拒絶編

第6話 理想の死に方

彼は、とても「きれいに死にたい」と思っていた。


名前は水谷。四十六歳。

IT企業で新規事業部の部長。

スマートで、論理的で、整った暮らしを好むタイプ。


「終活? それ、まだ早いでしょ?」

と笑っていた彼が、実は“死”に強いこだわりを持っていたことは、観察してすぐにわかった。


風呂上がりに全裸で体重を記録し、健康アプリをチェックする。

朝はオーガニックのスムージー。

休日は自己啓発の読書。

毎週ジムに通い、知的で若々しい自分を保つことに余念がない。


彼の死期は、ちょうど一年後――

事故でも病でもない、突然の心停止。


その運命に気づかないまま、彼は「長寿」を疑っていなかった。


ぼくは告げるべきか、悩んだ。


でも、「死を知ることで、人は今を濃く生きられる」と、ぼくは信じていた。


だから、伝えた。


夢の中で、彼は一瞬黙り、そして苦笑した。


「……まさか、こんな“非論理的”なことが自分に降りかかるとはね」


「ですが、これは確定された未来です。

逃れることはできません。ただ、“どう迎えるか”はあなた次第です」


彼は立ち上がり、まるでプロジェクトの開始を告げられたマネージャーのように、頷いた。


「じゃあ、全力で準備してみよう。

この一年で、最高の“死の迎え方”をデザインする」


ぼくはその言葉に、一抹の不安を感じた。


次の日から、彼は変わった。


・遺言書の作成

・葬儀のスタイル決定(音楽、参列者のリストまで)

・SNSの整理

・電子データのバックアップ、処理スケジュールの自動化


それはすでに「終活」の域を超えていた。


彼は同僚に「自分が死んだら、社内に流してほしい」と、事前にメール文面まで作っていた。


休日は全国の名所を巡って「絶景リスト」を消化し、

美容皮膚科で肌のハリを整え、歯のホワイトニングを受け、

「死ぬときに一番美しい自分でありたい」と語った。


ぼくはその行動を観察しながら、徐々に違和感を抱くようになった。


彼の目には、“どこか焦り”があった。


「このくらいで、感動されるかな?」


「もしもの時に、誰かが泣いてくれるかな?」


彼は、自分の死を「作品」にしようとしていた。

けれどその「作品」は、いつまでたっても完成しなかった。


半年後。

彼は疲れきっていた。


周囲に「いつ死ぬか」を匂わせながら、誰にも真実は言えず、

毎日スケジュールに追われるように「良い死の準備」に走り回っていた。


その姿は、どこか哀しかった。


彼は、ただ静かに生きる時間を、もう持てなくなっていた。


死の前日、彼は鏡の前で呟いた。


「……俺、なんのために頑張ってたんだっけ」


その夜、彼は書斎で眠るように息を引き取った。


机の上には、書きかけの「理想の死チェックリスト」。

その下にあったメモには、こう書かれていた。


《結局、何も“達成”できた気がしない。

死ぬ準備に追われて、人生を見失っていたのかもしれない》


ぼくは彼の魂を迎えながら、深く息を吐いた。


「人は、“良い死に方”なんて、本当は求めていないのかもしれない」


「ただ、今を生きることだけが、唯一の準備なんだ」


ぼくの言葉は彼には届かない。

けれど、自分には届いた。


告げることが、すべてじゃない。

救いにも、ならないことがある。


ぼくはまた、一歩、静かに悩み始めていた。

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