第23話 沈黙の内側で崩れろ
柊司敬一。
颯太を殺した男。
その名は、依然としてニュースに出続けていた。
「次期内閣安保戦略会議長官に内定」
「経済界からも高評価の声」
「強行策に批判もあるが、彼なら任せられる」
まるで、あの日の事故など無かったかのように。
ぼくの中に、“確かな違和感”がずっと残っていた。
彼は――何ひとつ、悔やんでいない。
心のどこにも、罪が存在していない。
ぼくは、思った。
「ならば、その“心”から壊すしかない」
直接の死ではない。
だが、魂を揺さぶることなら、ぼくにもできる。
死神は、魂の震えに最も敏感な存在。
だからこそ、ぼくには“見せること”ができる。
彼の罪。
彼の過去。
彼の踏み潰した命を――
最初に仕掛けたのは、夢だった。
ある夜、柊司の夢の中に、颯太の姿を現した。
制服姿で、何も言わず、ただ黙って立っている。
次の夜も。
その次の夜も。
彼は口には出さなかったが、明らかに変わり始めた。
朝の食欲が落ち、医師に相談し、睡眠薬の量が増えた。
だが、夢は止まらない。
ぼくが止めない限り、永遠に繰り返される。
ある朝、彼は鏡に映る自分を見て、呟いた。
「……何が、そんなに、見ている」
その言葉に、ぼくの心がわずかに揺れた。
「まだだ。お前は何も感じていない」
次に仕掛けたのは、幻聴。
颯太の笑い声。
靴の音。
制服の袖がこすれる音。
会議中にも、記者会見の控室でも、不意に聞こえる。
彼は気配を感じ、何度も振り返るようになった。
部下たちは困惑し、医師は「ストレス性の一過性幻聴」と診断した。
それでも、彼は黙っていた。
一度たりとも、「あの事故」については語らない。
ぼくは苛立った。
「どうして、そこまで“自分を守る”ことに必死なんだ?」
人の命を奪い、すべてをねじ曲げてまで生き延びた男が、
今もなお、自分の内側を閉ざしている。
ぼくは、最後の手を使った。
“手紙”。
颯太の名を使って、匿名で届いた手紙。
差出人不明。
内容はただ一言。
《あのとき、あなたは見ていた。僕を、殺したんだ。》
手紙を読んだ彼の手が、一瞬だけ震えた。
それを見たとき、ぼくはようやく「勝った」と思った。
だが――その直後。
彼はその手紙を無言で燃やした。
何も言わず。
何も見せず。
ただ、灰にして、捨てた。
ぼくは、崩れた。
「これだけのことをしても、こいつの心は壊れないのか……」
もはや人ではない。
罪を認識することすら、拒絶している。
「……これが、人間というものか?」
ぼくは、死神でありながら、初めて“絶望”という名の沈黙に立ち尽くした。
夜。
Aがまた現れた。
「お前、限界だな」
ぼくは、うなだれていた。
「精神を壊すのは、死神の仕事じゃない。
それでもやった。
それでも届かない」
「それでも届かないのが、“罪の構造”ってやつだ」
Aの声には、いつになく重みがあった。
「お前のやってることは、もはや“導き”じゃない。
“呪い”だよ」
ぼくは、その言葉に息を呑んだ。
たしかに、そうかもしれない。
ぼくの行為は、救いではなく、呪いに変わっていた。
「……じゃあ、どうすればよかったんだ」
ぼくは呟いた。
「見てるだけじゃ、誰も救われない。
手を出しても、罪を認めない。
じゃあ、ぼくらは何をすればいい?」
Aはしばらく沈黙し、ひとつだけ言った。
「……“お前が変わる”しかないんじゃないか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます