第4話 ガラスの胎児たち

町の鐘が鳴り止んだあと、しばらく世界は静まりかえっていた。

けれどその“静けさ”は、決して安心をくれるものではなかった。

むしろ――耳を裂くほどの沈黙だった。


「行こう」とミトが言った。

声は小さいのに、やけに強かった。

「ガラスの倉庫、見せてあげる」


フユは首をかしげたが、ミトはそれ以上何も説明しなかった。

彼女の手にはまた、あのガラス瓶が握られていた。

今度の瓶の中には、何かが浮かんでいた。


小さな、手のようなものだった。

泡のように揺れながら、薄赤い液体の中で動かない。


「さわらないで」と、ミトが言った。



倉庫は町の北の外れにあった。

もともとは古い冷凍工場の跡地で、誰も近づかないとされていた場所。

地図にも載っていない。

フユはなぜその場所を知っていたのか、思い出せなかった。

けれど――足が勝手に動いた。


建物の中に入ると、空気はひどく冷たかった。

まるで時間そのものが凍ってしまっているようだった。

そこには棚が無数に並んでいた。

そして、棚ごとにずらりと――


ガラス瓶。


すべて同じ形、同じサイズ。

それぞれに名前が貼られていた。

「カナエ」「リョウ」「ナミエ」「アズサ」「アヤ」「ナミエ」「ナミエ」……

同じ名前が、何度もあった。


瓶の中には、小さなものが入っていた。

手、足、眼球のようなもの。

あるいは脳のような、まだ思考を始めていない“かたまり”。


「ここはね、夢を産むところなんだよ」と、ミトが言った。

「夢をつくるには、タネがいるの。

タネは、ヒトの中にしかないから、最初にそれを“もらう”の。

それが胎児。」


「……これは全部、人間なの?」


フユの問いに、ミトは少し考えてから答えた。


「ううん、夢になる前の人間。

夢になりそこねた、人間。

名前だけ持ってる、まだ中身が空っぽの、

“未使用の魂”。」


フユは言葉を失った。

一つの瓶に、自分の名前があった。

「フユ」

ラベルは古びていて、紙がふちから黄ばんでいた。


瓶の中には――何も入っていなかった。


「それはね、最初のやつ。

お兄ちゃんはね、夢としてもう一度“生まれ直された”人なの。

だから、たまに思い出すでしょ? おかしなこと。

知らない場所とか、言ったことない台詞とか、

それね、前の夢のカケラ。」


背後の棚で、何かが動いた。

カタリ、と瓶が転がる音がする。

誰かがいる。


フユが振り向くと、**誰かの顔をした“顔じゃない何か”**が、棚の影からこちらを覗いていた。

目だけが、人間だった。

それ以外は、ぐにゃりとゆがんで、瓶の中身と同じように、まだ形が定まっていなかった。


「それ、夢のくず」

ミトが言う。

「ちゃんと食べてもらえなかった夢たち。

今も誰かに気づかれたくて、かたちになろうとしてるの。」


その“何か”が、フユの方へ手を伸ばした。

指が五本ではなかった。

関節もない。

それでも、確かに手だった。


「フユくん」


名前を、呼ばれた。

耳元ではない。

頭の中に直接、誰かがささやいてきた。


「返して。

きみの夢、わたしが見るはずだったの。

きみは、その場所にいちゃ、いけなかった――」


誰の声だ?

誰の記憶だ?

フユの頭がぐらりと揺れる。

立っていられない。

冷たい床に崩れ落ちると、瓶の中の自分がこちらを見ていた。


その目に、夢がなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る