第2話 奇妙な家

「うわっ」


 誰かが声を上げた。私も目の前の光景に息をのんだ。


 家の中は想像を超えていた。ツルと木の根が壁を覆い、まるで自然が部屋そのものに侵入しているかのようだ。


 天井を見れば目玉だらけの照明が部屋を赤く照らしている。目玉と目が合った気がして慌てて目をさらすと、キノコが密集した木製のテーブルとイスに視線が奪われた。部屋の中にあるというのに、じっとりと湿っているようで、座りたいという気すら起きない。さらに、食器棚には錆びだらけの鉄製の食器が並んでいるのが見えた。


「なんで姿見鏡が二つもあるんだ? しかも合わせ鏡だ」


 親族の一人が不信感を込めてそう言った。私はその視線の先を見る。大きな姿見鏡が部屋の奥で互いに向き合うように置かれている。それぞれの鏡が無限の映像を作り出していて、吸い込まれそうな感覚を覚えた。


「気味の悪い趣味だな。まるで魔女の家みたいだ」


 別の親族がそう言った途端、背中に寒気が走った。魔女――まるでこの家がその言葉と完全に一致しているような雰囲気だ。


 ざわざわとした中、突然「パンッ」と乾いた音が響いた。私は驚きつつ視線を向けると、おばあちゃんが手を叩いて場を注目させていた。


「これは姉さんからの遺言なの」


 おばあちゃんの声は、いつもより冷静だ。それが逆に鋭く響く。


「なにかあったら、ここにある荷物は全部処分してほしいって。それも早急に。本当はもっと早くこうするべきだったけど……それが今日よ。さ、早く早く」


 遺言。処分。頭の中でその言葉がぐるぐると回る。みんなが急かされるように動き始める中、おじさんが渋い顔で声を上げた。


「なんで俺にトラックのレンタルをお願いしたのか謎だったけど、まさか今日一日で全部とか言わないよな?」


 おばあちゃんがすかさず応える。


「そのまさかよ。ほら、頼りにしているわよ」


 明るく言う声に、どこか無理やりな勢いを感じた。おじさんは肩を落としながら深くため息をつく。


「まったく……。まあ、やるしかないか」


 おじさんは背中を叩かれて、しぶしぶ動き始めた。


「澪、手伝って」


 ぼんやりと光景を眺めていた私に母の声が飛んできた。その瞬間、ぐっと現実に引き戻されたような気がした。


 リビングでは親族の男性陣が、大きな家具を次々と運び出していた。人の出入りが激しく、目の前で動き回る彼らを見ているだけで息苦しくなるようだった。


(邪魔にならないようにしなきゃ)


 そう考えて、私は一人で大叔母さんの寝室に足を向けた。寝室の扉を押し開けると、壁を突き破る木の根が視界に入ってきた。何度見ても、この家の奇妙さには慣れない。


 床に散らばった細々とした小物を袋に入れ始めたが、ふと、目に留まったものがあった。ベッドサイドに吊るされているそれを見た瞬間、手が止まった。


「ドリームキャッチャー……」


 思わず声が漏れる。私の部屋にあるものと全く同じだ。


 どうして、大叔母さんはこれを私にプレゼントしたのだろう? 従妹たちに聞いても、みんな大叔母さんから何かもらったことはないという。このドリームキャッチャーが、私と大叔母さんを繋ぐものだと思うと、捨てるなんてとてもできなかった。


 そっと元の場所に戻しながら、心の中で静かに何かが動いているのを感じた。そして気づけば、片付ける気持ちが薄れ、部屋を探る方向へと意識が切り替わっていた。


 ベッドに腰を掛けて、横にある引き出しを引く。中から出てきたのは古い革表紙の本だった。なんだか、時間の重みそのものがそこに詰まっているような気がした。


 何気なく、その本をパラパラとめくる。中には手書きの文字がびっしりと並んでいて、言葉がどことなく大叔母さんの気配を感じさせる。


「これ……日記だ」


 私は呟いた。


 人の日記を勝手に読むのは気が引ける。でも、大叔母さんがどんな人だったのか、彼女の正体に迫りたいという好奇心が抑えきれなかった。私はページをめくり、一つの文を読み始めた。


『今日は友達と鍋パーティーをした』


「え、大叔母さんに友達!?」


 思わず声を上げてしまった。大叔母さんに友達がいたなんて、想像もしていなかった。日記の中のその一文が、私の頭の中でぐるぐると回り続ける。


「澪、どうしたの? あら、手が止まっているわよ」


 母の声が部屋に響いた。振り返ると、心配そうな顔でこちらを見ている。慌てて日記を閉じたけれど、母の目は鋭い。隠そうとする私の動きにすぐ気づいた。


「なに、そのボロボロの本」


 母の視線が日記に注がれる。ごまかしても意味がないだろう。私は正直に答えるしかなかった。


「あー、大叔母さんの日記みたい」


「ふーん、掃除サボって人の日記を鑑賞ですか」


 母の目が冷たく光る。いいご身分ね、と言いたげなその表情に、私は居心地の悪さを感じた。


 遠くから男性陣の苦しそうな声が聞こえてくる。汗水たらして家具を運び出している人たちを差し置いて、のんきに日記を読んでいる私は確かに怠け者だ。


「ちょっと休憩してただけ。ねえ、お母さん。この日記ってもらってもいいかな」


「日記を? それはお祖母ちゃんに聞きなさい」


「わかった」


 母の言葉にうなずきながら、私はベッドから降りて日記を手に取った。心の中ではまだ、大叔母さんの友達という存在が気になって仕方がない。作業に戻るふりをしながらも、頭の中は日記の内容でいっぱいだった。

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