第3閑話 その人だけの終わり方
ぼくは、再びあの部屋にいた。
観察窓の前、光のない世界で、ひとり座り込む。
病院での五人の死を、すべて見届けた。
言葉をかけず、告げず、ただ見守った日々。
その中で、ぼくは多くの“生”と“死”に触れた。
末期がんの女性が、死の準備を整えて静かに去っていく姿。
意識不明の青年が、家族の選択で穏やかに旅立ったこと。
ささやかな日常のなかで、突然命を絶たれたサラリーマン。
自分の過ちも含めてすべてを受け入れて逝った老年の男。
不条理に奪われた命に、誰もが怒りも悲しみも抱えきれなかった出来事。
どれもが違った。
どれもが、“その人だけの”終わり方だった。
「死の告知」は、必要だったのか?
ぼくは、今でも答えを出せないでいる。
あの五人の観察を通して確信したのは、
“死を知らなくても、人は自分の死を準備できる”ということだった。
けれど同時に、それは必ずしも“美しい死”ばかりではない。
怒りも、悲しみも、不条理も、そこにはあった。
だからこそ――
「ぼくの告知の仕方は、一辺倒すぎたのかもしれない」
ぼくはつぶやいた。
死神Aが現れたのは、そのときだった。
「また、自問自答かい?」
「……見てた?」
「まあね。ぼくらは結局、見ることしかできないからさ」
ぼくは、Aの隣に腰を下ろした。
「ねえ、A。
“死の告知”って、必要だと思う?」
Aは少し考えてから言った。
「正直、わからない。
ただ……“伝える”ってことは、常にリスクを伴うってことだ」
「それでも……どうしても伝えたくなるときがあるんだ。
死を知ることで、何かが変わるかもしれないって思ってしまうんだよ」
Aはゆっくり頷いた。
「それは、君が“信じてる”ってことだ。
人間は死を恐れる。でも、同時に“死に備える”ことで、何かを残す生き物でもある。
そのバランスが崩れるか整うかは……ほんとに、人それぞれなんだろうね」
ぼくは思った。
“すべての人に告げる”のではない。
“この人には告げるべきだ”と感じたとき、その直感に責任を持てるようになりたい。
そのためには、もっと、人間を知らなくてはいけない。
もっと、“人間として生きてみなければ”ならない。
「……ぼく、人間界に行こうと思う」
Aが目を丸くした。
「は?」
「死神の姿じゃなく、“人間の姿”で。
人の社会の中に入り込んで、見て、触れて、感じて……
本当に人に寄り添うために、もっと近くにいたいんだ」
しばらく沈黙のあと、Aは言った。
「……本気で言ってる?」
「うん。これは、ぼくの“勉強”の続きだから」
Aは大きくため息をついた。
「やれやれ……ほんとに面倒くさい奴だな。
でもまあ、そういう君だからこそ、できることがあるのかもね」
新しい観察は、次の場所へ――
“人間として”の観察が、今、はじまろうとしていた。
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