第3話 ひとつだけの贈り物
その青年は、親とほとんど話していなかった。
三十代後半。飲食店の副店長。
一見すれば明るくて、社交的で、スタッフにも慕われている。
けれど、仕事終わりに一人で食べるカップ麺や、家に帰ってすぐにシャワーを浴びて寝るだけの生活に、彼の「本音」がにじみ出ていた。
彼の死は、一年後。
原因は、急性の心筋梗塞。
彼の人生を観察する中で、ぼくが最初に気づいたのは、彼が“何か”を避けて生きていることだった。
母親からのLINEは未読のまま溜まり、
年に一度の電話にも折り返さない。
それでも、たまにスマホを開いては、
トーク履歴を見つめていることがあった。
ぼくは告げることにした。
夢の中。
ぼくの姿を見た彼は、少しだけ冗談っぽく言った。
「お迎えってやつですか?」
「いえ、あなたには、まだ一年あります。
でも、それは確定された時間です」
「……一年ね」
彼は、少し考えてから、ふっと笑った。
「悪くないかも。なんか、ちょうど、人生が止まってたから」
「あなたがどう使うかは自由です。後悔がないように」
彼はうなずいた。
そして翌朝、久しぶりに母にLINEを送った。
『今度の休みに、帰ってもいいかな?』
実家に帰った彼は、思いのほか緊張していた。
玄関を開けると、母親が顔を真っ赤にして泣いた。
出迎えも、文句も、用意した手料理の話もない。
ただただ「ありがとう」「来てくれてよかった」と、何度も繰り返した。
その夜、母とふたりでお茶を飲みながら、彼はぽつりと言った。
「なんで、ずっと連絡くれたの?」
母は笑った。
「だって、お母さんだから。ずっと、あなたのこと待ってたよ」
彼は、しばらく黙っていた。
そして、初めて見せたような柔らかい表情で、母の手を握った。
「来てよかった。……ほんとに、来てよかったよ」
彼は、それから何度も実家に帰るようになった。
母の誕生日には、レストランを予約した。
昔、手をつけなかった料理を「うまい」って食べるようになった。
ある日、母が言った。
「あなた、少しだけ、子どもの頃みたいな顔になったね」
一年後。
母親の手を握りながら、彼は微笑んで息を引き取った。
死因は本当に突然のことだった。
けれど、その最期の瞬間に母がそばにいたことは、彼にとって何よりの救いだったと思う。
母は泣きながら、彼の遺品の中から小さな手紙を見つけた。
『最後に親孝行、できたかな? ありがとう、育ててくれて』
ぼくは、その魂を回収しながら思った。
親孝行というのは、何かを与えることじゃない。
「向き合う」というたった一度の行動が、
それまでの何十年を救うこともあるんだと。
「やっぱり、告げてよかったな……」
ぼくは、少しだけ空を見上げた。
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