第20話 その死を、誰が決めた

彼の名前は、日野颯太。

十七歳の高校生。

部活は陸上部。成績は平均、性格は穏やか。

笑うと目尻にしわが寄って、先生にも後輩にも愛されていた。


妹の誕生日ケーキを手に帰宅する途中、

青信号の横断歩道を歩いていた彼を、猛スピードの黒い車が跳ね飛ばした。


運転していたのは、政府関係の高官。

その場には無言でスーツの集団が現れ、事故現場を封鎖。

記録は改ざんされ、ニュースではこう報道された。


「高校生、精神的不安からの自殺か」


それを見た瞬間、ぼくの胸の中で何かが、ひび割れた。


「……見たか?」


あの日の夜、ぼくは死神Aを呼び出した。


空は曇っていた。

湿気を含んだ風が、どこからともなく吹いていた。


Aは煙草に火を点け、煙をゆっくり吐き出した。


「見たよ。最悪だったな」


ぼくは答えなかった。

ただ足元のアスファルトを見つめていた。


「不条理ってやつだよ。人間社会じゃ、よくあることさ」


その言葉に、胸の奥が少しだけ疼いた。


「……そうやって割り切れるの?」


「割り切らなきゃ、死神なんてやってられないだろ」


Aはため息をつくように言った。


「君ももう長いだろ。

ああいう“処理”の死、いくつも見てきたはずだ」


「それでも……」


ぼくの声は、小さかった。


「それでも、あの子は“死ぬべきじゃなかった”」


「死ぬべきじゃなかった……?」


Aが眉をひそめる。


「君、またそうやって“良い死と悪い死”を分けるつもりか?」


「分けてるんじゃない。

見てきたんだ。

あの子がどう生きていたか。

誰かのために、どれだけ日常を積み重ねていたか。

それを全部――たった一文の報道で塗り潰されたんだよ」


Aは煙草を足元で踏み消した。


「人間社会ってのは、そういうもんだ。

立場があれば、責任は薄まる。

真実より都合が優先される。

君が今さら驚いてどうするんだ?」


「驚いてなんかいない。……怒ってるんだよ」


ようやく、ぼくは言葉にした。


「何もかもが無かったことにされて、彼の人生が“雑に終わったこと”に、腹が立ってるんだ」


「でもそれが現実だ。

誰もが綺麗に死ねるわけじゃない。

君だってわかってただろ? 人間なんて、不条理の塊だ」


「だからって、認めてたまるか」


ぼくの声が、少しずつ熱を帯びていった。


「死は平等であるべきだ。

あの子の命が、誰かの保身のために歪められていいはずがない。

ぼくらは、その“終わり”にだけは、正しさを持たせるために存在してるんじゃないのか?」


Aは目を伏せ、何も言わなかった。


「ぼくは今まで、たくさんの死を見てきた。

どれも簡単に割り切れたわけじゃない。

けど、少なくとも“本人にとっての救い”がそこにあるようにって願ってきた。

それなのに、今回のこれは……!」


声が、震えた。


「本人は何も言えず、魂だけが残された。

その魂の叫びすら、聞こえないふりをされて……

それでも、ぼくたちは傍観していればいいのか?」


「……それが、死神の役割だろ」


Aが静かに言った。


「神は裁かない。ただ見守る。

そこに怒りを差し挟むのは、君自身のエゴだ」


ぼくは、拳を握った。


「……それでも、許せない」


「許せないなら、どうする?

君は死期を弄るのか?

“平等”という名の刃を振りかざすのか?」


Aの声は、どこか哀しげだった。


「それができるなら……そうしたいと思ってる」


ぼくははっきりと答えた。


夜の空気が、ずしりと重く沈んだ。


Aはしばらく黙っていた。

やがて、静かにこう言った。


「……君がどこへ行こうとしてるのか、わかった。

でも、これだけは言っておくよ。

その先には、誰もいない。

死神は孤独だから、神なんだ」


ぼくはうなずいた。


「わかってる。

でも、それでも一人で行く。

この怒りを抱えたまま、“正義じゃない正しさ”を求めるために」


あの夜、ぼくは決めた。


もはやただの観察者ではいられない。

死神としての枠を超えてでも、この死に意味を与えたかった。


怒りは、まだ収まらない。

でも、この怒りこそが、彼の“記憶”になるなら――


それでいいと、今は思える。

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