夢の中の私

 ──またあの夢だ。


 最近、同じ夢を何度も見る。


 見知らぬ町の夢だ。


 しかもそれはいわゆる『明晰夢』というやつで、夢の中で私は自分の意志で自由に行動することが出来る。『自由』といっても、空を飛んだり動物に変身したりなんてことは出来ない。あくまでも、現実の物理法則に則っての『自由』だ。


 こんな夢は三十年余り生きてきて今まで見たことがなかったし、そもそもあまり夢を見る方ではない。なので、初めのうちはどことなく恐怖すら抱いていた。『夢の中でここが夢の中だと認識していて自由に行動することが出来る』という状態は私の理解を超えていた。まるで異世界、異空間に迷い込んでしまったような感覚である。だから初めて見たニ月前のあの日、私は若干パニックになってしまい、夢の中で自らを殴打することで無理やり目を覚まさせたのだった。目が覚めると、当たり前だが、自分のベッドの上にいた。安心すると同時にもう一度眠りにつくのが恐ろしく、目覚めたのはまだ深夜だったが結局朝まで起きていた。


 あれ以来、だいたい週に2、3回くらいのペースで同じ夢を見ている。3度、4度と見るうちに、さすがにだんだんと慣れてきた。5回目くらいでようやく家──どうやら夢の世界の私の自宅らしい──から出て、町の中を探索する勇気が出た。


 町の景色に見覚えはなかった。私の家は住宅街の一画にあるようだった。町の中を歩いている人は少ないがおり、話しかければ一応返事はしてくれる。『一応』というのは、『ここは夢の中なのか』とか『あなた達は何者なのか』とか彼らからすればメタ的といえる質問をすると「わからない」としか応えてくれないからだ。まるでゲームのNPCのようだな、と感じた。


 公園では子供達がボールを追いかけて、大きな声で駆け回っていた。懐かしいな、と感じた。私が子供の頃はこんな風に公園で遊び回ったものだが、最近の公園はボール禁止だったり、あまり大きい声を出していると近隣住民から苦情が出たりと窮屈な感じがする。娘が小さい頃は私も連れて行ってあげたが、小学生になった去年くらいからはすっかり行くことがなくなった。現代のガチガチに縛られた公園ルールは、小学生が思いっきり体を動かすには厳しすぎるからだ。だが、この夢の世界にはそんな厳しい公園ルールは存在せず、子供達はひと目を気にせずのびのびと遊ぶことが出来るようだ。この様子を娘が見たら、何を思うのだろうか。


 町はそこそこの広さがあり、住宅以外にも図書館や学校(小中高どれなのかは書かれておらずわからない)、ゲームセンターなどけっこう色々な建物が見られた。スーパーも1軒あり、中には買い物客もいるが実際に買い物は出来なかった(店員にいくら話しかけても「いらっしゃいませ」しか返してくれなかった)。


 町は四方を川で囲まれている。何本か橋もかけられているが、橋の途中に見えない壁があって渡ることは出来なくなっている。こういったところもまるでゲームのようである。


 私は夢の中では公園で遊ぶ子供を眺めたり、図書館で本を読んで過ごした。仕事に家事、子育てに追われる現実世界での毎日と比べると、ここでの時間はとても穏やかで、だんだんと私はこの夢を見るのが楽しみになってきていた。


 先日また同じ夢を見たので、私は自分の家の中を色々調べてみることにした。わかったこととしては、私は何処かの会社に勤めているらしい。確かに、夢を見るたびに「私にはここで何かするべきことがある」という漠然とした思いは感じていた。それを無視してのんびり過ごしていたが、実は毎度毎度、仕事を無断欠勤していたのかも知れない。とはいえ会社は町の外──川の向こうにあるらしく、そうなると行きようがない。夢の中の私には申し訳ないが、無断欠勤やむなしである。ちなみに、それ以上の情報は得られなかった。


 現実世界のベッドから起き上がった私は身支度を整え、朝食の用意をすべくキッチンへと向かった。トースターに3人分の食パンを放り込んだ私は、フライパンで玉子を焼きつつ自分の分のコーヒーをカップに注いだ。そして、ぼんやりと昨夜の夢を思い出す。


 昨夜の夢は、少し変化があった。


 図書館へ向かう道の途中で、見知らぬ男を見かけた。初めは他の住民と同じような、自由意思を持たない『NPCキャラ』的な存在かと思った。しかし近づくにつれ、あくまでも感覚的にだが、その男が自由意志を持っているような気がして、思わず横道に隠れてしまった。男は私に気付いていないようだった。どきどきと高鳴る鼓動を落ち着かせながら、私は男の様子をこっそり観察した。男はキョロキョロと何かを探しているような素振りでゆっくりと歩いていた。うっすらと浮かべた笑顔が、どことなく不気味だった。


 何故か、男は私を探しているのだと思った。


 理由はわからない。あくまでも直感的なものだ。


 その後、私は男に見つからないよう大回りをして図書館へと逃げ込んだ。図書館なら静かで足音も目立つので、男が追ってきたとしてもすぐに気付けると考えたからだ。ただ今思えば、寝不足覚悟で無理やり目覚めてしまえば良かったかも知れない。あの時は動転して思い至らなかった。


 男の顔を思い出してみる。少なくとも現実世界では見たことのない男だ。でも……どうやら夢の中の私はあの男を知っている気がするのだ。あくまでも感覚的なもので、確信はない。ただ……。


 あの男とは、接触しない方が良い気がした。


(イヤだな……)


 せっかく最近は慌ただしい日常のちょっとした癒しとして、あの夢を見るのを楽しみにさえしていたのに。イヤなノイズが紛れ込んでしまった。また次の夢でも、あの男は町の中に現れるのだろうか。もし、出会ってしまったら……私はどうなってしまうのだろうか。


 ふと、夢の中の自室にナイフがあったことを思い出した。


 …………いや、いけない。私は何を考えているのか。


 背後でトースターのタイマーが小さく鳴った。私は黒い感情を熱いコーヒーで流すと、無理やり自分を現実世界へ引き戻した。


 今日も慌ただしい一日が始まる。

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