3話 大叔母さんの日記
「あ゛~づがれ゛だ~」
家の周りで座り込んだ男性陣から漏れる嘆きの声が響く。「お疲れ様」とお祖母ちゃんが手際よく用意したお茶を一人ひとりに配っている。疲労困憊した顔の親族たちは、無言でお茶を受け取った。
「俺はこれから、この大荷物を運ぶのか……」
おじさんはトラックを見上げて深く息をついた。
「大型トラックを運転できるのはあなただけなんだから。ほら、あと一息よ」
お祖母ちゃんがにっこり笑いながら、おじさんの背中を力強く叩いた。その音が乾いた空気に響く。
おじさんはげんなりとした表情で、「はいはい、頑張りますよ」と小さくつぶやきながら、仕方なく立ち上がる。その姿が何ともおかしくて、私は思わず小さく笑いそうになったが、慌てて口を閉じた。
おじさんがトラックに乗り込む直前、ふと何か思い出したように足を止めた。しばらくこちらを見つめた後、引き返してきて私の目の前に立つ。
「忘れるところだった」
そう言うと、おじさんが大きな本を私に差し出した。その本を目にした瞬間、私は思わず息を飲んだ。子供のころによく読んだ図鑑よりも遥かに大きい本だ。手に取ると、想像以上に重く、地面に落としてしまいそうになった。
「おっと、気を付けて」
おじさんが慌てて声をかける。私は本をしっかりと抱え直しながら、表紙に目を落とした。それはどこか古びていて、革のような質感が指先に伝わる。
革表紙の本は、ふちには細かい金色の模様が施されている。中央には、宝石のように光る石が埋め込まれていた。手に取った瞬間、その重さがずっしりと腕に響いた。
「澪ちゃんの友達、なんて子だったかな。ひよこちゃん?」
突然おじさんが思い出したように話を振ってきた。その唐突さに、私は少し驚いて顔を上げた。
「
「そうそう、日和ちゃん。あの子、確かオカルト部の子だろう? この本、その子にぴったりだと思って取っておいたんだ」
おじさんが革表紙の本を器用にめくり始める。中から現れたのは、見たこともない文字で書かれた文章だった。私は思わずそのページに目を凝らす。その文字はまるで異世界の言語のようで、読めそうで読めない。
さらにおじさんがページをめくると、イラストが飛び込んできた。それは奇妙で複雑な模様や生物の図解が並んでいて、どこか不気味だけれど目を引かずにはいられないデザインだった。
「内容はさっぱりわからないけどさ、ほら、イラストとか面白そうだろ? 確か澪ちゃんもオカルト部に所属してたよね」
おじさんが笑いながら続ける。
「こういう目玉があれば、新入部員も増えるんじゃないか?」
私は返答に困りながらも、本の重みとその中身にますます惹かれている自分を感じていた。
「目玉? じゃあ、これも澪にあげようかな」
私たちのやり取りを聞いていた従妹の
「何それ!」
思わず声が裏返る。拓斗はそんな私の反応を気にする様子もなく、にこにことおじさんそっくりの顔で笑いながら手に持ったものを差し出してきた。
「ん? 目玉。なんかカーテンのところにあってさ。見てよ、人間の目の他にも動物の目もあるんだよ。ほら、これとかヤギじゃない?」
拓斗が嬉しそうに目玉を指差す。彼の言う通り、瞳孔が四角い目玉が一つ混じっている。確かにヤギの目だ。いや、そんなことを確認している場合じゃない。
「……気持ち悪い」
心の中でそう叫びながらも、なぜか私はその目玉から目を離せなかった。拓斗が手渡してくるのを拒むべきなのに、気づけば私はその目玉を受け取っていた。
手のひらに乗せた瞬間、冷たくて硬い感触が伝わる。こんな気味の悪いもの、普通なら絶対に触りたくないはずなのに――なぜか目玉に引き寄せられるような感覚があった。もしかしたら、私は目玉に魅了されていたのかもしれない。
「ちょっと兄さん、澪に妙なもの渡さないでよ」
