第6話 ピンポーン
ふわふわと、どことなく体が浮いている感覚がする。それでも地に足が着いているのだから不思議なものである。
「聞いているかい?」
その時、そんな声掛けが俺の耳に届いた。そちらに視線を向けると、そこには白銀の長髪を靡かせた小柄な女性が立っていた。
「私としては、君には高校に行って欲しいんだけどね。軍事学校じゃなくて、普通の」
その懐かしい声を聞いて、俺は心の中で多大なる安心感を覚えていた。
この人は、俺の母親だ。といっても血は繋がっていない。義理の親というやつだ。そして、俺をここまで生かしてくれた命の恩人であり、技を教えてくれた師匠でもある。
「無理な話だよ。アンタが俺をこの世界に引きずり込んだんだろ」
これは、中学一年の秋頃の話だったと思う。この頃の俺は今よりも不安定で、今思えば彼女にとても迷惑をかけただろう。
訓練場のようなところで寝転がる俺の頭を撫でて、彼女は優しく微笑んだ。
「それもそうなんだけどね。親心としては、普通に生きて欲しいわけさ」
「なんだそれ」
懐かしい。常に冷静で、落ち着いた物腰の彼女の声色が懐かしい。冷徹そうに見えて心優しい彼女に頭を撫でられるのが懐かしい。彼女と過ごした時間の全てが懐かしい。
またこの人と同じ時を過ごしたい。そう、素直に思った。
刹那、場面は入れ替わり、気づけば俺達はどこかの基地のような所にいた。
ボロボロになった建物の中で、俺の頭を膝に乗せて優しく撫でている女性。その光景を見て、俺は一瞬にして思い出す。
そうだ。そんな思いは叶わない。そして願うことすら許されないのだ。
なぜなら、俺はこの人を───
「──ッ!?」
そこで、俺は目を覚ました。
バクバクと心臓が強く跳ね、変な汗が滝のように溢れている。どうやらあの夢は俺にとって悪夢と同類のようなものだったらしい。
……いや、実際には最後のあの光景がトラウマなんだろう。意識がハッキリしている今ですら平静を取り乱してしまいそうになる。
「……くそ」
頭をコンコンと叩きつつ、ベッドから起き上がる。きっと今日はもう寝ることが出来ない。スマホの電源を付けて時刻を確認すると、起床する時間よりだいぶ早いときた。
どうしたものか、と少し悩んだ結果、筋トレをして気を紛らわすことにした。
実は我が家には筋トレ専用の部屋がある。分かりやすく言うなら、簡易的なジムのようなものだ。これは俺がこの家に来た当初からあるもので、俺は筋トレをする時にはここに篭っている。
気分をリフレッシュするには運動が一番である。これは俺の母親の考えだ。
そうして、特にメニューとかは組まずに、気の向くままに筋トレに勤しんでいると、突然インターホンが鳴り響いた。
時刻を確認すると、起床時刻の少し後……つまり家を出る時間より少し早いくらいだ。
こんな時間に何の用だ? と疑問に思った俺は、汗だくのまま外に出る。何かあっても簡単に対処ができるし、面倒なためインターホンのモニターとかは使わない。
「おはよっ!」
「……なんの用だよ」
少し重たい扉を開けると、そこには最近毎日見るようになった顔が居た。
「一緒に学校行こうかなと……ってなんでそんなに汗だくなの?」
「気にすんな。暇つぶししてただけだ」
困惑の声を上げる彼女に、説明が面倒くさかったので適当に流しておく。
「一緒には行かねえぞ。まだ行かねえし」
いつも起きる時間でも十分に余裕があるのに、それよりも早く出るわけがないだろう。
「じゃここで待ってるよ」
「ん、好きにしろ」
俺に慈悲というものはないので、そう言われてしまえば仕方がない。ということで無慈悲にも扉を勢いよく閉じたのだった。
それからシャワーを浴びるべく風呂場へと移動する途中、スマホの電源を付けてとあるアプリを起動する。
実はこの家の玄関には監視カメラのようなものがある。それをスマホで見れるようにしているのだ。
どうせもう居なくなっているだろう、という浅はかな考えの元なんとなくで確認してみると、なんと玄関の目の前で彼女が座り込んで待機していた。
いや怖いわ。何してんだコイツ。
「……何してんだよ」
その映像を見た俺は急いで踵を返して玄関へと帰ってきていた。
「あえ、待ってるって言ったじゃん」
俺が扉を勢いよく開けたことで驚いたのか、彼女は少し目を見開いてキョトンとした顔で俺の顔を覗き込んできた。
「素直に外で待つバカが居るかよ」
「ここに居るけど」
「……そっすね」
当然のように自身を指差した彼女に言葉を詰まらせてしまった。
こいつはなんなんだ。本当にバカなのか。これで二人目である。思考が理解出来ない人と会ったのは。
「……待つなら入れ」
「いいよ? ここで待つし」
なんでここは素直じゃないんだよ。というツッコミが喉元まで上がってきたが、なんとか堪える。
「俺はそこまで人の心が無いわけじゃねえよ。それに変な噂立つから。入れ」
俺の家は在り来りな住宅街にある。つまり、それなりに家の前を近所の人が通るというわけだ。
そんなとこでこんな目立つ女を座らせてみろ。一瞬にして「摩天さんが特殊性癖に目覚めてしまった」なんて変な噂が立ってしまうだろう。……そこまでではないにしろ、何かしら面倒事になるのは確実だ。
「それじゃあ、お邪魔します」
ここにきて彼女は謎に申し訳なさそうな顔をして、我が家に足を踏み入れた。
何故人の家に入ることは躊躇するのに人を荷物持ちとして連れ回すことは躊躇わねえんだよ。というツッコミもしないでおこう。
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