第5話 百一夜のひとりごと
その夜は、眠れなかった。
いや、正確には“眠ってはいけなかった”。
眠ると、誰かが夢を食べにくる。
ミトがそう言っていた。
そして――ミトは、もう部屋にいなかった。
フユはひとり、裸電球の下で膝を抱えていた。
壁は静かだったが、どこか遠くで誰かがささやいているような音がする。
「フユ、フユ、フユ、ユフ、フユ……」
名前が逆さになって返ってきた。
何かがおかしい。
何かがずっと前から、完全に狂っている。
だけど、それを指摘する言葉が思い出せない。
⸻
部屋の机の上には、一冊のノートがあった。
それは夢を食べられた人たちが遺していったメモ帳だった。
“百一夜”分の、語りとつぶやき、
そして誰にも届かなかった助けの声。
その冒頭に、インクの滲んだ文字でこう書かれていた。
「ここに書いたことを忘れてください。
忘れられない人は、あなたではありません。」
フユは震える手でページをめくる
——第二十四夜 : 文字解読不明
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。 ごめんなさい。
ごめんなさいごめんなさい。
ほんとはわたしが見るはずだった。
なのに……あの子が、あの子が食べられたから、
順番が――――
ごめんなさい。
わたしの名前、もうどこにもないの。
どこにも、ないの。
名前がないから、わたし、夢になれない。
だからずっと、ここにいるの。
ゆめを、わたしに、かえして。
かえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせ
⸻
フユは読み進めるうちに、手が止まった。
第六十四夜に、自分の名前があった。
⸻
――第六十四夜:フユ
夢を食べられた記憶は、痛みがない。
ただ、空洞が残る。
その空洞に、誰かが言葉を詰め込んでくる。
「これがおまえだ」って。
「おまえはこの町が好きで、ここにいたがってるんだ」って。
でも、僕は知っている。
僕はこの町に、生まれていない。
⸻
フユの手から、ノートが滑り落ちた。
あまりに自然な動作だったから、自分でも気づかなかった。
ふと、部屋の扉がきぃ……と開いた。
そこに立っていたのは、フユ自身だった。
いや――その顔は少しだけ違っていた。
目の奥に、夢がなかった。
代わりに**“言い聞かせられた人格”**が詰まっているようだった。
「ただいま」
その“フユ”が言った。
フユは立ち上がることができなかった。
動けなかった。
鏡を見ると、そこにも“フユ”がいた。
笑っていた。
その表情は、町の住人たちと同じ、筋肉だけの笑顔。
「夢を食べたから、君は空っぽになった」
“もうひとりの自分”が言う。
「空っぽになったら、何にでもなれる。
僕が、君になるよ。
もう、夢を見なくてすむように。」
その瞬間、頭の中でガラスが割れる音がした。
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