母が少し苛立った様子でおじさんに苦言を呈した。その声が静かな緊張感を生む。拓斗はゆっくりと後ずさりをしながらその場から逃げだしていた。
「そういうなって。それに、澪ちゃんは叔母さんが唯一気にかけていた子じゃないか」
おじさんは肩をすくめ、けらけらと笑いながら答える。その軽い調子が、なんだか少しだけ救いのようにも思えた。
「親戚の誰にも形見を受け取ってもらえないと、叔母さんも悲しむだろ」
そう言いながら、トラックへ逃げるように乗り込んだ。その言葉には不思議な説得力があった。私がこの目玉を手にしているのも、何か大叔母さんの想いを感じたからなのだろうか。
おじさんはエンジンをかけると、「じゃあ、あとはよろしく!」と軽く手を振り、さっさとトラックを発進させてしまった。遠ざかるトラックを見送る母のため息が、耳に残る。
「まったく、兄さんったら……」
母がぼそっと呟く横で、私は手の中の目玉に視線を落とした。触れる冷たさと不気味さ。それでも、どこか捨てがたい感覚がこの手から離れない。
家にたどり着いた頃には、すっかり夜が更けていた。葬式に家の片付け、信じられないくらい慌ただしかった。疲労が体中に染み込んでいるのがわかる。
お風呂に浸かりながら、ぼーっと今日のことを思い返す。大叔母さんとさよならしたなんて、どうしても実感がわかない。ただ、湯気の中で浮かぶのは彼女がくれたドリームキャッチャーや、不気味な目玉のことばかりだった。
お風呂から上がって髪を乾かし、やっとの思いでベッドに沈み込む。柔らかな布団が体を包み込むが、すぐに眠れそうにはない。心がどこか落ち着かない。
「そうだ、日記」
ふと思い出して、ベッド脇に置いたカバンを引き寄せる。革表紙の日記を引っ張り出すと、その重みが妙に頼もしく感じた。
私は布団に潜り込んだまま、じっと表紙を見つめた。ドキドキと心臓の高まりが止まらず、その音はどんどん大きくなる。この中に大叔母さんの人生がここにあると思うと、知らずにはいられなかった。そっとページを開く。ページをめくる指先に、少しだけ緊張が走る。文字の並びが柔らかく、何かを語りかけてくるようだった。
「大叔母さん、いろんなところに旅行していたんだ……」
日記に記された旅の思い出や、土地の名前を目で追ううちに、私の中の彼女のイメージが少しずつ塗り替えられていく。知らない場所や、経験がたくさん詰まっている――そんな大叔母さんの人生に、私はもっと触れたくなった。
私は大叔母さんの日記に夢中になっていた。ページをめくるたびに彼女がどんな人だったのか少しずつ分かっていく気がする。
日記の中の大叔母さんは、想像していたよりもずっと明るく、活動的な女性だった。好奇心旺盛で、いろんなことに挑戦している姿が目に浮かぶ。
「登山のついでに滝修行!?」
思わず声を上げる。次のページをめくるとさらに驚きが飛び込んでくる。
「毎年、毒蛇の捜索会をしていたなんて……」
その内容に突っ込みを入れずにはいられなかった。毒蛇を探すって、何が目的だったんだろう。笑いながらも、大叔母さんの行動力に圧倒されそうだった。
そして、次のページを開いたときだ。そこに書かれていた内容は、これまでの文章とは違う何かを感じさせた。手書きのイラストが目に入り、文章の雰囲気も変わっている。日記というより、どこかメモのようなものだ。そして、タイトルが書かれていた。
「なにこれ……明日の未来を見るコーヒーの作り方?」
思わずページを凝視する。それはどうやらレシピだった。材料と手順が書かれている。そして、メモの最後には、丸で囲んで強調された文章が書かれていた。
**黒き知恵の雫よ。我が手の杯に潜み、時の帳を破り、未来の影を囁け**
――と
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