第4話 きちんと、終わらせる

担当者の名前は佐野。

五十八歳、中小企業の社長。


製造業を営み、従業員は十五人ほど。

長年真面目に働いてきたが、業績はここ数年下降線。

それでも、社員の雇用だけは何があっても守るという信念でここまでやってきた。


彼の死期は、ちょうど一年後。

脳出血――それは突然やってくる。


ぼくが最初に彼を観察しはじめたとき、彼は独りで遅くまで事務所に残り、数字とにらめっこをしていた。


「あと2年もたないかもしれないな……」


呟いたその言葉が、妙に重たく聞こえた。


彼は家族をすでに亡くし、身寄りもいない。

この会社こそが、彼の「生きた証」だった。


ぼくは、告げることにした。


夢の中での彼は、やはり落ち着いていた。


「一年か……なるほどな。意外と、余裕はあるもんだ」


「余裕と感じるなら、きっと有意義に過ごせるはずです」


「いや、有意義になんて言葉じゃ軽いな。

俺には、“やらなきゃいけないこと”が山ほどある」


彼は、その目で真っ直ぐぼくを見た。


「社員たちに、迷惑はかけたくないんだよ。

この会社を、きちんと終わらせる準備をする。俺がいなくなっても、みんなが次に進めるように」


ぼくは、胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。


それからの彼の動きは、早かった。


まず、顧問税理士と弁護士に連絡をとり、会社清算に向けての相談を始めた。

不採算部門の整理、事務所の解約、在庫処分、機材の譲渡先。

ひとつひとつのタスクを着実にこなし、社員には定期的に「今後」について話す時間を設けた。


「俺の体のことはともかく、未来の話をしよう」


彼はそう言って、若手社員の転職支援の面談も始めた。


誰もが驚きながら、彼の「やるべきこと」への姿勢を尊敬していった。


最初は不安げだった社員たちも、数ヶ月経つ頃には彼の意図を理解し、誰もが「社長のために」と動いていた。


「佐野さんに最後までついていきたい」と言った部長。

「自分たちで、新しい道を探してみたい」と言った若手。


会社は、家族になっていた。


年末、社員たちが彼に内緒で送別会を開いた。

そこには笑いも涙もあった。

お世話になった取引先からの感謝のメッセージ動画まで流された。


彼は、しばらく何も言えず、最後に一言だけ、こう言った。


「……みんな、ありがとう。

なんだか、人生で一番誇らしい夜だよ」


彼が亡くなったのは、その3ヶ月後。

全ての手続きを終え、会社も正式に解散したあとのことだった。


事務所跡地のポストに、社員のひとりが残していったメモがある。


『社長、最後までかっこよすぎです。俺たち、ちゃんとやっていきます』


ぼくは彼の魂を抱えながら思った。


死を意識したからこそ、「生きる責任」を全うした人がいたこと。

終わらせることにも、誇りと優しさが込められること。


「やってよかった。……これは、救いだよ」


静かにそう思えた時間だった。


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