第6話 夢の音叉(チューナー)


鏡の中の“もうひとりのフユ”は、何も言わずに微笑んでいた。

その笑顔には、温度も音もなかった。


「――フユ、起きて」


どこかから、声がした。

声の主は、ミトだった。


しかし、その声には音叉のような震えが含まれていた。

耳元で響くのではなく、脳の内側に直接伝わってくる、脈動する音。

フユの視界がにじんでいく。


“もうひとりの自分”がガラスのように割れて、崩れていった。



気づけば、フユはベッドの上に座っていた。

その目の前には、ミトが立っていた。

いや――正確には、いつものミトとは違う。


彼女の持っている棒状の道具が、空中に向かって振動していた。

音が“視える”ようだった。

まるで空間が歪み、夢と現実の境界線をなぞっているような感覚。


「これが“音叉”――わたしは、あなたの夢の周波数を探していたの」


ミトが、静かに語りだした。



「夢って、音に似てるの。

人によって響きが違って、狂えば、自分が自分じゃなくなる。

わたしは、それを聴くのが得意なの」


フユは、ぽつりとつぶやいた。


「……じゃあ、僕は、壊れてたの?」


ミトは首を振った。


「壊れてはいなかった。壊されたの。

あなたの夢を食べた“誰か”によって」


彼女の手の中の音叉が、静かに“止まる”。


「でも大丈夫。

ここから、少しずつ戻していこう。

この部屋には、あなたの夢の欠片がまだ残ってるから」


そのとき、部屋の壁の一部が、ふっと色を変えた。

ノートのあった場所が、消えていた。


代わりに現れたのは、フユの声の波形を映したような、奇妙なガラスの板。


「これは……?」


ミトが答える。


「あなたが、“まだ名前を持っていた頃”の声。

この音を覚えていれば、夢を食べられても、まだ戻ってこれる」



その夜、フユは初めて“無音の夢”を見た。

何も話されず、誰も笑わず、ただ静かに沈むだけの夢。

でも、その中に一瞬――ミトの声が混じった気がした。



「歪んでも、重なっても、どこかで響きあう。

あなたがまだ、“あなた”でいられるように」

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