第8話 あと一年、やりたいこと全部

彼は、エネルギーの塊みたいな人だった。


名前は関口。三十七歳。

広告代理店に勤める、いわゆる“バリキャリ系”の営業マン。

毎日深夜まで働き、酒と人付き合いに忙しく、休日もジムと投資と異業種交流会。


人生を“フル稼働”させていた。


でも、その目はいつも少しだけ、焦っていた。


「いつか、やりたいこと全部やってから死にたい」


口癖のように言っていた彼に、ぼくは一年後の死を告げることを選んだ。


彼のような人こそ、その言葉に本気になれると思ったから。


夢の中で告知したとき、彼は沈黙し、数秒ののち、笑った。


「……マジか。でも、悪くないな。いいタイミングかも」


ぼくは少し驚いた。


「あなたは……恐ろしくないんですか?」


「怖いよ。でも、それより“やってないこと”の方が多すぎてさ。

ここで何もしないで死ぬ方が、もっと怖い」


彼はその場で拳を握り、まるで大きなプロジェクトを任されたようなテンションで言った。


「よし、やるぞ。“死ぬまでにやりたいことリスト”、今すぐ作る!」


その翌日から、彼の生活は激変した。


まず、会社を辞めた。

上司に“意味深な言葉”を残して、華やかに退職。


その足で高級車を一括購入し、実家の両親に海外旅行をプレゼント。

親友と酒を飲みながら「来年の今頃にはもういない」的なことをぼかして話し、

その晩には自宅でバケットリストを書き上げていた。


・世界遺産を10カ所巡る

・スカイダイビング

・子どもの頃の初恋相手に手紙を書く

・1週間、無人島でサバイバル

・小説を書く

・本当の愛を見つける


リストはどんどん増えていった。


そして彼は、本当にそれを“実行”し始めた。


旅行、イベント、趣味、体験、恋愛……

一つ一つ、全力で挑戦した。


SNSには写真があふれた。

「人生でいちばん濃い時間を生きてる!」

そう書き込んでいた彼の笑顔は、確かに生きていた。


だが、半年を過ぎたころ。

彼は、静かに消え始めた。


資金が尽きた。

手持ちの預金、退職金、株も使い果たし、リストの半分すら達成できていなかった。


仲の良かった人々も、彼の熱量に疲れ、少しずつ離れていった。

恋も失敗し、無人島サバイバルは天候トラブルで中止になり、小説は一行も書けずに放置された。


「俺、何やってんだろうな……」


部屋の隅で、彼は呟いていた。


死の1週間前。

彼は唯一、消さずに残していたSNSにこう書いた。


《何かを達成しないと、死ぬ意味がないと思ってた。

でも今は、達成できなかったことが重くのしかかってる。

人生って、こんなに不完全なまま終わるもんなのか。》


彼は最後、自宅のベッドでひとり、ひっそりと死んだ。


華やかだったSNSの最終投稿には、3つの“いいね”がついていた。

そのうち2つは、見知らぬアカウントだった。


ぼくは彼の魂を迎えにいったとき、

その部屋の静けさが、妙に印象的だった。


彼は全力で「死を意識して生きた」。

それでも、“足りなさ”と“虚しさ”に覆われた。


ぼくの胸に、またひとつ問いが積もった。


「死を知ることで、人は本当に救われるのか?」


それでも、答えはまだ出ない。


ぼくはただ、魂を抱いて、何も言えないまま空を見上げた。

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